第十七夜∶会席料理

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第十七夜∶会席料理

温泉旅行の話が出てから、行き先が決まるまでさほど時間はかからなかった。1泊2日で翌日から仕事となると余り遠出はできない。非日常がちょっと味わえる…美味しいものが食べられて、温泉にゆっくり入れればいいのだ。 若い時のように、滞在時間いっぱい観光地を巡り歩くようなアクティブな旅行はもうできない。 お互いの意見を擦り合わせた結果、ここから特急列車で約1時間40分程の所にある温泉地に行く事になった。 翌日が平日のためか、部屋数が少ない人気の宿だったが予約もすんなり取ることができた。いい値段したが、普段これといってお金を使う場所も無い。たまに奮発するくらいどってこと無かった。雄介くんにも確認したが、2つ返事でOKしてくれた。 「ごめんね、待たせてしまって」 「いえ!いつも貴文さんを待たせちゃってるので、ようやく先に来れました」 待ち合せの駅の改札前。 雄介くんの姿を見付けて慌てて走り寄った私に、屈託のない笑顔を向けてくれた。これから駅弁を購入し、特急列車に乗り込み目的地へと向かう。連休最終日だからだろうか、上り線のホームは混雑していたが下り線のホームは人が(まば)らだった。 それぞれ駅弁を購入すると、特急電車に乗り込む。全席指定席で雄介くんが窓側、私が通路側に座った。 「昨日はちゃんと寝れた?」 荷物を荷物棚に乗せながら聞くと、雄介くんは苦笑いしながら「ちゃんと寝れましたよ」と答えた。花見の時に楽しみ過ぎて寝られ無かった、と言って私に笑われたのを覚えていたようだ。 「誰かと旅行なんて、大学の卒業旅行以来なので楽しみです」 「社会人になってから一度も行かなかったの?」 「はい。なかなか機会が無くて…」 「そうか。私も久しく旅行なんて行かなかったから楽しみだよ」 『お待たせ致しました、発車致します。閉まります扉にご注意下さい』 シューッ、バタン アナウンスと共に扉が閉まったので、私も雄介くんも窓の外を見た。 ゴトリ、ゴトリ、ガタン、ゴトン―… ゆっくりと景色が動き始める。 列車のスピードと共に加速していく気持ちの昂り。 二人旅の始まりだ。 ゆっくりめに待ち合せたため、列車に乗って暫くすると昼時。周りでは同じように駅弁を買った人々がガサガサと弁当を開け食べ始める。 「ちょっと早いかも知れませんが、僕達も食べませんか?」 「そうだね」 宿での夕飯も気持ちいつもより早いため、昼食も早めに食べておいた方が夕飯を楽しめるだろう。先程駅で買った弁当を取り出す。 「「いただきます」」 蓋を開けると、弁当箱に詰められた様々なおかずの香りが混ざり食欲を刺激した。私は幕の内弁当。塩鮭、根菜の煮物、ひじきの煮物、卵焼きに、青菜のお浸し、ご飯の上にはごま塩と真っ赤な梅干しが乗っている。 雄介くんは鶏そぼろ弁当で、ご飯の上に鶏そぼろと卵そぼろが綺麗に敷き詰められており、おかずに青菜の胡麻和えと沢庵が入っている。 どれから食べようか悩んで、鮭に箸をつけた。 身は固めで、ちょっと塩気が効いている。思わずご飯をかきこんだ。米は冷めているにも関わらず、ふっくらと甘みがあって美味しい。 「美味いなぁ…」 「ほんと、美味しいですね」 雄介くんが美味しそうに鶏そぼろご飯を頬張りながら相槌を打つ。何気無い呟きに、返ってきた返事。少し驚いたが、嬉しかった。そんな小さな事が、目の前の弁当を何倍も美味しく感じさせる。 「あっ、卵焼き」 「ん?好きなの?1つ食べる?」 「いいんですか?」 「いいよ」と2つあった卵焼きの1つを彼の弁当に乗せた。 「ありがとうございます!貴文さんは、卵焼きは甘い派ですか?しょっぱい派ですか?」 「基本酒の肴っていうポジションだからしょっぱい派かな。雄介くんは?」 「僕は甘めです。お弁当に入ってる時はデザートみたいな感じで食べてました」 「成る程ね」 幕の内弁当に入っていたのは、甘めの卵焼きだった。これ以外のおかずがしょっぱいのでバランスを取る為なのだろう。 「貴文さん、鶏そぼろご飯食べます?」 「じゃぁ折角だから一口貰おうかな」 「はい」 お弁当箱に乗せるかと思いきや、雄介くんはご飯を箸ですくうと私の口元に持ってきた。手皿で受けてくれているが、今にもそぼろが落ちそうで私は慌ててパクリとご飯を頬張った。 「ん、おいひぃ」 口いっぱい頬張り、口元を手で覆う。 鶏そぼろはしっとりしていて、噛むとじゅわりと甘じょっぱい汁が出た。それが出汁の効いた卵そぼろに絡み、絶妙なハーモニーを奏でる。 「良かった」 嬉しそうに笑う雄介くんにつられ、こちらも自然と笑顔になった。 彼と友人になり、出掛けたり食事をする中で自分が普段いかに無表情だったかということに気付かされた。勿論、会社や得意先などで営業用の笑顔を作る事はあるが、それは意識しての事だ。自然に笑う局面などまずない。 一人で過ごすプライベートも、誰かと居る時ほど表情は豊かにならない。笑ったり、驚いたり、表情が変わると、心情の変化もより大きく感じる。 根菜の煮物、ひじきの煮物は出汁が効いていて美味しい。青菜のお浸しも程よい塩気とシャキシャキとした食感が良かった。 三分のニほど食べただろうか。 「あ、だんだん景色が変わってきましたね」 「本当だ」 早々に食べ終えた雄介くんが空き箱をビニール袋に入れながら、窓の外を見る。夢中で弁当を食べている内に特急列車は街中を抜け、田んぼや畑の中に民家が点在するような場所を走っていた。 出発から40分くらい経っていただろうか。私は残りの弁当を全て平らげると、空き箱をビニール袋に入れ、お茶を口にする。 私が残りを食べている間、雄介くんは無言でじっと窓の外を眺めていた。喋り過ぎない所も、彼と居て心地よく感じる理由の一つだった。 「魚とかいるんですかね?」 「どうかなぁ?」 列車はどんどん人里を離れ、山間に流れる渓流沿いをひた走る。透明度の高い川は幅が広く、大小様々な石や岩に囲まれている。水は所々岩にぶつかり、白い飛沫を上げていた。
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