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第三十二夜∶チーズコロッケ
午後6時。
定時をとっくに過ぎているが、私はまだ会社に居た。窓に叩きつけるような雨を見て、私はスマホで電車の運行状況を確認する。
一昨日南海上で発生した台風は勢力を強めながら北上し、私の住んでいる地域に近付きつつある。『風が吹いたら遅刻して、雨が降ったらお休みだ』なんて歌があったなぁと思い出しながら、そうはいかない現実に溜息をついた。
電車の遅延が懸念されるため、朝はいつもより早く家を出て定時前に着いた。殆どの社員は通常通り出勤できたようで安心したのも束の間、昼過ぎから次第に強くなってきた雨風のため、帰宅困難になりそうな社員を何人か帰らせた。そのため、自分自身は少し残業になってしまったのだ。
(よし…電車は大丈夫そうだな)
10分程遅延しているものの、止まってはいない。私はレインコートを着込むと足早に会社を後にした。
「ふぅ…」
何とかスーパーまで辿り着き、私は入口でレインコートに付いた水気を軽く払った。今日は足元も長靴を履いていて、完全防備のお陰で靴下も無事だ。屋内に入るとホッとして、一気に疲労感に襲われる。
(今日は1日がやたら長く感じるな…)
朝はいつもより早かったし、帰りは残業をしているため「長く感じる」のではなく、実際長かった。加えてこの雨風だ。通常だと1時間程度の残業など何ともないのだが、今日はいつも以上に疲れていた。
(今日は惣菜にするかな…)
私はカゴを持つといつもと反対から回り、真っ先に惣菜コーナーへ向かった。
「こんばんは」
「あっ!永井さん、こんばんは。台風酷くなってきましたね…」
「うん、加藤くんは帰り大丈夫?」
「徒歩だから大丈夫ですよ」
いやいや、徒歩と言えどこの雨風。これから更に強くなる事が予想され私は少し心配になった。
「閉店早めたりしないの?」
「家が遠いパートさん達には先に帰宅してもらったし、まだお客さんも来そうなので…大丈夫、何とかなりますよ」
そう言いながら雄介くんは惣菜に値引きシールを貼りつつ、陳列を整える。
「そっか…ん?何か今日惣菜多くない?」
「ああ、台風が来ると買い物に出れないとか、停電の為の備えとかで惣菜が結構売れるんですよ」
「『台風コロッケ』って知ってます?」と言う彼に、私は首を横に振った。
「誰が言い始めたか分からないんですけど、『台風が来たからコロッケを買いだめした』って呟きがちょっと前に拡散されて話題になったんです」
「へぇ!全然知らなかった。でも何でコロッケ…?」
「さぁ?でも、面白いですよね。実際売れるし」と彼は可笑しそうに笑いながら値引きシールを貼ったばかりのコロッケのパックの列を揃えている。
「ふぅん…じゃぁ僕も『台風コロッケ』にしようかな」
「ふふっ、ありがとうございます」
何故コロッケなのか訳が分からなかったが、何だか面白い。そんな単純な理由で今日の私のアテはコロッケに決定した。雄介くんからコロッケのパックを受け取る。
「ありがとう。帰り、くれぐれも気を付けてね」
「はい!ありがとうございます。永井さんも」
「お疲れ様」と言うと私は足早にレジへ向かった。
「着いたー…」
部屋に入った瞬間、安心して思わず声が出た。
着ていたレインコートをハンガーにかけ、洗濯物を洗濯機に放り込むと私は風呂場に直行した。
「ふぅ」
さて、ようやくご飯だ。今日はコロッケを温めるだけだが、野菜が欲しい。
(何かあったかな…)
冷蔵庫にはレギュラーのキュウリ、トマトの他、ネギ、玉ねぎ…大した野菜が入っていない。キュウリとトマトを切るだけでもいいが、もうちょっとツマミになりそうなものはできないか…。疲れているくせに、いかにしてアテを得るか考えてしまうのは酒飲みの性だろう。
(あ、雄介くんがこの前来た時置いてってくれたツナ缶があるな)
ある事を思い付き、私は冷蔵庫からキュウリと玉ねぎを取り出した。それを、百均で買ったスライサーで薄くスライスしていく。ある程度できたら少し塩をしてから絞り、水分を抜いたらボウルに入れ、油を切ったツナ缶、マヨネーズ、胡椒を入れて混ぜる。皿に盛り、そこに切ったトマトを添えたらサラダ完成だ。
コロッケは全部で3つ。トースターで温めるのだが、その内の1つにスライスチーズ、もう1つには薄くケチャップを塗りその上にチーズを乗せた。
チーン
サラダ作りで出た洗い物をしている間にコロッケが温まったようだ。私はサラダとコロッケ、そして芋焼酎のソーダ割をローテーブルに運んだ。
「いただきます」
焼酎で口を潤して、先ずはサラダから。
思い付きで作ったにしてはなかなか良い見た目だ。箸ではさんで口に運ぶ。
(うん、美味い)
ツナマヨネーズは間違いなく美味しい。そこに、玉ねぎとキュウリがシャキシャキした食感と瑞々しさを加えバランスの良いサラダになっている。胡椒がいいアクセントだ。そして、コロッケ。
(こんな事でも無きゃ食べないよなぁ…)
リベイクした衣はサクサクで、中のマッシュポテトには玉ねぎが少し入っていて全体的に甘めだ。これがまた、ウスターソースとよく合う。私はすかさず焼酎を流し込んだ。
(ちょっとやり過ぎたかな…見た目がヘビー級だ)
お次はスライスチーズを乗せたコロッケと、ケチャップ、スライスチーズを乗せたピザ風のコロッケだ。しかし食べてみると、さほどクドさは感じない。寧ろチーズによって甘さが抑えられて食べやすい。更にケチャップを乗せた方は、口にした瞬間思わず笑ってしまった。
(まんまピザの味だ…)
どちらも、どこか懐かしい子ども味。
しかし立派な酒の肴でもある。台風コロッケ、いいな。
(そういえば、雄介くんは無事に着いただろうか?)
私はスマホを取り出すと、雄介くん宛にメッセージを作成した。
『台風の中お疲れ様。
無事帰宅できたかな?』
送信。
もう営業終了時刻は過ぎている。
私は暫く食べながら待っていたが、なかなか返信が来ない。食べ終わって片付け、歯を磨く。
(大丈夫かな…)
普段なら割と早く返信を返してくれるからつい心配になり、何度もスマホを確認してしまう。
―ピコン
(来た!)
急いで画面を開く。
『お疲れ様です。
ありがとうございます、なんとかうちにつきました』
「ん?」
私は文面から感じる違和感に眉をひそめた。
変換ミス?誤送信?
―ピコン
続け様に、『お休みなさい』のメッセージスタンプが送られてくる。何だろう、様子がおかしい…
心配になったが『お休みなさい』と言われた後に電話するのも躊躇われて、『お休み』のスタンプだけを返し私はベッドに横になる。
…しかし翌日、電話しなかったのを後悔する事になるのだった。
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