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休肝日∶肉まん
無我夢中だった。
午後、レジにいた僕はけたたましい悲鳴を聞いた瞬間走り出していた。声のした場所に駆けつけると、刃物を持った男が女性客にジリジリと迫っている。
(助けなきゃ…!)
僕は男の気を引くため、咄嗟に近くにあったトマトを男めがけて投げつけた。トマトは、ベチャッと不快な音をたてて男の頬に当たって潰れ、男は不快に歪んだ顔で僕の方に向かってきた。
「何しやがる……!」
僕は何とか身を守ろうと、近くにあった買い物カゴを振り回して距離を取った。
「今のうちに、お客様を全員外に…!」
「はっ!はい!」
大声で近くにいたパートさんに声をかけると、人が居ない方へ身を守りながら後退する。
―ドンッ
レジ台に当たった。これ以上は下がれない。
フーッ、フーッと男が息を荒げジリジリと距離を詰めてくる。
僕の背筋に冷たい汗が流れた。
男はそのまま刃物を振り上げ切りつけてくる。
僕は買い物カゴで必死に応戦した。
「……っ!」
シュッ、と刃物が僕の左腕を掠め袖が破れて血が流れた。再び男が大きく振りかぶった時、パトカーのサイレンの音が聞こえ男がビクつく。男が外を見た瞬間、僕は刃物を叩き落とし遠くに蹴り飛ばした。
「テメェ…!」
胸ぐらを掴まれ、頬に一発拳を食らわされる。再び男が拳を振り上げた瞬間「止まりなさい!」と警察官が入って来た所で男は震える拳を力無く下に降ろした。
目の前で男は警察官に取り押さえられ、手錠をかけられる。その後ろからバタバタと入って来た救急隊員に有無を言わせずストレッチャーに乗せられて、僕は近くの病院に搬送された。
全ては、一瞬の出来事だった。
「……はい、はい。分かりました。失礼します」
店長との電話を終え、これから警察の事情聴取だ。僕は小さく溜息をつき、警察官と共にパトカーへ向かった。
幸い縫うほどの怪我では無かったが、左腕の肘下から手首の手前までがサックリ切れていた。無我夢中で痛みを忘れていたが、いざ病院に着き患部を目にするとジワジワと痛みが強くなってきた。包帯を巻いてもらい痛み止めを飲む。
ヴーッ、ヴーッ
店長からだ。
電話口に出た店長はまず僕の心配をしてくれて、それから僕が搬送された後の店の状況を教えてくれた。
この日店長は休みで、事件を知ってすぐ現場に駆け付けたそうだ。お客さんやパートさんに怪我は無く、事件後直ぐに帰ってもらい店は臨時休業。その後、会社の本部の人も来たと言う。店は明日まで休みで、僕は明後日まで休みになった。
移動中のパトカーでは妹から電話がかかってきて、少し話した。テレビで事件を知った妹が心配してかけてきてくれたのだ。電話口で半べそをかきながら無事を喜んでくれた。
(……疲れた)
事情聴取を終え、警察署を出た時にはとっぷり日が暮れていた。スマホを見ると、メッセージの通知が。
開くと、貴文さんからだった。
『事件の事、今知りました。
どこにいる?大丈夫?』
受信時間は17時40分。いつもスーパーに来るぐらいの時間だ。きっといつも通り来てくれて、事件を知ったのだろう。
(心配してくれたんだ)
誰からの連絡より、嬉しかった。
会いたい
声が聞きたい。
(電話しようかな…)
そう思ったが、きっと声を聞いたら会いたくなってしまう。それにやっぱり身体は疲れていたので、僕は諦めてメッセージを送る事にした。
『お疲れ様です。
心配してくれてありがとうございます。腕を少し傷めただけなので大丈夫です。手当ては終わって、さっきまで警察の事情聴取受けてました。今から帰ります』
送信すると、すぐに既読がついた。
程なくしてメッセージも送られてくる。
『とにかく無事で本当に良かった。
怪我してて不便はない?何か手伝える事があったら遠慮なく言ってね。疲れてるだろうから、帰ったらゆっくり休んでね』
「ありがとう、ございます…」
呟いて、スマホをギュッと握り締めた。
長い1日だった。まだソワソワとして落ち着かないけれど、何と無く小腹が減った気がする。
(とりあえず、コンビニ寄ろう)
僕はゆっくり歩いて近くのコンビニに入った。
パッと目に入ったのは、保温器の中の肉まん。
(そう言えばもうそんな季節か…)
その白くて丸みのあるフォルムが、今のソワソワして落ち着かない僕の気持を包み込んでくれるようで。僕は結局陳列棚もろくに見ずにレジに行くと、肉まんと珈琲を購入して店を出た。
「いただきます」
近くにあった小さな公園のベンチに座り、肉まんの包を開ける。日が暮れていくらか肌寒くなってきていたので、温かい肉まんが妙に愛おしく感じた。両手で包み込むように持ち、ガブリと一口。
「あっつ…」
ふわふわな生地の中には肉の餡がタップリ入っており、食べごたえがあった。味は美味しかったと思うのだが、正直よく分からなかった。
何より、温かい食べ物を腹に入れる事でようやく
気持ちが落ち着いてきたような気がする。
食べ物を口にする今の今まで『今日の出来事は全て夢なのではないか』という現実離れしたような気分だったのだ。珈琲を飲みながら、肉まんを齧ると一口毎に今日の出来事が現実味をおびてくる。
怪我人が出なくて良かった、とかトマト投げちゃったなぁとか、カゴ1個壊しちゃったなぁとか…
肉まんを食べ終わって珈琲を飲みながら、
公園のベンチで暫くボンヤリしていた。
(……とりあえず、帰って寝よう)
フラフラと立ち上がると、僕はゆっくり帰路に着いた。
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