休肝日∶オムライス

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―シャランシャラン 「ただいま」 年季の入ったドアノブを押し開け、店の中に入った。 店内にはランチタイム終了間際に入って来たであろう客が、食後の珈琲を飲んでいる所だった。チラリと僕を一瞥すると「ママさん、お勘定」と席を立つ。どうやら常連のようだ。 「はぁーい!」と普段より1オクターブくらい高い声で母が返事をし、喫茶のキッチンから出てきた。僕の姿を見ると「適当に座ってて」と言って客の会計を済ます。 「マスター、ご馳走さま」 喫茶のキッチンの奥にある厨房を覗き込み父に挨拶すると、客は店を後にした。帰り際にもう一度顔を見たが、見たことの無い顔だった。恐らく僕が家を出て行ってから常連になったのだろう。 「久しぶりね、雄介!」 「うん…なかなか顔出せなくてごめん」 母は会計を終わらせてから、そのまま午前中の伝票をまとめている。 「仕方ないわよ、忙しいんでしょ?」 「いつものでいい?」と聞かれて頷くと、母は厨房に向かって「オムライス1つ!」と大きな声で叫んだ。伝票を纏め終えると、先程まで客が座っていた席を片付け始める。 「元気そうね。自炊始めたんですって?調子どう?」 「忙しい時はできないけど、まぁ、それなりにやってるよ」 「そ。良かったら店で読まなくなった古雑誌持ってく?料理雑誌、いくつかあるよ?」 「…いや、いい。ありがとう」 テキパキ動く母の横で、何と無く身を小さくしてそれを見ていた。 傷だらけのテーブル、脚がすり減った椅子、くすんだ照明。タバコの煙で変色した壁、ロールカーテンにまで染み付いた珈琲の香り。確かにそこは自分が産まれ育った場所なに、今はまるで知らない場所のように思えてしまう。 …もうここは、昔僕が過ごした店じゃない。 「お待たせ」 ぼんやり時計を眺めていたら、ドン、と目の前に鮮やかな黄色と真っ赤なケチャップのオムライスが出てきた。持ってきてくれたのは母ではなく、コックコートを着た良典だった。もう片方の手にもオムライスを持ち「一緒していい?」と向かいに座る。 「ああ」 「マスターが折角だから一緒に食ってこいって、俺の分も作ってくれたんだ」 「そっか、お疲れ」 元々体育会系で骨太な良典は食べる量も多い。目の前のオムライスは、僕のオムライスの軽く2倍はあった。「いただきます」と声を揃えると、忙しなくスプーンを動かし始めた。 「…何か、変な感じ」 「何が?」 「良典がコックコート着てるの」 チラリと良典を見て言うと、彼は照れたように笑った。 「実は俺もまだ慣れてない」 「1年以上経つのに?」 「元々全然縁のない業界にいたからなぁ…」 食べる手は止めずに良典は言った。妹との結婚が決まるまでは普通の会社に勤めていた事は知っているが、何の会社だったかは知らない。 「修行は順調?」 「うん、マスターもママさんもよくしてくれてるよ」 「そっか」 「ゆーくんは?仕事は順調?」 「…うん、それなりに」 それ以降は大した会話もせず、僕達は黙々と目の前のオムライスを口に運んだ。 「やっぱりマスターの作るオムライスは絶品だなぁ」 笑顔でオムライスを頬張る良典の目の前の皿は、半分以上空になっていた。僕は無言で頷きながらスプーンを動かす。 子どもの頃から、父が作るオムライスが大好物だった。 カッチリ固めに焼き上げられた黄色の卵の中には真っ赤に染められたチキンライスがパンパンに詰まっていて、チキンライスの中にはよく炒められた玉ねぎと、たっぷりの鶏肉が入っている。パンパンに詰まっているくせに中のチキンライスはふわっと軽くて、いくらでもたべられそうだった。 (…父が作るこの味も、いずれ良典の味に変わっていくんだろうな…) 代替わりが嫌な訳では無い。 寧ろ、出ていってしまった自分の代わりに店を継いでくれる良典には感謝しかない。店が無くなる訳では無いが、やはり寂しい気持は拭いきれなかった。 今両親は店の2階に住んでいるが、いずれはリノベーションして妹夫婦と同居する話も出ているそうだ。その時に備えた相続の話や諸々、先程妹と話してきたばかりだった。 もしそうなれば、僕にとって実家はもう実家ではない別の場所になってしまう… 人が、場所が、移り変わっていく。 この空間において、自分だけが時の流れに取り残されているような気がして辛かった。 残りわずかになったオムライスをスプーンに乗せて頬張る。様々なものが移り変わる中で、昔から変わらない味。それは僕をひどく安心させた。 「心配しなくていいから。雄介は雄介のやりたい事を頑張ればいい」 家を出る日、父はそう言ってくれた。 「いつでも好きなときに帰ってきていいからね?あなたの実家(うち)なんだから」 母も、そう言ってくれた。 優しい両親だと思う。 だからこそ、早く自立して立派にやっている姿を見せたかった。就職して、転勤して…家族も友達もいない中で一人で頑張っていた。そんな日々を過ごす中で貴文さんと出会って「友達」になったのだ。 最初は、本当に興味本位でどんな人か知りたくて声をかけた。でも、知れば知るほどその人柄に惹かれていって。側にいると、安心した。居心地が良かった。 ……似た者同士だったからなのかも知れない。 (会いたいな……) 「……ありがとう。ご馳走様でした」 空になった食器を下げようとした良典の手を制して、自分で皿を厨房に運んだ。 「…元気でやってるか」 「うん…」 「なら、いい」 昔から職人気質で無口な父はあまり喋らない。 今日もそれだけ返事をすると、作業に戻ってしまった。厨房を出て喫茶のキッチンにいる母に顔を出す。 「ご馳走さま。ありがとう」 「また顔出しなさいよ?」 「うん。良典も、頑張れよ」 「ありがとう」 二人に挨拶し、僕は店を後にした。
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