第七夜∶栃尾の油揚げ

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「お邪魔します」 少し緊張した面持ちで、加藤くんは家の中に入ってきた。この部屋に他人を入れたのは、もしかしたら初めてかも知れない。 会社の人間は家に呼ぶ程仲がいい人は居なかったし、自分の地元では無いため級友もこの辺りには居ない。念のため言っておくが、友人が居ない訳ではない。 そう広くは無い部屋だが、一人暮らしで1DKなので多少余裕はある。キョロキョロと興味深そうに部屋の中(と言っても大した物は何もない)を見回す加藤くんに、とりあえず荷物を置くように言った。 「キッチンはここ、手洗いはこっちね。調理器具は何使う?」 「フライパン、借りてもいいですか?」 「了解。お皿は?」 「何でもいいので、2枚お願いします」 「了解…ここに置いておくね。油はコンロの近く、調味料はこの棚と、棚の下にあるのが全部」 「分かりました」 一口コンロの上には換気扇がついており、コンロの右側に小さいシンク、左側は壁になっていて、その壁に調味料を置けるようなちょっとした棚を取り付けていた。塩、胡椒、砂糖、一味唐辛子、カレーパウダーが棚にあり、その下に醤油、味醂、お酒、酢が置いてある。油はコンロの近くに、サラダ油、オリーブオイル、ごま油を置いている。 一通り見て、加藤くんは感嘆の声を上げた。 「凄い…!流石、料理をされるだけあって充実してますね!」 「ははは…そう?」 「はい」 確かに、充実していると言えば聞こえはいいが、実際はなかなか全部使い切れず中途半端なものが沢山ある、といった方が正解だろう。 「さて…先にキッチン使って貰って構わないよ。揚げはトースターで焼けるから。悪いけど、今からシャワーさせてもらうね。いつもの習慣で」 「あっ、はい!すみません、ありがとうございます」 人が来ていても、なるべく普段の習慣を崩したく無い。年々、普段のペースを乱されるストレスが強くなってきているように感じていた。プライベートまでイライラしたく無いので、申し訳無いがいつも通りシャワーを済ませることにした。 シャワーに入る前にトースターからアルミの板を取り出すとアルミホイルをしき、揚げを乗せてトースターで加熱を開始する。出てくる頃には焼けているだろう。 スウェットを着て頭を拭きながらシャワーから出てくると、部屋中にいい香りが漂っていた。 「ごめんね、ありがとう」 「いえ、押し掛けてしまったのはこちらなので」 「いい香り」 「もう出来上ってますよ。何か手伝う事はありますか?」 シャワー前に入れていったトースターを覗き込むと、いい感じに焼き目がついていた。タイマーのツマミを回して電源を切る。 「後は大根をおろすだけだから、先に座ってて」 「はい!あ、じゃぁ取皿とお箸持っていきましょうか」 「ありがとう」 前も思ったが、加藤くんは相変わらず気遣いが出来る人だ。適当な取皿と箸を出して渡す。 冷蔵庫から大根を出すと、適当な大きさのボウルにすりおろしていく。 (たっぷりが美味しいんだよな…) 多めに擦り下ろし、手で軽く水気を絞る。 トースターから揚げを取り出し適当な大きさに切ると、上に大根おろし、冷蔵庫から出したネギ、生姜(チューブ)、鰹節をかけ、最後に醤油をたらす。 「お待たせ」 「わぁ!美味しそうですね」 私はビール、加藤くんは買ってきていたレモンサワーの缶のトップルを開けた。 「お疲れ様です」 「お疲れ様」 カチン 鈍い音をたてて乾杯すると、ゴクリと一口。 「あぁー」とどちらともなく声が出て、二人は顔を見合わせて笑った。 「栃尾の油揚げ、いただいてもいいですか?」 「もちろん。豚平焼きとジャーマンポテトも食べていい?」 「はい」 お互い皿に取り、口にする。 「外はカリカリ、中はフワフワジューシーですね!こんな揚げ初めて食べました。美味しい」 加藤くんの様子に、自分が最初に食べた時の事を思い出し思わず笑みが溢れる。私も豚平焼きを口にした。 「お好み焼き味の卵焼きみたいなのかな?これはビールが進むね。キャベツも豚肉もタップリだ」 「そうなんです。肉と野菜が簡単に食べられるから、自炊始めてからよく作るんです」 言いながら、加藤くんも自作の豚平焼きを口にする。 「ジャーマンポテトも美味しいね」 「ありがとうございます」 ジャガイモと玉ねぎ、ウインナーを塩コショウで炒めただけだが、塩加減が丁度良い。玉ねぎの甘みとウインナーの塩気で甘じょっぱく、これまたビールが進む。 「店で食べる以外に誰かに作って貰うなんていつぶりだろう…」 思わず出た言葉に、彼も「僕もです」と頷いた。 「誰かと一緒に食べるのも久しぶりで嬉しいです」 ニコニコとこちらを見ながら、レモンサワーを口にする。自分もたまたま昨日は会社の飲み会があっただけで、プライベートで誰かと食事をするのは久しぶりだった。 「一人暮らしだとなかなかそんな機会ないよね。僕も久しぶりだよ」 「いつもより、美味しく感じます」 「そうだね」 加藤くんの笑顔につられて、こちらも笑顔になる。 他人と居ると変に気を遣って疲れる事が多いが、酒も入っているせいか気持ちが楽だった。まぁそもそも、客を差し置いてシャワーに行った時点で気を遣うも何もないが。取り繕っても仕方ないので、好きなようにさせてもらったが嫌な顔はされなかった。 しかし改めて考えると、妙な状況だった。 いつも行くスーパーの店員と、客。それ以上でもそれ以下でもなく、知っているのは名前(しかも名字)だけ。そんな二人が、家で一緒に夕飯を食べている。友人ですらない。飲み屋の相席とはまた訳が違う。嫌な気持ちは全く無かったが、不思議な気分だった。 「そういや話したいって言ってたけど、どんな事を話したかったの?」 「えっ」 ビールに口をつけながら、豚平焼きを頬張る加藤くんに聞いてみた。そもそも、この状況は彼のその一言から始まっている。 加藤くんは少しだけ躊躇って、こちらを覗うように口を開いた。 「話したかったって言うか、聞きたかったって言うか…。あの…失礼な事言ってしまってたら、ごめんなさい。結構よく値引きされた商品とか買われるから気になっちゃって…」 「失礼じゃないよ、大丈夫。でも値引き品って僕意外にも買う人いるよね?」 中年男性が珍しいにしても、同じ商品なら値引きされた方を買っていく人は自分以外にも居る筈だが。不思議そうに彼を見ると、必死に言葉を探しているようだった。 「あの、えっと…いつも小綺麗な感じで、あんまりスーパーに来ないようなタイプというか…。そんな方が、見切り品で、しかも生肉とか大根とか買って行かれるから気になっちゃって」 おずおずと語る彼を見て、我慢できず吹き出してしまった。 「はははっ!見た目と買う物のギャップが凄かったって事かな?」 「あっ!そうですそうです!ギャップ!」 私の言葉が彼の表現したかった内容にたまたまハマッたのだろう。パッと加藤くんの顔が明るくなる。面白い子だ。 「買い被りすぎだよ、小綺麗にしてるなんて。ただのしがないサラリーマンだよ」 「いや、充分カッコイイですよ!顔もだし、背が高くていつもビシッとスーツ着てて…」 酔が回ってきたのだろうか、頬を僅かに赤くしながら熱弁を振るう。 「僕なんか全然。彼女だって居ないし」 「えっ!居ないんですか?!」 そんなに驚かないでくれ、虚しくなるだろう。 苦笑いしながら「もうつくる気もないけどね」と油揚げを口に運んだ。ドキドキより、今は安らぎが優先だ。 「そうなんだ…寂しくないですか?」 「いや?」 美味しい酒と肴があれば充分。 休日は昼過ぎまで寝ているか、早く目が覚めれば電車に乗り少し遠くへ日帰り温泉に出掛けたり、街中を散策したりしている。ここ最近、寂しいと思った事はない。 「そういう加藤くんはどうなの?」 話を振ってみた。 そういうからには、居るんだろうな。 「いや、僕も彼女居ません」 居ないんかい。 軽々しくそんな事を言える仲ではないので、喉元まで出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。 しかし意外だった。私から見れば加藤くんの方がよっぽどイケメンだったし、何より性格がいい。深く色々知っている訳ではないが、思いやりがあり、気遣いが出来るのは大きなポイントだろう。 「僕からしたら加藤くんのがよっぽどカッコイイと思うけど?」 うーん、虚しい。 彼女が居ない者同士でこんな話。と思ったが、結婚や恋愛に関してとっくに消費期限(・・・・)が切れた私に対して、世間一般的な、いわゆる適齢期(・・・)の彼にとっては切実な問題なのかも知れない。 「えっ!カッコイイとか初めて言われました…何か、照れますね」 「本当?」 「常連のおばあちゃんとかおばちゃんに、可愛いとかはよく言ってもらうんですけど」と恥ずかしそうに加藤くんは笑った。 今の会話で、一つ分かった事がある。 彼の務め先では「出会い」が無いのだ。私の場合は職場内で出会いが無い事は無かったが、タイミングを逃してしまい今に至る。(決して負け惜しみではない)しかし、彼の場合は端から出会いを期待することが出来ないのだ。女性ばかりの現場に居ながら、酷な現実であった。
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