第三十夜∶ツナとレタスの卵炒め

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第三十夜∶ツナとレタスの卵炒め

(こんな時に限って…) 午後のうだるような暑さの中、私は歩いてドラッグストアに向かっていた。 昨日出張から帰り、今日は1日休み。 疲れが抜け切らず昼過ぎにようやく起きた私は、洗面所に立つと歯磨き粉を切らしている事に気が付いた。出張前バタバタしていて買うのを忘れていたようだ。生憎ストックもしていない。 「あー…」 私は鏡の前で項垂れた。 とりあえず何も付けずに歯を磨き、口内洗浄剤で誤魔化すがやはりスッキリしない。今日は1日家に居るつもりだったが仕方ない。買いに行こう、と適当に身なりを整えると駅前のドラッグストアへと向かった。 買い物を終え、ドラッグストアから出て駅を通り過ぎようとした時だった。 「貴文さん…?!」 「えっ」 あまりに驚きすぎて、ドラマみたいな偶然って本当にあるんだなぁ、と呑気な事を考えながら何故か目の前にいる雄介くんの顔を呆然と見詰める。 言葉を返す前に後ろからの人混みに押され、立ち止まっていた雄介くんは改札の外に押し出された。 「貴文さん…何でこんな時間に、駅に?」 「今日休みで、歯磨き粉切らしたから買いに。雄介くんこそ…」 「妹に呼ばれて実家に行ってきた帰りです」 「そっか、お疲れ様」 気の利いた言葉も浮かばず不自然に間を持て余していると、雄介くんが口を開いた。 「あの…この後は家に帰られるんですか?」 「ん?ついでだからスーパー寄ってから家に帰るよ」 「……少し、お話できませんか?」 思ってもいなかった雄介くんの言葉に、私は大きく目を見開いた。 「あの、迷惑じゃなかったら……ごめんなさい、出張から帰ってきたばかりで疲れてますよね…」 弱々しくなる語尾と、必死に泣くのを堪えて笑っているような表情に胸が締め付けられ、私は頭を横に振った。 「前にも言ったけど、雄介くんの事を迷惑だなんて思った事は一度も無いよ。……僕もずっと話したかったし」 「ありがとうございます…!」 俯き気味だった雄介くんが顔を上げた。 「とりあえず話すにしてもここは駅だし、何処か店にでも…」 「いや、それには及びません。一緒にスーパー行きます」 「えっ、いいの?だって休みなんでしょ?休みの日にまで職場行かなくても…」 「貴文さんとお話できるなら、何処でもいいんです」 そう言って、ニコリと笑った。 しかしその微笑みの中にいつもと違う軽い緊張感のようなものを感じ、私は少しだけ不安になる。「じゃぁ、行こうか」とその不安を振り切るように、私達はスーパーに向けてゆっくりと歩き出した。 午後4時。 夕方と言えどまだ時間も早く、強い陽射しをアスファルトが跳ね返してジリジリと焼けるように暑い。少し動くだけで汗が吹き出した。 「暑いね」 「はい」 「…で、話って?」 「えっと…」 並んで歩いている為、正面から彼の表情を覗い知ることは出来ない。しかしその声のトーンから、やはりいくらか緊張しているのが分かった。焦らず、言葉を待つ。 「前に、彼女がいないって相談したじゃないですか?」 「うん」 「折角情報?を下さったんですけど、やっぱり今はもう、本当に彼女とかいらなくて…。あの、貴文さんみたいになりたいなって」 「えっ、僕みたいに?」 雄介くんは若いし、同性の私から見ても格好いいと思う。縁が無いだけで、望めばきっと彼女だってすぐできるだろうに。そう思うと、まだまだ未来(・・)ある若者が、私のような独り身の人間に憧れを持つのは何だか勿体ない気がした。まぁ価値観なんて人それぞれだし、独身の私が偉いこと言えたものでは無いのだけれど。 「えーっと…」 案の定、私の言葉に苦笑いしながら言葉を探している。 「あっ、ごめん。別に否定する訳では…」 「貴文さんと、一緒にいたいなって」 「え…?」 横断歩道に差し掛かり、信号が丁度赤になる。 立ち止まり、私は隣りにいる雄介くんの横顔をまじまじと見詰めた。すると彼は慌てたように手を振る。 「いや!あの!決してそういうのではなく……彼女とか作って彼女と過ごすより、貴文さんと居たほうが楽しいなぁ…と」 愛情より、友情…という事だろうか。 「それであの時ムキになった事を、ずっと引きずってたって事?」 「……はい。本当にごめんなさい」 「いや、僕の方こそ雄介くんの気持ちも知らずにあんな事言ってごめんね」 信号が青に変わり、僕達は再び歩き出した。 彼の考えていた事が、何と無く分かったような分からないような。 憶測に過ぎないが、雄介くんは全てを語った訳では無いように見えた。しかし私とて、自分の全ての思考や感情を彼に晒すような事はしない訳で「おあいこ」という事になるのだろうか。 全てを知りたいと思うのは傲慢だ。 「あの、だから…その… 貴文さんがいいなら、今まで通り、一緒にご飯行ったり遊びに行ったりしたい、です…」 「勿論」 私は二つ返事で頷いた。 近付き過ぎたと思っていたが、雄介くんが同じ距離感での付き合いを望んでいると分かりホッとした。 「本当ですか……!嬉しい…ありがとうございます!」 雄介くんに、いつもの笑顔が戻ってきた。 それを見た瞬間今までの憂鬱な気持ちが晴れ、同時に私は心底安堵した。 スーパーはもう、目の前だ。
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