第六夜∶カーリーブルストと明太卵焼き

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第六夜∶カーリーブルストと明太卵焼き

仕事の忙しさも一段落し、最近また定時退社できるようになった。たまに残業を頼まれる事もあるが、単身者ゆえ仕方ない事だろう。残業代もつくしね。 (さて…今日は何があるかな…) カゴを持ち、野菜コーナーから見始める…と、いきなり膝下に衝撃が加わり思わずよろけた。見ると、幼稚園ぐらいの男の子がぶつかってきたのだ。慌ててしゃがみこみ、話しかける。 「大丈夫だった?怪我はない?」 この状況下において私は100%被害者だったが、子ども相手にそんな事は言っていられない。大の大人にぶつかって、寧ろ子どもの方が怪我をしていないか心配だった。当の本人は状況が飲み込めておらず、突然話しかけられて呆然としている。 「すみません!」 少し離れた所でぶつかったのを見たのであろう母親が、慌てて走り寄ってくる。 「もー!タクヤったら走っちゃダメって言ったでしょ!おじちゃんに謝ったの?」 「…ごめんなさい」 母親に叱られ、ぶつかってきた男の子はショボンと頭を垂れた。 「大丈夫だよ。君に怪我が無くて良かった」 「本当に、すみませんでした」 「いえいえ」愛想笑いで返す。普段このくらいの歳の子と接点がない私にとって、子どもに触れる事はガラス細工を触るような物だった。とにかく、怪我が無くて良かった。「おじちゃん」と言われた事については触れないでおこう。 その親子は私の少し前を会話しながら歩いていく。 「ねー、あしたのおべんとう、なぁに?」 「うーんとね…玉子焼きと…どうしようかな。何がいい?」 「ウインナー!」 「お野菜は?」 「えー!たまごやきとウインナーだけがいいー!」 「ちゃんとお野菜食べるなら、ウインナー入れてあげる」 「うー…わかった」 うんうん、エラいぞ。と心の中で頷いた。 健康第一、栄養バランスは大切、若い頃からしっかり意識付けしておくにこしたことはない。 (卵焼きとウインナーか…聞くと久しぶりに食べたくなるな) しかし、ツマミにするならもう少しパンチが欲しい所だ。考えながら歩いていると、気付いた時には野菜コーナーを通り過ぎ鮮魚コーナーに居た。 そこで見つけたのは… (明太子が安い…明太卵焼きにするか) 20%引きの辛子明太子だった。2腹入っている。1腹は卵焼きに使い、もう1腹は焼き明太にでもして明日の朝に食べよう。 次はウインナーだ。 「あ!こんばんは!」 「こんばんは」 今日は加工肉コーナーに加藤くんが居た。小さなカートを押しながら、値引きシールを貼っている所だった。 「この間はチョコありがとうございました」 「いやいや…押し付けて申し訳無かったね」 「とんでもない!美味しくいただきました」 「それは良かった」 今日も笑顔が爽やかだ。頷きながら、一番安価なウインナーに手を伸ばす。 「あ、それ安いけど美味しいですよね」 「そうなの?普段あんまり買わなくて」 「そうなんですね。僕は家飲みする時とかに買いますよ」 「へぇ、加藤くんも飲むんだね。何飲むの?」 親近感が湧き、嬉しくなる。 「ビールとかレモンサワーです。強くは無いですけどね」と微笑む。 「永井さんは何を飲まれるんですか?」 「私はビールと焼酎かな…食べる物によって変わるよ」 「そうなんですね!ウインナーだと…今日はビールですか?」 「…に、しようかなと思ってる」 仕事中に申し訳ないと思いながらも、会社外で会話する事が殆ど無い私にとって貴重な時間だった。 「あ、じゃぁ、カーリーブルストにすると更にビールに合いますよ!」 「カーリー…ブルスト…?」 「はい!焼いたウインナーに、ケチャップとカレー粉をかけるだけです。前にビアフェス行った時に食べたんですけど、ビールによく合いますよ」 ビアフェスにあるようなツマミだ、ビールに合う事は間違いないだろう。しかも作り方も簡単だ。 「ありがとう、早速作ってみるよ」 「はい!」 「じゃぁ、頑張ってね」と売り場を離れる。 ケチャップもカレー粉も家にあった筈だ。忘れちゃいけない、卵もまだ4つはあった。今朝の冷蔵庫中身を思い出しながら会計を済ませ、スーパーを後にした。 「よし、やるか」 スウェットの袖を捲くる。先ずは、卵焼きから。 卵2個を割りほぐし、熱して油をしいたフライパンへ。少し卵が固まったら辛子明太子を入れてクルクルと巻く。最後にギュッとフライパンの端に押し付けて、卵を閉じたら完成だ。 皿に出し、そのままのフライパンでウインナーを焼く。いい感じに焼き目がついたら皿に盛り、加藤くんに言われたようにウインナーの上にケチャップとカレー粉をかけたら完成だ。 ローテーブルに運ぶ前に、粗熱が取れた卵焼きを食べやすい大きさに切る。以前焼き立てを切ろうとしてグチャグチャになった折、粗熱が取れてから切ると形が崩れない事を学んだ。何事も経験である。 (しまった!野菜…) 困った時の、キュウリとトマト。割と日持ちし、切ればすぐ食べられる手軽な野菜として、よっぽどの事が無い限り常備している。この2つを冷蔵庫から出し、適当に切る。 切った卵焼きとウインナー、それにトマトとキュウリをローテーブルに運び、ビールと箸を準備して座る。 「いただきます」 先ずはビールを一口。 (この、最初の一口が格別に美味いんだよなぁ…) 卵焼きに箸で摘む。多めの油で作った為、卵はフワッと中の明太子はいい感じに半生だった。色味がちょっとエロい。口に運ぶと、明太子のピリリとした辛みと旨味を優しく卵が包み込み、パンチがききつつも、全体的にマイルドになっている。 (うん、いい感じ) ビールで口を一旦リセットし、お次は初めましてのカーリーブルスト。 「…!」 ブツン、と外の皮を歯で破るとジュワっと肉汁が出てきた。その肉汁の旨味に、ケチャップの甘みと仄かな酸味、カレー粉の辛みが加わる。思わずビールを流し込んだ。 「こりゃ、とんだビール泥棒だな…」 思わず呟いた。缶ビール1本で終わる気がしない。 安価なウインナーが、こんな上等なツマミになるなんて。加藤くんおすすめのウインナーは驚く程コスパが良く、教えて貰った食べ方も酒飲みの私にはうってつけだった。 (いいものを教えてもらった…) これも、あの男の子の子がぶつかってきてくれたから得られたものだ。災い転じて福となす。子どもにぶつかられた程度の事を災いだとは思わなかったが、とにかく美味しい料理を知れてラッキーだった。 再びウインナーをつまみながら、明日の事を考えビールは2本で止めようと固く心に誓ったのだった。
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