休肝日∶オムライス

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―翌日 「いらっしゃい!」 「お邪魔しまーす…」 妊娠6か月だっただろうか、次第に目立ち始めるお腹をさすりながら妹の沙織は満面の笑みで迎えてくれた。 妹夫婦の新居に訪れるのは2度目だ。1度目は結婚後間もない頃、新居祝いだったか結婚祝いだったかを持ってきた時だったから、1年以上前になる。二人暮らしには十分な広さの部屋の一角には早くもベビー用品が置かれており、子どもを心待ちにしている様子が伺えた。 (……次に来る時は出産祝いか) 結婚して、子どもができて。 どんどんライフステージが変わっていく妹は、自分よりきっとずっと先にいて、自分は実家との距離がどんどん離れていく…時折思う、僕はこれからどうしたいんだろうと。 仕事に関してはやりたい仕事に就く事が出来たし、キャリアアップを目指して日々奮闘する中で楽しさや充実感は感じている。しかし、プライベートはどうだろうか。もう何年も、自分はずっと同じライフステージにいる気がする。不可逆ではあるが、かと言って次のステージに進んでいる訳でもない。 「…ちゃん、お兄ちゃん!どうしたの?」 「あ…ごめん」 「大丈夫?」 「うん」 妹に呼びかけられハッと我に返ると、苦笑いしながらリビングの椅子に座った。程なくしていい香りが部屋に漂ってくる。どうやら珈琲をたててくれているようだ。 「お腹の子は順調?」 「お陰様でね」 ゆっくりドリップする珈琲を見つめる妹の表情は穏やかで、そして幸せそうだった。 「はい、ブレンド。店と同じやつだよ」 「いい香り…ありがとう」 「普段インスタントばっかりなんでしょ?」 「まぁね…珈琲は飲みたいけどドリップする暇も気力も無い」 「てか、ドリッパー無いし」と言いながらカップを口元に近付けると、インスタントとはまるで違う珈琲のいい香りがした。 「えっ!?じゃぁこの前仕送りに入ってた珈琲豆(挽いたもの)はどうしたの?」 「あー、あれ、貴文さんに持ってってもらった」 「貴文さん?」 「あ…」 しまった。 話の流れで名前を出してしまった。キョトンとする妹に、僕は渋々説明をした。 「ほら、花見の時に一緒にいた永井さんの事だよ。仕送りがあまりに多くて僕だけじゃ消費できなかったから、色々貰ってもらったんだ」 「ふぅん」 「ほら、それより家の用事って?」 推し量るような妹の視線に耐えきれず外方を向くと、ぶっきらぼうに言い放つ。 「あ、そうそう!これなんだけど…」 テーブルの端に寄せてあった書類を手元に引き寄せ、妹が説明を始めた。 「そういうことだから」 「うん、分かった」 妹の話は実家の店のこれからに関する内容や書類で、確かに電話で伝える事は出来ない重要なものだった。途中珈琲のおかわりを貰い、気が付くと2時間近く話をしていたようで既に昼を過ぎている。 「どうする?食べてく?」 「いや、いいよ。妊婦に無理させらんないし」 「何で私が作るのよ。店で食べるの!ついでに父さんと母さんに顔見せてきなよ」 「え…でも今昼時で忙しいだろ」 「あと1時間もすれば落ち着くわ」 「それまで待てと?」 「ね、お兄ちゃんは今付き合ってる人とかいないの?」僕の質問には答えず妹は身を乗り出した。穏やかになったとは言え、昔から僕に対して気が強く強引な所はあまり変わっていないようだ。 「え…いないよ」 「そっかぁ。寂しくなったりしない?」 「別に…」 周りがどんどん結婚し、子どもができたりする中で僕は心配されているのだろうか。心配してくれる気持は有り難いが、幸せなんて人それぞれだと思う。すると、妹はまるで僕の心を読んだかのように「別にお兄ちゃんがそれでいいなら、私は構わないけどね」と言った。 「友達もいるみたいだしね」 「友達……ね」 恐らく先程名前が出てきた貴文さんの事を言っているのだろう。 「沙織はさ、良典の事いつから好きだったの?」 「えっ」 「ほら、僕たちずっと3人で『友達』としてつるんでただろ?いつから意識するようになったの?」 「急に何?」と怪訝な顔をしたが、少し考えてから妹は口を開いた。 「正直、正確にはいつからとか分からないんだけど…高校生くらいかなぁ?」 「え!そんな前?!てか、高校の時彼氏いたじゃん!」 「まぁね。でもほら、別々の高校通うようになってさ、毎日のように会ってたのが急に会えなくなったじゃない?何と無く寂しいなぁって思ったし、偶然会えると嬉しくて」 「それは、まぁ…。でも、それは友達も一緒じゃない?」 「うん。だから、私も最初は多分『好き』って感じでは無かったんだよね。だけど、よしくんが他の()と仲良さそうにしてたりするのを見ると、胸がモヤッとしたというか…今思えば嫉妬だったんだろうけど」 「友達には嫉妬したりしないでしょ?」と言われて頷く。 「でも、その嫉妬だけで自分が良典の事好きだって気付いたの?」 「……やけに突っ込んで聞いてくるね。まぁ、いいけど。確かに、嫉妬だけじゃ自分がよしくんの事『好き』かどうかは分からなかった。でも、嫉妬が始まった辺りからもっと一緒にいたいな、とかもっと自分だけを見てほしいって思い始めたんだよね」 ―ドキリ 僕の心臓は跳ね上がった。 それは、今僕が貴文さんを見ている時の感情とまるで同じだったからだ。 「沙織にとって、友達と恋人の違いは?」 「友達と恋人では求めるものが違うし、恋人はお互いがお互いを同じくらい必要としていること、かな」 求めるものの違い お互いを同じくらい必要としている事、か… ざっくりした回答だったが、僕は十分納得した。確かに一方通行では関係は成立しない。それは友人関係とて同じ事だが、恋人になると繋がりも深くなるから求める内容も濃くなるし、多くなる。それだけお互いが求め合い、それに応えられる気持ちが無ければ関係は続かない。 「付き合いたいって言ったの、沙織からだっけ?」 「ん?そうだけど」 「怖かったり、躊躇ったりは無かった?」 「何が?」 「想いを告げる事で、今までの関係が変わる不安とか、いい返事を貰えないかも知れない事とか」 「いや?」と彼女は首を傾げ、ズバリ言い放った。 「たとえ断られても友達でいられると思ったし、もし想いを伝えないままよしくんが他の女の子と結婚する事になったら、絶対後悔すると思ったから」 「そっか…」 妹は強い。肝が据わっている。 きっと恐れが全く無かった訳ではないだろうし、かなりの勇気が必要だっただろう。しかし、彼女は伝えずに後悔するより、想いを伝える方を選んだのだ。たとえ、その想いが実らなかったとしても。
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