262人が本棚に入れています
本棚に追加
/99ページ
第六夜∶カーリーブルストと明太卵焼き
仕事の忙しさも一段落し、最近また定時退社できるようになった。たまに残業を頼まれる事もあるが、単身者ゆえ仕方ない事だろう。残業代もつくしね。
(さて…今日は何があるかな…)
カゴを持ち、野菜コーナーから見始める…と、いきなり膝下に衝撃が加わり思わずよろけた。見ると、幼稚園ぐらいの男の子がぶつかってきたのだ。慌ててしゃがみこみ、話しかける。
「大丈夫だった?怪我はない?」
この状況下において私は100%被害者だったが、子ども相手にそんな事は言っていられない。大の大人にぶつかって、寧ろ子どもの方が怪我をしていないか心配だった。当の本人は状況が飲み込めておらず、突然話しかけられて呆然としている。
「すみません!」
少し離れた所でぶつかったのを見たのであろう母親が、慌てて走り寄ってくる。
「もー!タクヤったら走っちゃダメって言ったでしょ!おじちゃんに謝ったの?」
「…ごめんなさい」
母親に叱られ、ぶつかってきた男の子はショボンと頭を垂れた。
「大丈夫だよ。君に怪我が無くて良かった」
「本当に、すみませんでした」
「いえいえ」愛想笑いで返す。普段このくらいの歳の子と接点がない私にとって、子どもに触れる事はガラス細工を触るような物だった。とにかく、怪我が無くて良かった。「おじちゃん」と言われた事については触れないでおこう。
その親子は私の少し前を会話しながら歩いていく。
「ねー、あしたのおべんとう、なぁに?」
「うーんとね…玉子焼きと…どうしようかな。何がいい?」
「ウインナー!」
「お野菜は?」
「えー!たまごやきとウインナーだけがいいー!」
「ちゃんとお野菜食べるなら、ウインナー入れてあげる」
「うー…わかった」
うんうん、エラいぞ。と心の中で頷いた。
健康第一、栄養バランスは大切、若い頃からしっかり意識付けしておくにこしたことはない。
(卵焼きとウインナーか…聞くと久しぶりに食べたくなるな)
しかし、ツマミにするならもう少しパンチが欲しい所だ。考えながら歩いていると、気付いた時には野菜コーナーを通り過ぎ鮮魚コーナーに居た。
そこで見つけたのは…
(明太子が安い…明太卵焼きにするか)
20%引きの辛子明太子だった。2腹入っている。1腹は卵焼きに使い、もう1腹は焼き明太にでもして明日の朝に食べよう。
次はウインナーだ。
「あ!こんばんは!」
「こんばんは」
今日は加工肉コーナーに加藤くんが居た。小さなカートを押しながら、値引きシールを貼っている所だった。
「この間はチョコありがとうございました」
「いやいや…押し付けて申し訳無かったね」
「とんでもない!美味しくいただきました」
「それは良かった」
今日も笑顔が爽やかだ。頷きながら、一番安価なウインナーに手を伸ばす。
「あ、それ安いけど美味しいですよね」
「そうなの?普段あんまり買わなくて」
「そうなんですね。僕は家飲みする時とかに買いますよ」
「へぇ、加藤くんも飲むんだね。何飲むの?」
親近感が湧き、嬉しくなる。
「ビールとかレモンサワーです。強くは無いですけどね」と微笑む。
「永井さんは何を飲まれるんですか?」
「私はビールと焼酎かな…食べる物によって変わるよ」
「そうなんですね!ウインナーだと…今日はビールですか?」
「…に、しようかなと思ってる」
仕事中に申し訳ないと思いながらも、会社外で会話する事が殆ど無い私にとって貴重な時間だった。
「あ、じゃぁ、カーリーブルストにすると更にビールに合いますよ!」
「カーリー…ブルスト…?」
「はい!焼いたウインナーに、ケチャップとカレー粉をかけるだけです。前にビアフェス行った時に食べたんですけど、ビールによく合いますよ」
ビアフェスにあるようなツマミだ、ビールに合う事は間違いないだろう。しかも作り方も簡単だ。
「ありがとう、早速作ってみるよ」
「はい!」
「じゃぁ、頑張ってね」と売り場を離れる。
ケチャップもカレー粉も家にあった筈だ。忘れちゃいけない、卵もまだ4つはあった。今朝の冷蔵庫中身を思い出しながら会計を済ませ、スーパーを後にした。
「よし、やるか」
スウェットの袖を捲くる。先ずは、卵焼きから。
卵2個を割りほぐし、熱して油をしいたフライパンへ。少し卵が固まったら辛子明太子を入れてクルクルと巻く。最後にギュッとフライパンの端に押し付けて、卵を閉じたら完成だ。
皿に出し、そのままのフライパンでウインナーを焼く。いい感じに焼き目がついたら皿に盛り、加藤くんに言われたようにウインナーの上にケチャップとカレー粉をかけたら完成だ。
ローテーブルに運ぶ前に、粗熱が取れた卵焼きを食べやすい大きさに切る。以前焼き立てを切ろうとしてグチャグチャになった折、粗熱が取れてから切ると形が崩れない事を学んだ。何事も経験である。
(しまった!野菜…)
困った時の、キュウリとトマト。割と日持ちし、切ればすぐ食べられる手軽な野菜として、よっぽどの事が無い限り常備している。この2つを冷蔵庫から出し、適当に切る。
切った卵焼きとウインナー、それにトマトとキュウリをローテーブルに運び、ビールと箸を準備して座る。
「いただきます」
先ずはビールを一口。
(この、最初の一口が格別に美味いんだよなぁ…)
卵焼きに箸で摘む。多めの油で作った為、卵はフワッと中の明太子はいい感じに半生だった。色味がちょっとエロい。口に運ぶと、明太子のピリリとした辛みと旨味を優しく卵が包み込み、パンチがききつつも、全体的にマイルドになっている。
(うん、いい感じ)
ビールで口を一旦リセットし、お次は初めましてのカーリーブルスト。
「…!」
ブツン、と外の皮を歯で破るとジュワっと肉汁が出てきた。その肉汁の旨味に、ケチャップの甘みと仄かな酸味、カレー粉の辛みが加わる。思わずビールを流し込んだ。
「こりゃ、とんだビール泥棒だな…」
思わず呟いた。缶ビール1本で終わる気がしない。
安価なウインナーが、こんな上等なツマミになるなんて。加藤くんおすすめのウインナーは驚く程コスパが良く、教えて貰った食べ方も酒飲みの私にはうってつけだった。
(いいものを教えてもらった…)
これも、あの男の子の子がぶつかってきてくれたから得られたものだ。災い転じて福となす。子どもにぶつかられた程度の事を災いだとは思わなかったが、とにかく美味しい料理を知れてラッキーだった。
再びウインナーをつまみながら、明日の事を考えビールは2本で止めようと固く心に誓ったのだった。
最初のコメントを投稿しよう!