262人が本棚に入れています
本棚に追加
/99ページ
第五夜∶大葉鶏つくね
今日は最近では珍しく、定時で上がることが出来た。
この所仕事が忙しく残業続きだったため、スーパーに来るのもいつもより遅めの時間帯だった。少しズレると、値引幅が大きくなっていてそれはそれで良かったのだが。
そんな訳で、今日は少しばかり時間と気持ちに余裕がある。しかしカゴを持ち店内に入ると、いつもと雰囲気が違う。
(やけに客が多いな…)
それも、いつもなら見かけない小学生から高校生くらいの女の子がやたら目立つのだ。後から入ってくる客はもまた然りで、その女性客を目で追うと、彼女は真っ先にピンクと赤で派手に飾り付けられた特設コーナーへ向かった。
(あ。明日はバレンタインか…)
腕時計を確認して、店の混み具合に納得した。
そう言えば、社内でも女性社員達が何やらソワソワと落ち着きがなかった気がする。若い頃は自分もソワソワしたものだが、もはや自分には関係の無いイベントだ。
正月、節分が終わったらバレンタイン。その後でひな祭り、ホワイトデー、端午の節句、母の日、父の日…本当にイベントが好きな平和な国だ。
さて、と私は改めて野菜コーナーに足を進めた。
今日は何の気分だろうかと自問自答しながら売り場を見回す。目に留まったのは、値引きシールが貼られたちょっと元気が無くなりかけの大葉だった。大葉は酒を飲むようになってから好きになったが、あくまで薬味的ポジションだ。とりあえずカゴに入れたが、何をどうやって食べるかは決まっていなかった。
(今日は魚より肉が食いたい気分だな…しかし大葉をどう使うか…)
迷いながら精肉コーナーをウロウロしていると、またもやピンクと赤のポップが目に入った。精肉コーナーまでバレンタインに侵食されているらしい。調理器具を持ちニッコリ笑った女性の写真と共に『甘いものが苦手な彼のバレンタインにカレーやハンバーグはいかが?』と書かれている。
(バレンタインにカレー?ハンバーグ?)
もはや何でもありか。
半ば呆れながらポップを見ていると、無性にカレーやハンバーグが食べたくなってくる。バレンタインを意識した訳では決してなかったが、ポップにまんまと乗せられそうになった。しかしカレーでは大葉は使えない。ならばハンバーグ、と思いミンチ肉のパックを見ると、合い挽き肉の隣にあった鶏ミンチに値引きシールが貼られているではないか。
(鶏ミンチか…つくねにするか)
そうしたらいい具合に大葉も使えそうだ。
以前焼鳥屋で『大葉つくね』なるものを食べた事を思い出し、つくねを作る事に決めカゴに入れる。
レジに向かう途中のバレンタイン特設コーナーでは若い女の子達が賑やかにチョコレートを物色していた。チラリと見ただけだが、高価な物から安価なものまで割と幅広いバリエーションのチョコレートを売っているようだ。
(…そうだ)
通り過ぎようとして、ふと思い付き売り場に引き返す。久しぶりに、ちょっとだけイベントに乗っかってみようか。私は一番手頃なチョコをカゴに入れるとレジに向かった。
「こんばんは」
「あっ、こんばんは!」
今日加藤くんはレジに居た。顔を合わせ、挨拶をする。
「今日は忙しいんじゃない?お客さん多いよね」
「そうですねー!やっぱりイベント前はお客さん多いです」
苦笑いしながら、商品を手際良くスキャンしていく。
「そっか、頑張って」
「ありがとうございます」
購入する商品も少かったため、あっと言う間にスキャンと会計が終わった。後ろに客が居たので、直ぐ荷詰め台に移動しエコバッグに購入品を移す。チラチラとレジの様子を窺い、客の切れ間を見計らい加藤くんに話しかけた。
「これ、この間の飴のお礼」
「えっ!?」
板チョコ一枚を、ポンと手渡した。
敢えて板チョコにしたのは、変に気を遣わせたく無かったし、男からチョコなんて気持ち悪いと思われたく無かったからだ。
それでも加藤くんは充分動揺したようだった。
「こんな、飴1個で板チョコ1枚なんて多すぎますよ!」
「そんな高いもんじゃないし。それともあれかな、男の人からチョコなんて気持ち悪かった?」
「いや全然!嬉しいですけど…」
「おばちゃんが飴あげるような感覚だよ、嫌じゃなかったら貰っといて」
ちょっと強引だったかなと思ったが、「おばちゃんって」と可笑しそうに笑いながら、最後お礼を言ってくれたからよしとしよう。自己満足し帰路についた。
「さて、やるか」
いつものごとく、キッチンで袖まくりをして調理開始。つくねのレシピは調べ済みだ。
綺麗なビニール袋の中に鶏ミンチ、塩、胡椒、酒を入れて揉む。丸く平たく形を作ったら、そのまま油を敷いたフライパンにぼん、と出す。火を点ける前に大葉を貼り付け、蓋をして中火。
(塩気胡椒でも充分美味しいけど…)
味変に大根おろしなどがあれば最高だが、今日は
大根が無い。野菜が無ければ、味変に使えるのは調味料だ。小さめの陶器に、醤油、味醂を同量、酒をちょっと多めに入れてレンジにかける。(焦げないように注意)あっと言う間に照り焼きダレの完成だ。
フライパンの蓋を開け、つくねの様子を見る。大葉が付いていない部分が白っぽくなり、こちらもひっくり返して焦げ目をつけたら食べられそうだ。
(おっと…野菜が無いな)
冷蔵庫からキュウリとトマトを出し、適当に切って皿に盛る。更に焼酎の水割りを作り、先程作ったタレと共にローテーブルへ運ぶ。台所に戻りつくねを見ると、気持ち強めにした火力のお陰か既に焦げ目がついていた。火を切り、皿に盛ってローテーブルへと運んだ。
「いただきます」
焼酎を一口含んで口内を整え、先ずはそのままつくねを箸で一口大に切り取り口に運ぶ。焼鳥屋のように串を打つでもなく、小さく丸めるでもなく、ドン、と1つに集約されたつくねはさながらハンバーグのようだ。
しかし、集約された事による保湿効果だろうか、外の焦げ目は香ばしく中はフワッとジューシーだった。鶏の旨味の中に、大葉の爽やかさが突き抜けていく。そこに、焼酎。
「うん、美味い」
じっくりと噛みしめたくなるような美味さだ。
キュウリとトマトで口を一旦リセットし、次の一切れには照り焼きダレを付けて口に運んだ。濃厚なタレが舌の上に広がり、直に酒が欲しくなる。先程の塩味とは正反対、旨味が速攻をかけてくるようだった。
何気無くTVを点けると、デパートのバレンタイン特集をやっている。
(チョコ、食べてくれてるといいなぁ…)
加藤くんにあげた98円(税込105円)の板チョコを思い返す。それにしても、昨今は自分へのご褒美として1粒500円くらいするチョコを平気で買っていくような人も多々居て驚いた。
(価値観は人それぞれだな…)
98円でも、気持ちがこもっていればよし。
酒が入ると、いくらか自己肯定感が上がるのは今に始まった事ではない。気持ちが楽になるから飲む。それも自分が酒を好きな理由だった。
つくねのようにフワフワと気持ちよく、再び焼酎を口にするのだった。
最初のコメントを投稿しよう!