第二十八夜∶寿司

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第二十八夜∶寿司

(…疲れた) 出張3日目にして、私の疲労はピークに達していた。 全く見知らぬ人達と共に、ホテルで丸2日缶詰め状態の研修会。研修の内容自体はそれなりに充実していて勉強になったが、グループディスカッションやロールプレイングなどで気疲れしてしまった。 そして、極め付けが研修会後の懇親会だった。 ホテルの広間を貸し切っての、立食パーティ。しかも2日間もあったのだ。参加人数が多かった為、満遍なく交流できるようにとの主催側の配慮(・・)だった。交換した名刺は数知れず、部屋に戻った私は貰った名刺を確認もせずケースの中に押し込んだ。 そして、3日目。 今日は健康食品を始めとするヘルスケア商品の企業向け展示会だった。港近くの大きな展示場内を1日中歩き回った為脚はパンパンだ。手にサンプルとパンフレットが入った紙袋を幾つもぶら下げ、私は重たい足を引き摺るように宿泊するホテルにチェックインした。 折角の出張最終日、外に食べに出ようかと思ったがそんな元気は残っていない。 (早く帰りたい…) 部屋に入るなり半ば放り投げるように紙袋を机に置いた。スーツだけハンガーにかけネクタイを緩めると、ベッドにゴロンと横になる。 もう一歩も動きたくない… しかし、沢山歩いたせいで腹だけは減っている。 研修で宿泊していたホテルにはルームサービスがあったが、値段が高い為今日はカジュアルなビジネスホテルに移動していたのだ。自力で何とかするしかない。 (確か2階にレストランが入ってて、1階はコンビニが隣接してて地下は駅……あ!) そうだ、思い出した。 このホテルは地下鉄の駅に直結しており、そのまま地下街に入る事が出来る。調べてみると、多くは無いが食べ物のテイクアウト専門店もあるようだ。 (テイクアウトして、部屋でゆっくり食べるか) レストランでの食事も良いが、シャワーを浴びてサッパリしてから人目を気にせずゆっくりご飯を食べたい。私はやっとの事で身体を起こすと、財布とスマホだけ持ち地下街へ向かった。 (トンカツ、天心、カレー、寿司、惣菜、パン…ふむ) 限られたラインアップではあるが、悪くない。 店頭に並ぶ食品サンプルを眺めながら暫し考える。 (今日は頑張ったご褒美ご飯だから…奮発して寿司にしよう) 悩んだ結果、二千円の寿司折を購入した。帰りにコンビニに寄ってビールも忘れず手に入れる。 急いで部屋に戻ると熱いシャワーを浴び、ホテルのルームウェアに着替えた。 「ふぅ……いただきます」 ようやく落ち着いた。 私は椅子に座りビールの缶を開けると、一気に半分程飲み干した。 「あぁー…」 最初の一口の美味しいこと。 疲れた身体に染み渡っていくようだ。 さてさて、と期待して奮発した寿司折の箱を開ける。 (まぐろ、エビ、ハマチ、鯖、穴子、鰻、帆立、赤貝、イカ、卵…さて、どれから食べようか) まぐろは2貫、エビは茹でエビと生エビの2種類、鯖は炙りになっている。二千円にしては十分な内容だった。迷った末、先ずは2貫入っていたまぐろを口にする。 (んー!美味い) 寿司屋で食べる程ではないがネタもそこそこ新鮮で大きく、少し固めに炊き上げられた酢飯とよく馴染んで美味い。普段の晩酌で刺し身を買うことはあったが、寿司は久しぶりだった。 1貫食べると、不思議なことにどんどん腹が減ってくる。私は立て続けにイカ、エビを口にした。そして、ビール。これぞ、ご褒美メシだ。 束の間の満足感に浸りながら卵に箸を伸ばす。実家や自分の作る卵と違い、少し甘めの味付けの卵は旅行の時に食べた弁当に入っていた卵焼きを思い出させた。 (…会いたいな) 甘い卵を噛み締めながら、浮かんだのは彼の顔。 急な出張だっため、お盆の最終日に会って以来スーパーにも行けなければ、連絡すらしていなかった。別に常連客の一人が何日か来なかったくらい、気にも留めないだろう。そう思うと少し寂しい気もしたが、事実彼から連絡が来ることも無かった。 少しずつ是正されていく距離に寂しさを覚えつつ、これでいいのだと自分に言い聞かせる。 「重症だな…」 一人呟き、苦笑いした。 この関係が嗜好品だとしたら、とっくに中毒になっている。簡単に抜け出せそうには無かった。 明日、ようやく帰ることができる。 急な出張だった為、明後日は休みになっている。明日帰ったらその足で会社に寄って、報告書まで作ってしまうつもりだ。 (会社の帰りにスーパーに寄ろうかな…) スーパーでなら、客と店員として上手く距離を保ち会うことができる。夕飯の買い物もできるし、雄介くんにも会える。一石二鳥だ。勿論、彼が出勤していて、たまたま売り場やレジに居ればだが。 ―ピコン (…ライン?雄介くんからだ) 『お疲れ様です。 ここ何日かスーパーにいらっしゃってませんが、何かありましたか?体調崩したりしてないですか?』 (嬉しい…気にしてくれていたんだ) 思わずニヤける口元を押さえた。酒を飲んでいる上疲れ過ぎていておかしな内容にならないよう、注意してメッセージを作成する。 『お疲れ様。 心配かけてごめんね。急な出張が入ってしまって。 明日の夜には帰ります』 送信すると、すぐ返事が返ってきた。 『そうだったんですね! お疲れ様です。帰ったらゆっくり休んで下さいね』 メッセージと、それから「お疲れ様です」のメッセージが付いたスタンプ。たったそれだけのやり取りだったが、疲れがいくらか吹き飛んだ気がした。 (…やっぱり明日、スーパーに寄ろう) 余計なメッセージを送らないように『ありがとう』『お休み』のスタンプだけ送信すると、私は食事を再開した。 早く、明日にならないかな…
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