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特急列車の為、目的地までの停車駅は1駅。
その停車駅を過ぎて暫くすると、車内アナウンスが目的地到着を知らせる。1時間40分、お弁当を食べたり景色を眺めたり話したりしていたらあっと言う間に過ぎていた。
「意外と早かったね」
「そうですね、何だかんだあっという間でした」
荷物をまとめ列車を降りる支度が終わる頃ブレーキがかかり始め、特急列車はゆっくりとホームに停車した。
「わぁ…!」
駅を出て少し歩くと、目の前に広がる温泉街。
雄介くんは歓声を上げた。
山間の大きな川沿いに立ち並ぶ旅館やホテル、土産物屋。確かにそこは非日常の景色だ。
「宿から迎えの車が来てくれるんだけど、まだ時間があるから温泉街をブラブラしようか」
「はい」
私達が宿泊する宿は温泉街から少し離れた山の中腹にある。街中の散策には不便だが、静かにゆっくり過ごせるのが魅力だった。それに、駅までは送迎の車も行き来しているので大して不便さは感じない。荷物もそんなに無かったので、荷物を手にブラブラと温泉街に繰り出した。
「街のいたる所に温泉がありますね!」
「ほんとだ…!」
ホテルの玄関先や公共の休憩所など様々な場所に足湯があり、観光客達が寛いでいる。連休最終日だったからさほど多くはないのだろうが、それでも観光地らしい賑わいがあった。民芸品に、特産品、そして
「あっ」
思わず小さく声を上げた。キョロキョロ周りを見ていた雄介くんがビクリ、と肩を揺らした。
「どうかしました?」
「ここ、見てもいい?」
視線の先に、大きな杉玉。そう、酒屋だ。
彼はニッコリ笑って「行きましょう!」と私の手を引いて中に入っていく。余りに自然な動きだっため、手が離れてから触れていた事に気付き一瞬呆然とした。
「あ、地ビール!貴文さん、焼酎もありますよ!」
「あ、ああ…」
先に商品棚に近付きあれこれ物色している雄介くんに呼ばれ、我に返る。手招きされてその棚の前まで行くと、日本酒程では無かったが何種類か地元産の原材料で作られた焼酎が置いてあった。
「あ、これ良さそうだな…」
手にしたのは地元の米を使った米焼酎。勿論、裏側で原材料の産地や製造元も確認した。値段も手頃だ。
「僕はこれ買います」
雄介くんが手にしていたのは3種類の地ビールが入ったセットだ。いずれも茶色い瓶に入っており、レトロなラベルが貼られている。
「それもいいね!」
「何なら帰ってからまたどっかで一緒に飲みましょうよ」
「ははは、ありがとう」
旅館中に、もう次の約束の話かと思わず笑ってしまった。しかし「次」を期待する自分が居ることは否定できない。
お互い会計を済ませ店を出ると、いい時間だった。そろそろ駅に戻らなければ迎えの車に乗り遅れてしまう。
「戻ろうか」
「はい」
ゆっくり歩いて駅に戻ると迎えの車が来ていて、宿泊予約している旨を伝え私と雄介くんは送迎の車に乗り込んだ。
蛇行しながら山道を登り続けて10分くらい経っただろうか。山の中腹の、少し開けた場所に出たと思ったら正面に旅館の入口が見えた。
「ようこそ、お疲れ様でございました」
古民家風の風情ある玄関を入りフロントにチェックインしに行くと、小袖姿の女将さんが丁寧に利用案内をしてくれた。
客は私達の他に9組ほど。部屋数が全10室の小ぢんまりした隠れ家的な宿で、宿泊者はいい大人ばかりだ。(別に子どもが泊まれない訳ではない)
チェックインが終わると、仲居さんが部屋に案内してくれた。荷物を持つと言われたが、大したものは無かったのでそのまま自分で持っていった。
旅館は横に長く平べったい作りで2階建て。古い日本家屋をリノベーションしたような作りだった。1階にフロント、内風呂、露天風呂、客室。2階は全て客室だ。食事は朝夕共に部屋食になっており、各部屋に専属の仲居さんが居る。部屋に着くと、仲居さんが早速熱いお茶を淹れてくれた。
「ありがとうございます」
「どうぞ、ごゆっくりお寛ぎ下さいませ」
浴衣や布団、部屋の備品などについて簡単に説明すると、三つ指を立て美しいお辞儀をし、彼女は部屋を出ていった。とりあえず荷物を置いて腰をおろし、熱いお茶をすする。
「あー…美味しい」
「しみますねぇ」
「まだ若いのに」
「へへっ」と誤魔化して雄介くんは立ち上がると窓の外を見た。私達の部屋は2階で、山の中腹にあるこの宿からは温泉街全体を見下ろす事が出来た。
「いい景色…!」
私も彼の隣に立ち温泉街を眺める。
はっきりとは見えなかったが、沢山の人が右へ左へ上へ下へと動くのがぼんやり分かった。
「…お風呂行こうかな」
「僕も行きます」
まだチェックインが始まったばかりだから、風呂ものんびりつかれるだろう。支度をすると、私達は風呂へ向かった。
10部屋しかない旅館だから、風呂の脱衣場もそう広い訳では無い。古いが清掃が行き届いており、クシや剃刀などの備品も充実していた。
カラカラカラカラ…
引き戸を開けて中に入ると、モワッと湯気が迎えてくれた。微かだが、温泉特有の香りがする。案の定他の客はおらず、貸し切り状態だ。
手早く洗い場で頭と身体を洗うと、ゆっくり湯につかった。
「何かちょっと、とろみがありますね」
「うん、お湯が柔らかいよね」
「あー気持ちいい…」
のびのびと手足が伸ばせると、それだけで気持ちいい。するすると滑らかな絹に触れているかのような肌触りの湯は、美肌効果は勿論の事、筋肉痛や関節痛、リウマチ他様々な効能があるようだ。
「そろそろ露天風呂行きますか?」
「そうだね」
ザバッと湯から上がると引き戸を開け、内風呂に付属している露天風呂へと移動する。移動と言ってもほぼ目の前だ。ゴツゴツした岩に囲まれた露天風呂は周囲が竹を編んだ衝立で目隠しされており、1箇所だけ空いた部分から周囲の山々と渓流を望む事ができた。
「いい景色ですね~」
この日何度目かの言葉に、私も大きく頷いた。
言葉が乏しくて申し訳無いが、他にどう表現していいのか分からない。本当に、どこを切り取っても絵になるのだ。
「そう言えば思ったんですけど」
「ん?」
手足を伸ばし遠くを見つめていた雄介くんが、急に私の方を向いた。
「貴文さんて学生時代に何かスポーツやってましたか?」
「え?ずーっと文化部だったけど?」
「えっ!?」
そんなに驚く事だろうか。
私が首を傾げると、雄介くんは「だって…」と続けた。
「細身だけど、ちゃんと筋肉ついてるから…」
「ああ」
そういう事か。
私の身体をまじまじと見ながら不思議そうに言う彼に、苦笑いしながら言った。
「うーんとね、大した事やらないんだけど、ジム行ってるんだよ」
「ええ?!」
そう。これは話していなかった。
と、言うより話す機会が無かった。実は健康維持の為、週3日は早く起きて近所にある24時間営業のトレーニングジムで軽くトレーニングをしてから出社しているのだ。
30代半ばから体型が気になり出し、通い始めた事がきっかけだった。私の場合、市販品のスーツが体型に合わずセミオーダーで作っている為、通常よりどうしても高くついてしまう。体型が変わる度に作り直していたらとんでもない出費だ。
ジム代は確かにかかるが、スーツを作り直す手間や自分の健康維持の事を考えると、こちらへの投資の方がよっぽど有用だった。
しかし本当に、大した事はしていない。
ストレッチ5分、20分ジョギング、30分マシントレーニング、ストレッチ5分、合計60分だけ。これを10年近く続けている。
「凄いじゃないですか!」
「いやいや。健康でお酒とも長く付き合いたいからね」と笑いながら言うと、彼も可笑しそうに笑った。
「それより雄介くんだって腕とかしっかりしてるじゃない?」
「そうですか?」
怪訝な表情で肘を曲げると、ポッコリと力こぶができた。思わず手で触れる。
「おー!固い固い!」
「うーん、品出しの時にペットボトルとか重い物持つからですかね…」
「ははは。十分じゃない?」
「貴文さんも、力こぶ見せて下さいよ」
「ん?はい」
「わ!固い」
「変わらないって」
悔しそうな表情の雄介くんが可笑しくて、声を上げて笑う。
「背も高くて格好良くて、筋肉あって、一緒にいて楽しいなんてズルいですよ」
「えっ、それ、僕口説かれてるの?」
褒めちぎられて恥ずかしくなり、冗談めいた口調で言うと雄介くんは顔を赤くして「違いますー!」と視線を逸した。
その時、カラカラと引き戸が開く音がして客が3人程露天風呂に姿を現した。
「だいぶ温まったな。そろそろ出ようか」
「そうですね」
入れ違いになるように私と雄介くんは露天風呂を出ると、着替えを済ませ部屋へ戻った。
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