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「永井さんは何の会社にお勤めなんですか?」
「僕?僕はサプリメントの会社だよ」
「えっ!凄い!サプリメント作ってるんですね!」
「えーっと、研究員ではないから作っては無いかな。営業がメイン」
営業がメイン、という微妙な表現になったのは、営業以外にも色々やる仕事があるからだ。大きな企業ならば営業や広報、経理など細かく部署と仕事が分かれているのだろうが、私が勤めるような零細企業に分類される規模の会社では、他の部署の仕事に片足を突っ込む事も少なくなかった。
「だから毎日スーツなんですね」
あ、やっぱりスーツは好きなのね。
「転勤は無いんですか?」
「会社自体が、本社か工場しか無いからね。よっぽどの事がない限り転勤は無いかな…」
言いながら、ロキシィを口にする。
水割りにしてもらったが、若干濃い。普段から飲んでいるため直ぐ酔が回ることは無かったが、ほろ酔いだ。加藤くんも2杯目のビールを半分以上飲んでいた。頬は紅潮し、常にニコニコしている。
「お仕事楽しいですか?」
「まぁ、それなりに」
言ってしまえば中間管理職で、ストレスが無い訳では無い。しかし、もう少し我慢して頑張れば昇進も掴めるポジションだし、仕事終わりの楽しみもある。刺激的ではないが、仕事もプライベートも「それなり」に楽しかった。
「お休みの日は何してるんですか?」
「んー…、昼まで寝てるか、朝起きれたら家の事やったり、たまにだけど日帰り温泉行ったり、街をブラブラしたり」
「楽しそう…確かに、そんだけ充実してたら彼女とかも必要ないって思っちゃいますね」
笑いながら、彼は言った。
「まぁね、気楽でいいよ…恋愛は、僕には嗜好品みたいなものだから」
「嗜好品?」
「そう。酒や煙草や珈琲みたいなさ。
絶対無きゃ生きていけない「必需品」ではないということ。あったらあったで、気持ちを豊かにしてくれたり、日常にちょっとした刺激を与えてくれるものだけど、無きゃ無いで済んじゃうんだよ」
「成る程…!」と加藤くんは大きく目を見開いた。
「まぁ恋愛の場合は相手ありきだから、嗜好品のように「いつでも」「手軽に」できる訳では無いけどね。第一、相手を大切にしないといけない。だから嗜好品イコール恋愛ではなくて、あくまで概念の話」
学生から社会人にかけて、3人程と付き合った。最後の恋人はかれこれ5年前になる。結婚まで考えた相手だったが紆余曲折あって別れ、それからというものすっかり恋愛自体に興味を無くしていた。
「いいなぁ…」
彼がポツリと呟いた。
その呟きが何に対してなのかは分からなかったが、加藤くんは私の話を聞きながらいつの間にか取り皿に乗っていた料理を全て平らげていた。
話が終わると、ビールを一気に飲み干す。
「好きです」
「え」
―ドキリ
心臓が、勢いよく跳ねた。
「そういう考え方」
「…それはどうも、ありがとう」
突然真顔で「好きです」なんて言うからびっくりしてしまった。まだ胸がドキドキしている。動揺を押し隠すように「ありがとう」と言ったが、上手く隠せていただろうか。
大皿に残っていた料理を食べるように彼に勧め、私は自分の取り皿に乗っている料理を食べることに専念した。
「ビール頼みますけど、永井さんは何か飲まれますか?」
「ん∼まだ半分あるし、今はいいよ。ありがとう」
加藤くんは3杯目のビールをオーダーすると、大皿を自分の方に寄せて食べ始める。食べながら、最近作ったツマミや酒の話、スーパーの裏情報など色々な事を話した。
「あー、お腹いっぱい…美味しかったぁ」
「僕もお腹いっぱい…加藤くんよく食べたね」
私が笑いながら言うと、彼は恥ずかしそうに笑った。「そろそろ行こうか」と会計を済ませ店を出る。「アリガトゴザマース!」と若いネパーリが満面の笑みで見送ってくれた。
「今日はありがとうございました。楽しかったです!」
色々話していたら、すっかり遅くなってしまった。大通り沿い以外、光がまばらに点いた薄暗い道を歩きながら彼は言った。
「こちらこそ、ありがとう」
時間こそ短かったが、私も楽しかった。
外飲みとネパール料理自体が久しぶりだったのもあるかも知れない。ビール1杯と、ロキシィで気持ちの良い酔いの回り方だった。加藤くんも、前回より明らかに飲んでおり、地上から3センチくらい浮いているのではないかと思うくらいふわふわしている。
「家は…スーパーから近いって言ってたけど、どの辺?」
「えーっと、スーパーからちょっと北に行った所です」
方向音痴だと自分で言っていたが、自宅の場所の説明もビックリするくらい大雑把だった。いや、酔っているせいだろうか…
「送るよ」
「えっ、大丈夫です!一人で帰れます!」
「そう?」
フニャっ、とした笑いにやはり心配になる。
「うーん、僕が心配だから送らせて?」
「えっ…あ、ありがとうございます」
加藤くんはちょっと驚いたようだったが、またすぐフニャっと笑った。私もシラフではないが、少なくとも彼よりはマシな自信がある。
加藤くんに案内して貰いながら、彼の住むアパートに着いた。店から15分ちょっと、腹ごなしにいい散歩だった。
「送って頂いてありがとうございました」
「いやいや、送るって言ったの僕だし気にしないで。じゃ、お休み」
「あのっ」
「ん?」
デジャヴュ。
前もこんな事があったような…
「良かったら、今度は家で飲みましょう!今日お話したツマミとか僕作るので」
何処となく必死そうな彼を、なるべく安心させるように微笑んだ。
「うん、ありがとう。またね」
「はい、お休みなさい」
「お休み」
私は踵を返し、寒い夜道を歩き出した。
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