第三十一夜∶薩摩揚げと薩摩芋の金平

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第三十一夜∶薩摩揚げと薩摩芋の金平

夏も終わりが近いというのにまだ秋の気配はなく、連日30度を超える残暑日が続いていた。しんどいはしんどいのだが、唯一の救いは夏の始めよりいくらか身体が暑さに慣れて、身体の怠さや重さがマシになった事だ。定時で仕事を終えると、私はいつも通りスーパーに向かった。 スーパーに着くと、カゴを持ち野菜コーナーからまわり始める。最も季節感を感じる事ができる野菜売り場は移り変わりが早く、早くも秋の味覚であるキノコ類が入って正面の目立つ売り場に移動していた。 (もう秋の味覚か…) まだ暑いのに気が早いなと苦笑いするが、きっと季節が完全に秋に移り変わるまでさほど時間はかからないのだろう。気付くと、季節に取り残されているのは自分の方なのかも知れない。 (季節に乗り遅れないように、一足先に食べておくか?) しかし出始めのため値引きにはなっていない。どうしても食べたい気分でも無かった為、私は一旦保留して他の売り場を見ることにした。パッと目に入ったのは日売品のコーナーだ。 (あ、薩摩揚げが半額…) 私はビールの他に芋焼酎を好んで飲む。芋焼酎と言えば九州、九州と言えば薩摩揚げ。地の物同士、相性がいいのは保証されている。私は迷わず薩摩揚げをカゴに入れた。こうなると、がぜん九州の物でツマミを統一したくなり野菜コーナーに再び目をやる。 (九州の野菜といえば薩摩芋、茄子、椎茸、ネギ…あ)  見切りの棚に、薩摩芋を見つけた。しかし、薩摩芋と言えば焼き芋やスイートポテト、大学芋のような甘いイメージしかない。立ち止まって悩んでいると「こんばんは」と後ろから声をかけられた。 「あ、加藤くん。こんばんは」 「こんな所で立ち止まってどうしたんですか?」 今日はまだ仕事中らしく、制服のエプロン姿だ。ちょうどいい、何か良いアイデアを貰えるかも知れない。 「薩摩芋で作る料理で、酒のアテになりそうなものって何か浮かぶ?」 「薩摩芋、ですか…」 うーん、と首を捻る雄介くん。やはり雄介くんでも薩摩芋のツマミは難しかったか。 「加藤くんこんばんはぁ!」 「あっ、伊藤さん!」 「どうしたの?こんな所で立ち止まって」 加藤くんの後ろから元気よく挨拶してきたのは、いかにも親しみやすそうなご婦人だった。その口ぶりから常連らしい事が伺える。 「薩摩芋を使った料理で、お酒にも合いそうなものって何かあります?」 「薩摩芋?お酒のアテねぇ…」 伊藤さんというご婦人は私をチラリと見ると、少し考えてから「あ」と小さく声を上げた。 「金平なんてどう?」 「えっ、ゴボウみたいに金平にするんですか?」 雄介くんが驚いたように伊藤さんを見る。 「そうそう!男の子って甘いおかず好きじゃないじゃない?前に薩摩芋をたくさん頂いた時に金平作ってみたら、旦那と息子から好評だったのよ」 「へぇ…。だそうです、永井さん」 「あ、うん。ありがとうございます」 私は伊藤さんの方に向き直ると、軽く頭を下げた。 「奥さんに作ってもらうの?」 「いや、僕が…」 「あら、そう!今は男の人でも料理するのねぇ」 伊藤さんの視線が一瞬私の左手にささり、愛想笑いが引き攣った。 「頑張ってねぇ!じゃ」 ひらひらと手を振り、伊藤さんは行ってしまった。その姿が完全に見えなくなってから私は長い溜息をつく。その横で雄介くんが「悪い人じゃないんですけどね…」とポツリと呟いた。 「うん…。あ、仕事中に引き止めてごめんね」 「いえ!金平作るんですか?」 「簡単そうだし、どんな味か食べてみたいから作ってみるよ」 「頑張ってくださいね」 「ありがとう、じゃ」 「はい、また」 私は見切りの棚にあった薩摩芋をカゴに入れるとレジに向かった。 「さて、やるか」 まず金平から。 帰る道すがら何と無く作り方を調べておいたので、頭の中の記憶に従って調理を開始する。薩摩芋は皮ごと使うので、タワシで綺麗に洗う。次に横半分位の大きさに切ってからスライスし、太めの千切りにする。そして少しの間水にさらしておくことがポイントだそうだ。 (フライドポテトみたいだな…) 人参はあっても無くても良さそうだったが、他に野菜が無いので人参も同じくらいの長さと太さの千切りにする。切れたらごま油をしいたフライパンに入れて炒め、火が通ったら酒、醤油を入れ味が整ったら完成だ。皿に盛ってから炒り胡麻を散らす。 薩摩揚げは軽くトースターで焼く。食べる時に生姜醤油を付けるくらいで大した調理はない。 全てを揃えローテーブルに運ぶと、焼酎の水割りを用意し、合掌。 「いただきます」 先ずは調理で乾いた喉を水割りで潤し、金平に箸をつける。 (ん……!おお……!) 甘い薩摩芋が、立派な酒の肴になっている。 薩摩芋本来の甘味が醤油の塩気によって引き立てられ濃厚な甘じょっぱい味になっている。ゴマ油がそこにコクをプラスする。最後に振った炒り胡麻の風味もいい。そして一番驚いたのが食感だった。 細切りにして水にさらした事である程度デンプン質が抜け、ホクホクではなくシャキシャキした食感になるのだ。 (芋だけど芋焼酎に合う…!) そして、薩摩揚げ。トースターで軽く温めたので少し柔らかくなっている。一口齧ると仄かに甘いズッシリした旨味が口いっぱいに広がり、生姜がピリッと味を引き締めキレを良くしている。焼酎との相性は言わずもがなだ。 全体的に塩気のあるツマミを好むが、これはこれでアリ。再び金平に箸を伸ばした時だった。 ―ピコン (雄介くんかな…?) 画面をスワイプし、ラインを開く。 『お疲れ様です。 薩摩芋の金平、どうでしたか?』 やはり気になっていたらしい。 私は食べかけだった金平の山を箸で少しだけ整えてから写真を撮った。 『お疲れ様。 とってもお酒に合うツマミだったよ。わざわざ常連さんに聞いてくれてありがとう』 メッセージの後に続けて写真を送信する。 (これでよし) 再び食べ始めて暫くすると、返信がきた。 『美味しそう!今度僕も作ってみますね!』 メッセージの後に、『お疲れ様です』『お休みなさい』のスタンプが立て続けに送られてきて、画面を見ながら私は思わず小さく笑う。『お休み』のスタンプを送信し、スマホを置いた。 何気ないやり取りだが、ほんの少しの事で癒やされていた。ラインの頻度も以前のように戻りつつあり、それが嬉しい。 雄介くんから以前のように付き合っていきたいと言われた時、胸が熱くなった。安堵と喜びと、それから… 私は軽く頭を振った。 今が一番心地良かった。ぬるま湯にずっと浸かっているような感覚だ。熱すぎてのぼせる事も無ければ、 冷たくて震え上がる事もない。 (こんな日常が、ずっと続けばいいのに) 満足している筈なのに、少し切ない。 柄にもなくおセンチな気分になりながら私は晩酌を再開した。
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