第三十五夜∶鯖缶のネギ和え

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第三十五夜∶鯖缶のネギ和え

兄から連絡があったのは、丁度昼休みの時だった。 どうやら姪が体型を気にしてダイエットを始めたそうだ。特に痩せる必要はないような体型だったと思うが、思春期ゆえ色々気になるのだろう。 食事量が極端に減った為、栄養不足を懸念した兄が私の務める会社のサプリメントで良いものは無いかと相談してきたのだった。 「ついでに顔出したらどうだ」 「……いや、やめとく」 「何だ、未だに独りなのを気にしてるのか?」 「……」 「親父やお袋が何か言ってきても、別に放っておけばいいだろ?」 頭では分かっていた。 しかし顔を合わせる度に言われれば、こちらもいい加減嫌になる。最近は正月くらいしか帰らなかったが、40過ぎた辺りからは何処か冷めたような視線を向けられる事もあり、益々帰りたくなくなってしまった。 「カタログと、いくつかサンプルを今日明日中に送るから試してみて」 兄の言葉には返さず、それだけ言うと通話を終了した。会社の屋上にいた私はスマホをポケットに突っ込むと、フェンスに凭れ遠くの景色に目をやった。 (……いつから、こうなったんだっけ) 何処にでもある、普通の家庭だった。 兄弟仲も普通、両親とも別に仲が悪い訳ではなかった。しかし兄が結婚した辺りから、元々あまりその気が無かった私に対して両親からの「結婚」の圧が強くなってきたのだ。既に就職して家を出ていたが、実家に帰省する度に「いい人はいないのか」と言われ続け、果ては見合い写真まで出てきてウンザリした。最初は適当に聞き流していたのだが次第に実家から足が遠のき、遂には年に1度しか帰らなくなったのだった。 頭を垂れ盛大に溜息をついた。 まだ午後も仕事があるのに、兄からの電話でどっと疲れてしまった。……今、無性に雄介くんに会いたい。 私はオフィスに戻ると、パンフレットと手元にあるだけのサプリメントのサンプルを封筒に突っ込み、すぐ郵送できるように準備した。 (……早く帰りたい) ここまでやっておけば、後は郵便局から郵送するだけだ。今日も定時で上がりたくて、私は少し早めに午後の業務に取りかかった。 「お疲れ様でした」 定時。 私は待ちかねたように鞄を持つと会社を後にした。 いつも通り電車に乗って最寄り駅で降りると、足早にスーパーへ向かった。 (ん……?) 何かいつもと様子がおかしい。 スーパー付近には人だかりができており、パトカーが何台も停まっている。更にテレビカメラなどもあり物々しい雰囲気に包まれていた。 「何かあったんですか?」 近くで立ち話をしていたおばさん達に聞くと、親切丁寧に教えてくれた。 「昼過ぎに刃物を持った男の人が押し入ったんですって。犯人はもう捕まったみたいだけど。怖いわよねぇ…」 「えっ!?」 「お客さんに切りかかったみたいなんだけど、店員さんが助けてくれて無事だったって」 ―ドキリ (その店員さんって、まさか…) ドッドッドッ… 鼓動が、早くなる。 「若い男の店員さんだって」 (雄介くんだ…!) 「その店員さんは?!無事だったんですか?!」 「え?さぁ…そこまでは。でも救急車は来てたわよね?」 「ええ。もういなくなったけど」 焦った。 無事だろうか、とにかく、連絡を。 スマホを取り出す手が微かに震えた。 (メッセージ?電話?いや、でも病院なら電話しても取れない筈…じゃぁメッセージか。でも何て…) 頭が真っ白になる。 自分でも驚くくらい混乱していた。 『事件の事、今知りました。 どこにいる?大丈夫?』 とにかく無事である事だけでも確認したくて、自分でもよく分からないままメッセージを送信した。 (……既読だけでもついてくれ!) 祈るようにスマホを握り締める。 とりあえずもうこの場に雄介くんはは居ないと思い、スマホを握り締めたまま自宅アパートへと向かった。 ……もどかしい、何もできない自分が。 私は唇を噛み締めた。
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