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第二十五夜∶ダルバート
メンタルが低空飛行のまま、私は盆休みを迎えた。
ただでさえ精神状態が思わしくないのに、ここへきて憂鬱な連休。GW程長くないのがせめてもの救いだった。
平日はいつも通りスーパーへ寄っている。
雄介くんとも勿論会うし、話もする。彼自身によそよそしい態度を取られたり、避けられたりはしていない。しかし相変わらず一歩引いたような感じは忌めなかった。夕飯時のラインはたまに来たが、以前より確実に頻度が減っている。やはり、彼も距離を取りたがっているのだろうか…。
色々考えていてもキリが無いので少しでも気を紛らわそうと、朝からせっせと部屋の大掃除をしていた。しかし元より物も少く派手に散らかすような事も無かったので午前中には終わってしまった。
(……どうせ暇だし、散歩にでも出掛けるか)
掃除して、それなりに疲れた。散歩がてら、昼は外で済ませる事にしよう。身なりを整えると私は重い足取りで部屋を出た。
―快晴。
雲一つない澄んだ青空とは裏腹に、私の気持にはずっと雲がかっていた。時間を作ってお互い腹を割って話せばいいのかも知れないが、そうした所で彼は本心を語ってくれるのだろうか。当たり障りのない話くらいが、丁度良い距離なのだろうか…
(交友関係って、こんなに煩わしいものだっけ…)
違う。
きっと、煩わしくしているのは自分自身だ。
以前の距離感に戻す。関わりすぎない。
そう、割り切って付き合えばいい。
太く短くより、細くても長く。
狭く深くより、広く浅く。
(大丈夫、上手くやれる―…)
折角外に出たのだからと気分転換もかねて、ランチはネパール料理を食べることにした。
奇しくも、たまたま散歩に出た方面が以前雄介くんと一緒に行ったネパール料理店の近くだったのだ。新規の店を開拓しても良かったが、今の自分には生憎そんな気力は無い。
「イラッシャイマッセー!」
あの時と同じネパール人の若者が爽やかな笑顔で迎えてくれた。「オヒトリサマデスカー?」の問に頷くと、物置きと化したカウンター席の中で唯一物が乗っていない場所に案内された。テーブルは少し狭いが仕方ない。
「ゴライテンアリガトゴザマース!」
「ありがとう」
水とお絞りを受け取ると、私はメニューも見ずに「ダルバート、マトンでお願いします」とネパーリに微笑む。すると彼は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに満面の笑みになり「ワカリマシタ!オマチクダサーイ」と厨房にオーダーを通してくれた。
(あれからもう結構経つんだなぁ…)
確か以前来たのは花見の前、気付けは半年近く前になる。雄介くんと親しくなり話すようになってからは半年以上経っていた。全く、時の流れは早いものだ。
「オマタセシマシター!ダルバートデス!」
「ありがとう」
ランチタイムだったからか、料理が出てくるのもやけに早かった。大きな真鍮の皿に乗ったバスマティライス(長粒米)、パパド、アチャール(ネパールの漬け物)、サグ(青菜炒め)、チャトニ(ソース)、お椀のようなカトリ(器)の中にはダル(豆のカレー)、マトンカレー。これを少しずつ混ぜながら頂くと、味や食感の変化が楽しめるのだ。
「いただきます」
先ずはそれぞれのおかずとカレーを単品で少しずつ味わう。ここのダルバートは久しぶりだ。
大根と人参をスパイスで和えて発酵させたアチャール。その独特の酸味はゴマの風味でマイルドになっており食べやすく、ほうれん草のサグはニンニクと塩が効いていてこれだけで米が食べられる。ダル(レンズ豆のカレー)がサラサラであっさりなのに対し、マトンは少しトロミがかっていてコクがある。どちらもスパイスがホールで使われており香りが豊かだ。
次はパパドを粉々に砕いてバスマティにふりかけ、ダル、チャトニなどと混ぜながら食べる。複雑な味が混ざり合い、上手く調和して旨味が足し算されていく。
(美味い…)
カレーの辛さにじんわり汗ばみながら、夢中でスプーンを動かす。次はマトンを混ぜて、次はアチャールも混ぜて…山盛りあったバスマティはどんどん消えていった。
「美味かったぁ…」
完食まで、あっと言う間だった。
食後に注文したチャイを飲みながら、久しぶりに食べることに集中したなと思い苦笑いした。
ゆっくりチャイを飲みながら、暫くボンヤリする。キッチンの中では恰幅の良いネパール人の店主が汗だくになりながらフライパンを振っていた。ガコンガコン、カーン、トントン、と賑やかな音を聞きながら目を閉じる。
雄介くんとの関係は、同性だし恋愛とは違うものだが、それもまた嗜好品のようなものだったのかも知れない。甘く心地よく、中毒性がある。
しかしその関係は、こちらが一方的に距離を詰めただけでは成立しない。「お互いがお互いを同じように必要とした時」に成立するのだ。
(やはり私も、一歩引くべきだよな…)
温くなったチャイを飲み干して、私は店を後にした。
(まだ少し早いけど、夕飯の買い出しがてらスーパー寄って帰るか)
ここからスーパーまではのんびり歩いて20分程。丁度良い腹ごなしになる。私は家を出た時よりいくらか軽い足取りでスーパーへと向かった。
(まだ時間も早めだし、値引きは無いかも知れないな…)
スーパーに着くと、そんな事を考えながらカゴを取り店内を物色し始める。ランチで食べたダルバート満点だったため、夜も然程腹は減らないだろう。肉や魚は控えて、今日の夜はヘルシーに済ませるつもりで野菜コーナーを覗いた。
(お。野菜はこんな早い時間から見切りが出てるのか…)
かぼちゃ、オクラ、レタス、大根、トマト、茄子…なかなかなラインアップだ。パッと浮かんだのは大根おろしだったが、さて、どうしようか。
「あれっ、永井さん!」
「あっ、加藤くんお疲れ様」
野菜コーナーをウロウロしていると、雄介くんが声をかけてくれた。
「珍しいですね、こんな時間にいらっしゃるの」
「休みだからね。たまたま外出したついでに寄ったんだ」
「あ、そっか。世間はお盆休みですもんね」
「スーパーの休みが年末年始くらいしか無いから、休みの感覚が無くて」と苦笑いする。
うん、いつも通りの雄介くんだ。
「世間が休みなのに大変だね、お疲れ様」
「ありがとうございます」
「加藤さーん!」
雄介くんが何か言いかけた時、レジから彼を呼ぶ大きな声が聞こえた。
「すみません」
「うん、じゃぁまた」
雄介くんは走ってレジの方に向かった。
―カチン
「あ」
走り出した瞬間ポケットに入っていたボールペンが落ちてしまったが、彼は気付かずそのまま行ってしまった。私はボールペンを拾い上げると、それを届けようとレジに向かった。
「ここまでくると、エラーが出ちゃうんですよ…」
「ちょっと待っててね。えーっと…」
どうやらレジが上手く動かないらしい。
雄介くんはレジに向かって何やら作業をしている。その隣には、例の若い女の子が作業の様子を覗き込んでいた。私が声をかけるタイミングを見計らっていると、先に女の子が私に気付いたようだ。
「あっ、この間のオジサン!」
「え?あ、永井さん?…って、真中さん、お客様に向かって『オジサン』は失礼だよ」
「すみません」
エヘヘ、と笑う彼女は傍から見たら愛嬌のある可愛らしい女性なのだろう。
「すみません、気付かなくて」
「いや…このボールペン、加藤くんのだよね?」
「あ、はい!ありがとうございます」
雄介くんがボールペンを受け取ると、真中さんが「あ」と小さな声を上げた。
「この間プレゼントしたボールペン、使ってくれてるんですね!」
「あ、うん…」
「嬉しいです」
ニコニコする彼女に対し、困ったように笑う雄介くん。この間雄介くんの態度が素っ気ないと真中さんは言っていたが、上手くやっているみたいじゃないか。良かった、と思いつつも気持ちの何処かに蟠りが残るのは何故だろう…
「じゃぁ」
「あ、ありがとうございます!」
何と無くそれ以上そこに居られなくて、私はボールペンを渡すとカゴを戻しスーパーを後にした。
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