休肝日∶缶コーヒー

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休肝日∶缶コーヒー

(あ、今日も来た) 永井さんの名前を知る、少し前の話。 最近、平日18時近くなるとほぼ必ずやって来る男性客がいた。圧倒的に女性客が多い夕方のスーパーで、その姿は異様な程浮いている。 中年ぐらいで背が高く、いつもきっちりスーツを着込んでいた。靴や持っているものも決して安物では無さそうなのに、買っていくのは見切り品ばかり。見た目だけでなく、そのギャップにも僕は興味津々だった。一体どんな人なんだろう… 僕、加藤雄介(かとうゆうすけ)は大学卒業後、マルトミスーパーに就職して8年目になる。今の店舗に移動してきたのは一昨年の4月で、来て早々副店長に任じられた。と聞くと、随分早い出世だと思われがちだが、実は1つの店舗には社員が2人から3人(大型店舗は5人)しかおらず、今僕が勤めている店舗も、社員は店長と僕の2人だけだった。後は勤続年数の長いベテランのパートリーダーさんが各売り場に居て、仕入れなどの指揮を采ってくれている。 4年目からは転勤先の希望が出せる為本社勤務を希望していたが、たまに同期と集まって飲み会などするとどこの店舗も万年人不足らしく、望みは薄い。 しかし現場も8年目になると、寧ろこちらの方が性に合っているのではないかという気さえしてくる。本社で仕事した事無いけど。 改めてレジから様子を伺うと、例の男性客は念入りに売り場を見て回っている。その姿は正に主婦だった。最初は、弁当や惣菜や酒を買って帰るんだろうな、と思っていたが、たまたま自分が担当するレジに来て、見て、ビックリ。 (普通に生肉買うんだ…) 豚の小間切れ肉のパックをスキャンしながら、チラリと顔を見る。失礼だが、とても料理するようには見えなかった。 普通に会計を済ませて出ていく。買っていったものは、豚肉(値引き品)、キムチ、ネギだ。今夜は豚キムチでも作るのだろうか。客の事をあれこれ詮索するのは良くない、と思いながらも、興味を持ってしまったものは仕方なかった。 最初に見かけた日から、半月程経った頃。 土日以外はほぼ毎日見かけるので、どちらともなく挨拶を交わすようになっていた。しかし、それ以上でもそれ以下でもなく、ただ本当に挨拶をするだけ。 シフトによってレジだったり、店出しだったり僕自身も店内に居る場所が日によってバラバラだったから、見掛けない日もあった。 そんな折、レジに入った日の事だった。 いつもの男性客が僕のレジに来た。 「こんばんは」 「あ、こんばんは」 先に挨拶をすると、男性客は穏やかに笑って挨拶を返してくれた。いつも通り、レジを済ます。今日は客が少なく、レジも空いている。後ろに客が並んでいない事を確認して、声をかけてみた。 「あの…よく店に来て下さってますよね?」 「えっ、ああ、うん」 話しかけられた事がよほど意外だったようで、男性客は驚いたように僕を見た。 「ポイントカードって作りましたか?」 「ポイントカード?」 当たり障りの無い内容で…と思い、ポイントカードをネタにする。 「はい、よく来てくださるから、作って頂くとお得かなって」 「来るけど…使う金額自体は知れてるよ?」 「少なくても、回数が多ければ少しずつですけど、溜まりますよ」 「うーん」と少し考える素振りをした後「じゃぁ、君がそこまで言うなら」と苦笑いしながらもポイントカードを作ってくれた。少しだけ申し訳なく思ったが、話せた事に満足した。手早くカードを用意すると、男性客に渡す。 「毎回会計の時に出して下さいね。期限はありませんので」 「ありがとう」 カードをサイフにしまうと、荷詰め台の方に移動した。しかし何を思ったか、男性客は買ったものをエコバッグに詰めると、すぐこちらに引き返してくる。何か不備があったのだろうかと不安になった。 「あの、何か不備がありましたか?」 「違う違う。これ、良かったら」 「え?」 手渡されたのは、缶コーヒーだった。 キョトンとしていると、少しだけ声をひそめて男性客は言った。 「出先で貰ったんだけど、ブラックしか飲めなくてね…捨てるのも勿体なくて困ってたんだ。押し付けで申し訳ないが、飲めそうなら貰ってくれないかな?」 思わず、缶コーヒーと男性客を交互に何回か見てしまった。缶には確かにミルク、砂糖入りと書いてある。少し躊躇った後、「大丈夫です」と返事をすると男性客はホッとしたように「ありがとう」と言って、すぐ店を出ていってしまった。 (益々不思議な人だなぁ…) 後ろ姿を見ながら、貰った缶コーヒーをそっとポケットに入れた。
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