第十七夜∶会席料理

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部屋に戻ると、窓側に置いてある椅子に座り冷たいお茶を口にした。本当はビールでも飲みたい所だったが、食事の時のお楽しみに取っておきたい。雄介くんも、私に倣ってお茶を飲んでいた。 オレンジ色の夕日に染められた温泉街は山の端から徐々にコバルトブルーに染まり、ちらほらと街灯が点き始める。山の方なので、私達が普段住んでいる場所より暗くなるのが若干早い気がした。 5月だが、日が落ちてくると若干肌寒く私は浴衣の上から丹前を羽織った。 「寒いですか?」 「少しね」 街中から外れているため、テレビを点けなければとても静かだった。大声を出している訳ではないのだが、会話する声がやけに響く気がして私は幾分か声のトーンを下げた。 廊下から、忙しない足音とカチャカチャという食器の音が聞こえる。 「夕飯、そろそろですね」 「楽しみだね」 「はい」 ―コンコン 「はーい」 「失礼致します」 先程お茶を淹れてくれた仲居さんが静かに襖を開け、三つ指を着いた。 「お食事の支度をさせて頂いても宜しいでしょうか」 「お願いします」 「失礼致します」 再びお辞儀をすると、仲居さんは大きな盆に載せられた食事のセットをテキパキと準備していく。私達は邪魔にならないよう、その様子を窓側の椅子に座ったまま眺めていた。 「普段自炊してると、上げ膳据え膳てかなり嬉しいですね」 「確かに」 何処となくはしゃいだ様子の雄介くんを見て、笑いながら頷いた。自炊とて大した物は作らないが、それでも準備して食べたら片付けて、という手間が発生する。 「お飲み物はどうされますか?」 ドリンクメニューを手渡され、二人して覗き込む。すると、先程見かけた地ビールがメニューにあった。 「これ、さっき雄介くんが買った地ビールじゃない?」 「あ、ほんとだ!」 「折角だし、これ飲んでみたいな」 「はい!」 彼は焼酎は飲まない。どうせ注文するならシェアできた方がいいだろうと思い、地ビールの飲み比べセットを注文した。 仲居さんがドリンクを用意しに行っている間に、食事が用意されたテーブルへと移動する。 「凄いなぁ…前菜だけでこんなにある」 「まだ天ぷらにお刺し身に焼き物に…沢山ありますよ」 「食べ切れるかなぁ」と雄介くんはお品書きを見ながら幸せそうな笑みを溢した。 「お待たせ致しました、地ビール飲み比べセットでございます」 仲居さんが全てのビールの栓を開け、テーブルに置いてくれた。 「お酌させて頂きましょうか?」 「ありがとうございます、後は僕達で適当にやりますので」 「畏まりました。何かありましたら何なりとお申し付け下さい」 そう言って仲居さんは下がっていった。 言った通り、お互いお酌をして… 「「乾杯」」 カチン、とグラスを鳴らしてお待ちかねのビールを一口。 「あー!美味しい!」 「我慢した甲斐がありましたね」 「本当に」 お互い顔を見合わせて笑う。 最初に口にしたのは、仕込み水に温泉水を使用したとうたっているビールだ。濃い茶色をしていて深い旨味があるが、後味はスッキリしている。 先ずテーブルに並べられていたのは、先付けと八寸だ。もずくの山芋寄せ、車海老 アボカド、よりうど、山葵、新じゅん菜 おくらととろ酢…などなど。パッと見て分からない物はお品書きを見ながら食べ進める。 「うどってこれですかね…ん、何か独特な香り。初めて食べます」 「うどは僕も初めて。シャキシャキしてて美味しいね」 どれも上品な味付けで、素材の味がよく分かる。 なるべく地元産の野菜を使っているだけあり、地ビールともよく合った。 「あ、グラス空いてますよ~」 「ありがとう。ほら、雄介くんもグラス」 お互いお酌をしながら食べ勧めていると、椀物、刺し身、煮物、焼き物が運ばれてきた。川沿いの温泉街にあるこの宿では、ヤマメの塩焼きはちょっとした目玉料理だ。 「うわぁ!身がふかふか」 「うん、美味しい!」 蛋白な身でありながら脂がのっており、絶妙な塩加減に引き立てられた旨味が口内に一気に押し寄せる。刺し身、椀物、煮物も丁寧な作りで盛り付けも美しく食欲をそそられた。 「いつも食べれればいいやって作ってるけど、五感で料理を愉しむってこういう事なんだよなぁ…」 「ふふっ、こんなん毎日やってたら疲れちゃいますって」 「確かにね」 ふわふわしだした雄介くんの様子を伺いつつ、2本目の地ビールを空け、3本目を開ける。一番色が濃く、重いラガーだ。 「あ、思った程苦くないですね」 「うん、飲みやすいね」 色ほど重くなく、飲みやすかった。これは焼き物や刺し身より揚げ物など味の濃い料理と合いそうだ。 そう思った時丁度、蒸し物、揚げ物、酢の物が運ばれてきた。ナイスタイミング。 「おっ、鮎じゃないか」 「可愛いサイズですね」 お品書きには、小鮎の香味天ぷらと書かれており、よく見ると3匹乗った小鮎の天ぷらはそれぞれ違う衣をまとっていた。 「大葉と、木の芽と…ゆかりかな?」 「食べてみます…あ、ゆかりです!美味しい!」 「じゃぁ僕は木の芽から」 木の芽と言えば田楽などに乗っているイメージだったが、天ぷらの衣に入れるとは。発想に驚きながら口に運ぶと、フワリと木の芽が香る。鮎も小ぶりながら木の芽に負けない存在感だった。 「うん、旨い」 クリスピーな食感でビールも進む。油っぽくなった口を、酢の物がさっぱりさせてくれる。蒸し物は見た目も美しく、上品な味付けで心を落ち着かせてくれる。 地ビール3本目が空になろうとした所で最後のご飯、止め椀、水物(デザート)が運ばれてきた。 「どうする?お酒追加する?」 「んー…やめときます」 雄介くん、10センチくらい浮いてるかな? 以前ネパール料理を食べに行った時よりふわふわしているような…。苦笑いしながら頷き、残りのビールを飲み干すとご飯と止め椀に箸をつけた。
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