第十四夜∶桜鯛の刺し身

2/3

262人が本棚に入れています
本棚に追加
/99ページ
「あの橋まで行ったらUターンしようか」 「はい」 楽しいが、人混みの中を歩くのは疲れる。 次の橋を渡り、反対側を歩いて駅まで戻る事にした。 橋を渡り終え、少し歩いた時だった。 「お兄ちゃん!」 「ゆーくん!」 後ろから声がして、周りの何人かが振り返る。「ゆーくん」の声に反応した加藤くんが後ろを振り返った。 「…沙織!良典!」 「えっ」 こちらを見て手を振りながら男女二人が近付いてくる。加藤くんも私も驚いた表情で二人を見た。 「さっき橋の所で見かけてさ、もしかしてと思って追いかけてきたの!」 「よく見付けられたな」と加藤くんが言うと、妹さんは私をチラリと見て「こっちの背の高い人が一緒だったから」と言う。 「こちらは永井さんだよ」 「初めまして」 加藤くんが紹介してくれたので、営業スマイルを浮べ会釈する。利発そうな雰囲気の妹さんだ。 「初めまして!妹の沙織です。こっちは旦那の良典さん」 良典さんは私を見てニコリと笑い、会釈した。 改めて加藤くんに向き直ると「久しぶり!」と声をかける。 「正月に会っただろ、というかゆーくんはいい加減やめろって」 「もうクセになっちゃって今更お義兄(にい)さんなんて呼べないんだよ」 やはりと言うか、義理の兄弟というより友達感覚のようだ。親しげに話す様子から仲の良さが伺える。 「というか沙織、仕送りは有り難いんだけどあの量はさすがに…」  「母さんに言ってよ。私はお兄ちゃんが自炊始めたみたいって伝えただけなんだから」 口を尖らせる妹さんに、盛大な溜息をつく加藤くん。思わずクスリと笑ってしまった。 「それより今日、店の手伝いは?」 「あ、今日は定期検診があって」 「定期検診?どこか悪い所でもあるのか?」 急に心配そうな顔になる加藤くんに、妹さんはクスリと笑って「違いまーす」と言い、鞄に付けていたキーホルダーを見せた。 「……えっ!?」 「ふふふ!いっぱい遊んでやってね、叔父さん!」 何と! 妹さんはご懐妊されたようで、その事を偶然にも今知ったのだ。加藤くんの表情はたちまち驚きから歓喜のものに変わった。 「おめでとう!で、いつ産まれるんだ?」 「予定日は11月10日」 「そっかぁ…良典も、おめでとう」 「ありがとう」 「無事に産まれるといいな。身体、大事にしろよ」 「うん、ありがとう!お兄ちゃんもたまには実家に顔出してね」 「ん?ああ…」 「じゃぁね!」と妹さん夫婦は私にも会釈をすると、反対方向に歩いて行った。 「すみません、話し込んでしまって…」 歩き出すと加藤くんは申し訳なさそうに私の顔を覗き込んだ。 「いやいや、楽しみだね」 「はい」 彼はニコリと笑ったが、心なしか寂しそうに見えたのは気の所為だろうか。人の波にのり、そのまま少し歩く。駅の近くまで戻ってくると改めて案内板を見た。 「ここから少し南に歩くと、菜の花と桜が一緒に見られる場所があるみたいだね」 「いいですね!行きましょう」 このまま川沿いを歩いても良かったが、人混みの中を歩くのに少々疲れてしまった。まだ時間もあるし、一旦離脱したい。駅に置いてある地図を片手に、次の目的地へと歩を進めた。 「そういやさっき、『ゆーくん』て言われてたみたいだけど」 「あ、僕の名前が『雄介(ゆうすけ)』なので、小さい頃から良典に『ゆーくん』て呼ばれてるんですよ」 「三十路にもなってそう呼ばれるのは恥ずかしいんですけどね」と苦笑いした。 「そうか、下の名前は雄介くんなんだね」 「はい。永井さんは?」 「貴文(たかふみ)」 「貴文さん」 加藤くんは嬉しそうに繰り返した。 「折角名前知れたし、雄介くんってよんでいい?」 「はい!僕も貴文さんってよんでいいですか?」 「勿論だよ」 「やった!」 お互い、知らない事を少しずつ知っていくのは楽しい。度々思うが、この歳になって友人になるような人間は割りと価値観なども近く、一緒に居て楽しかった。よく考えると、中、高、大学の友人達の中で、一番付き合いの短い大学の友人が一番仲が良い。 15分くらい歩いただろうか。だんだんと民家から離れ田んぼや畑がある道を歩く。 手作り感満載の木製の案内板の矢印に従い小高い土手を登ると、パッと目の前が明るくなった。 「わぁ…!」 「これは…綺麗だね」 それ以外に、表現のしようがなかった。 私達が立つ土手から少し下った畑一面に、菜の花が咲いている。その様子はまるで黄色い絨毯のようだった。陽の光を浴びて、眩いばかりに輝いて見える。   「でも、桜は…?」 首を傾げる雄介くんに、菜の花畑から少し視線を上げた先を指差し教える。 「ほら、見てごらん」 「あ……!」 彼は息を呑んだ。 菜の花畑の反対側の土手の上、桜並木が続いている。先程歩いた場所ではないようで、人かげもない。目下にある菜の花畑に目がいきがちだが、視線を上げた先に菜の花と桜並木の美しい景色が広がっていたのだ。 駅の案内板に描かれている場所だが、駅から離れている為か訪れる人が少く私達の他に人はまばらだった。川沿いの賑やかな雰囲気もいいが、ゆっくり桜を楽しむにはうってつけの場所だ。 「電車で1時間でこんな場所があるんですね…」 「…来れてよかったね」 一人ならば、わざわざ花見すら来なかっただろう。私は隣にいる雄介くんを見た。 「ありがとう」 「え?」 「いや、僕一人だったらここに来なかっただろうからさ」 一瞬キョトンとした後「そんなん、僕だってそうですよ」と可笑しそうに笑った。それから暫く菜の花と桜を堪能し、ゆっくり歩いて私達は駅へ戻ってきた。 「…15時か」 腕時計を見て私は呟いた。 昼は露店で買ったお好み焼きとフランクフルトを食べただけだからお腹が空いていた。彼も同じだったようだ。 「お腹空きましたね~」 「変な時間になっちゃったけど、どっかお店入って軽く食べる?」 今の時間、ランチタイムは終わっているから恐らくどの店も軽食メニューしか無いだろう。チェーン店に行けば別だが、今いる駅の周辺は飲食店はおろか、店自体が少かった。 「うーん…貴文さんが良ければ、家の最寄り駅まで戻って早めに夕飯しませんか?」 「ああ、いいよ」 「やった!」 私は明日休みだが、雄介くんは仕事だ。 早めに夕飯を食べて早めに解散するのは妙案だと思い、ふたつ返事でOKした。再び電車に乗り込み、自宅の最寄り駅に向かった。
/99ページ

最初のコメントを投稿しよう!

262人が本棚に入れています
本棚に追加