第十三夜∶加藤くんのおもてなし料理

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「いえ…今は両親がやっていますが、ゆくゆくは妹夫婦がお店を継いでくれる予定です。今は手伝いながら、店の仕事を覚えています」 「あ……そう、なんだ」 少しだけ寂しそうに笑う彼を見て、聞いてはいけない事を聞いてしまったと申し訳ない気持ちになる。それでも彼は話を続けた。 「妹の旦那さん…良典(よしのり)は家が近くて、僕と妹とは小さい頃からの幼馴染でした。 小、中学は一緒に登下校したりよく3人で遊んでいたんです。高校になって別々の学校に通うようになりましたが、家が近いので顔を合わせれば話すし、たまに遊んだりもしました。社会人になってから僕は実家を出てしまいましたが、どうやらその少し前から、妹と良典は付き合っていたようです」 一旦区切り、ビールを口にした。 私はそのままじっと彼の様子を覗う。 感情という感情に全て蓋をしてただ淡々と語る様子から、彼が心の中で様々な物と葛藤しているのではないかと思った。 「僕が就職してから暫くして、妹から相談があったんです。良典からプロポーズされたみたいなんですが、実家の店を父親一代でたたむと話したら、婿養子に入って自分が店を継ぐと言い出したと」 「……婿養子」 それは、相当な覚悟がなければ出来ない事だ。 「はい。先程話していませんでしたが、良典にはお兄さんがいるんです。6つ歳が離れているので、僕達と一緒に遊ぶ事は殆どありませんでしたが。だから、良典の両親は特に反対はしなかったようです。うちの両親は最初は躊躇っていたようですが、良典の店を存続させたいという強い思いに動かされ、話がこのまま進みそうだと」 「加藤くんは……」 言いけて、口を噤んだ。 彼の心境を考えると、とても複雑な気持ちになる。きっと妹さんが彼に相談したのも、彼の立場や心境を慮っての事だったのだろう。 「勿論妹の結婚にも賛成だったし、どのような形であれ店が存続できるのは良い事じゃないかと、背中を押してやりましたよ」 そう言って、彼は笑った。 そして、残っていたビールを一気に飲み干すと、新しいビールを取りに立ち上がった。 「永井さんも飲みます?」 「あ、うん…貰おうかな」 「分かりました」 これ以上、この話は続けない方がいいだろう。 何か違う話題をと、加藤くんが戻る短い間に考えていると彼から話を振ってきた。 「そう言えば、永井さんは兄妹とか居るんですか?」 「ビールありがとう。僕には兄が居るよ。結婚してて、子どもも居る」 「あ、そうなんですね」と加藤くんは2本目のビールに口を付けた。私も缶を開け、一口飲むとアヒージョを口にした。 「実家は遠いんですか?」 「電車で1時間くらいかな?正月くらいしか帰らないからはっきり覚えてないなぁ…」 「僕も実家帰るのなんか正月くらいですよ」 「遠いの?」 「電車で30分だから、そんなには遠くないと思います」 「仲が悪いわけじゃないんですけどね、お互い都合が合わなかったり色々あって」と彼は苦笑いしながら言った。 「仲が良い」ではなく「悪くない」という微妙な言い回しに、彼が両親や妹夫婦に対して感じている距離感のような物を感じ取り、少し切なくなった。 「そっか…。僕もそんな大変な距離じゃないんだけどね。今、兄一家は両親と二世帯で住んでるから帰りにくいって言うか。姪がいるんだけど、中学生で微妙な年齢だしね」 「あー、成る程!妹が居たので分かりますよ。中高生くらいの女の子って扱い難しいですよね」 「本当に」 顔を見合わせて笑った。 どうやら私達は似たもの同士のようだ。 まぁ私が実家と距離を置いているのは単に私個人の気持ちの問題なので、色々事情を抱える彼と一緒にされては不本意だろうが。 ゆっくり喋りながら食べて、料理は半分くらいになっていた。ビールはお互い2本目。炭酸で腹が膨れぬ内にと、取り皿に料理をよそう。 「この長芋のやつ、美味しいね」 「簡単ですよ。擦り下ろした長芋に、卵、チーズ、顆粒出汁を入れて混ぜてトースターでチンするだけです。ソースや醤油、かけるもので色々味変できますよ」 「へぇ、今度作ってみようかな」 自炊を始めたのは彼の方が少し遅かったのに、今では下手したら私より出来るのではないだろうか。若い故の学習能力とでも言おうか、私は素直に凄いなと思った。 「平日どのくらい自炊してるの?」 「うーん…シフトがマチマチで余裕がある時しか作れないので、言う程できませんね。週2、3回かな。あ、でも休みの日は作るようになりました」 「充分だよ。私も忙しいと惣菜買ったりするしね。この前筍とフキの炊き合わせ買ったよ。美味かった」 「春らしくていいですね!ありがとうございます」 ニコリと彼は嬉しそうに笑った。 そうだ、春らしいと言えば… 「桜の時期になったら、花見とかどう?」 「いいですね!花見、最近行ってないなぁ…」 「うん、私も久しぶりに行きたくなってね」 春、街を散策していてたまたま桜が咲いていたなんて事は何回もあるが、わざわざ花見をしようなどと思ったのは久しぶりだった。 目の前に居る最近できた友人に、気持ちが浮ついているせいかも知れない。色いい反応に、こちらも嬉しくなる。加藤くんはスマホを取り出すと、ここから行けそうな桜の名所を検索し始めた。身体を前に少しだけ乗り出し、一緒に画面を覗き込む。 「ここからだと…あ、この川沿いとか良くないですか?」 「川沿いか…いいね、気持ちよさそうだ」 「電車乗り換えて…1時間弱ですかね」 「いいんじゃない、ここにしよう」 1時間。 実家に行く時にかかる時間と同じくらいだが、目的地が違うというだけでこうも気持ちとフットワークが軽くなるものかと、内心苦笑いした。 「日にちはまた改めて」 「そうだね」 「楽しみだなぁ」 加藤くんも楽しそうで、私も嬉しくなる。 それからまた色々な話をしながら、時間をかけて全ての料理を食べ切った。 「お腹いっぱいだ…ご馳走さま。ありがとう」 「いえ、お粗末さまでした」 私は洗い物をしようと、食器を持って立ち上がった。 「あっ!僕がやります!」 「いや、ご馳走になったし、これくらいさせてよ」 ん?この件前もあったな。 「いや、僕が誘ったので…!」 思い出した。 「食器割る程酔ってないから大丈夫だよ」 一瞬、加藤くんが固まる。 それから二人して吹き出した。どうやら彼も思い出したようだ、初めて私の家で食事した時の事を。 「じゃぁ、お願いします」 「任せて」 ひとしきり笑うと、私は洗い物、加藤くんはローテーブルの周りを片付け、仕送りのお裾分け分を用意してくれた。 「今日は色々ありがとう」 「こちらこそ、色々押し付けちゃってすみません」 「いやいや、食料品だし助かるよ」 「またご飯にも行きましょうね」 「うん、お休み」 「お休みなさい、帰り気を付けて」 ―バタン あぁ、楽しかった。 充実した時間を過ごせた満足感と、ずっしりと重たいお裾分けを手に私は帰路についた。
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