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休肝日∶オムライス
会いたい気持ちが強くなりすぎて、とうとう幻を見たのかと思った。
貴文さんが出張から戻ってくると言っていた日。
恐らく疲れているだろうし、スーパーにはまず来ないだろう。僕はいつも通り仕事で、夕方に野菜売り場で値引きシールを貼る作業をしていた。
(ふぅ…今日はやたら多いな。ゴーヤって人気無いのかなぁ…)
シール貼りに夢中になっていると、ガラガラとやたら大きな音がして顔を上げる。
「あ……」
「………え?」
目の前に、キャリーバッグを引いた貴文さんが居た。今日は絶対来ないだろうと思っていた僕は、会いたくてついに幻が見えてしまったのだろうか、と何度も瞬きして目を擦った。
「こんばんは、加藤くん」
聞き慣れた、優しい声。
「永井、さん……あれ?本物…?」
「はははっ、どういう事?」
貴文さんは可笑しそうに笑ったけれど、まだ俄に信じられずじっと貴文さんの方を見ていると、貴文さんは近付いてきて、僕の手に指先だけでそっと触れた。
「ほら、本物」
「本当だ…」
驚いた。本当に本物だ…。
その指先から伝わる温かさが嬉しくて、思わず貴文さんがが引っ込めようとした手を捕まえてギュッと握った。
「加藤くん…?」
戸惑う貴文さんの声に気付きながらも、その手を離せないでいた。ここに貴文さんが居ることを、もう少しだけ、あと、少しだけ…感じていたかった。
「本物の、永井さんだ…」
「うん」
そう呟くと、貴文さんは幼子を宥めるように優しく返事をして頷いた。
「…手、離さなくていい?今仕事中でしょ?」
「あ!すみません」
ハッと我に返り、手を離す。
しまった…近付き過ぎた。
ずっと手を握ってしまって
嫌な思い、しなかったかな…。
「お仕事の邪魔しちゃったみたいでごめんね」
「いえ!全然!…出張、お疲れ様でした」
そんな事ない、引き止めてしまったのは僕の方だ。出張で疲れているのに申し訳無いと思いながら、会えて嬉しい気持ちがそれを上回ってしまった。
「ありがとう。今から夕飯の買い物するから、またね」
「あ……はい」
本当はもっともっと話したかったし一緒に居たかったけれど、貴文さんも疲れているだろうし、僕も今は仕事中だ。思わず伸ばしかけた手を引っ込め無理矢理笑顔を作った。
「お疲れ様でした」
仕事を終え、事務所を出る。
久しぶりに貴文さんに会えて嬉しい筈なのに、何故か複雑な気分だった。自分でも、何と言っていいか分からない。
―ヴーッ、ヴーッ
店を出た所でスマホが着信を知らせた。画面を確認すると、妹の沙織からだ。店の軒下に入ると、通話ボタンを押す。
「もしもし」
「あっ、お兄ちゃんお疲れ様!仕事は?」
「今終わったとこ。何だった?」
「家の事でちょっと話したい事があるんだけど、
近々こっち来れない?」
「え…電話じゃダメ?」
「うーん、内容的にちょっとね」
本当はあまり気が進まなかったが、仕方ない。
「……分かった」
「忙しいのにごめんねー!ありがとう!
で、いつ来れそう?」
「早い方がいいんなら明日休みだから
そっち行けるけど」
「ありがとう、助かる!
あ、実家じゃなくて家に来てね」
「了解」
「じゃぁ明日ね!お休みー」
―プツン
そう言うと一方的に電話が切れた。
ただでさえ実家に行くのは少し憂鬱なのに、よりによってこのタイミング。正確に言うと実家ではなく、実家から徒歩1分の距離にある妹夫婦のマンションだが、きっと実家にも顔を出すことになるだろう。僕は小さく溜息をつくと、スマホをしまい帰路についた。
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