第三十六夜∶親子丼

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ピーンポーン ―ガチャ 「こんばんは。 すみません、いきなり誘っちゃって」 「こんばんは、 うんん、誘ってくれて嬉しかったよ。 ありがとう。怪我の具合はどう?」 雄介くんは「引かないでくださいね」と苦笑いしながら袖を捲り、包帯でぐるぐるに巻かれた腕を見せてくれた。 「痛かったね……」 「もう大丈夫ですから、そんな顔しないで下さい」 雄介くんは殊更明るく笑って、「さ、中にどうぞ」と入れてくれた。私はエコバッグをキッチンに置くとスーツを脱いでネクタイを取り、手洗いを済ます。 「キッチン借りていい?」 「作ってくれるんですか?!嬉しい」 「うん、めぼしいお惣菜が無くてね」 「お米だけ貰っていい?」と雄介くんから米を貰うと、といでから早炊きモードで炊飯する。エコバッグから買った物を取り出していると、後ろからひょこりと雄介くんが顔を出した。 「何作るんですか?」 「んー?親子丼」 「やった!」と小さくガッツポーズする彼が可愛くて、思わず笑みが溢れた。 「雄介くん卵料理好きだし、栄養ありそうだし、僕でも作れるからね。後はサラダだよ」 「色々考えてくれたんですね…ありがとうございます。何か手伝える事ありませんか?」 「疲れてるだろうし、怪我してるんだから座ってて、ね?」 「じゃぁ、見ててもいいですか?」 「それはいいけど…疲れない?」 「大丈夫です」 雄介くんがそう言うので、私は調理を始めた。 玉ねぎは剥いてから櫛切りに、鶏肉は一口大に切り鍋に入れる。そこに、水、醤油、味醂を入れ、肉に火が通り玉ねぎが柔らかくなるまで煮る。煮ている間にサラダに取りかかった。レタスは食べやすい大きさに手で千切り、(はす)に切ったキュウリと櫛切りしたトマトを添えたら完成。 ―ピーッピーッ ご飯が炊きあがったようだ。 蓋を開け、どんぶりにご飯をよそった。鍋を覗くと、グツグツと音をたてて鶏肉と玉ねぎもいい感じに煮えている。何個か卵を割り、そこに溶き入れて卵が半熟になったら完成だ。どんぶりによそったご飯の上に乗せて海苔を散らした。 「めちゃくちゃ美味しそうですね…!ありがとうございます」 「いやいや、普通の親子丼だよ?さ、食べよ」 二人でローテーブルに運んで食卓を囲む。 「あれ?永井さん飲まないんですか?」 「うん、今日は休肝日」 他に手伝える事があったらやりたかったし、雄介くんは痛み止めの薬を飲んでいるから飲みたくても飲めない。そういう時にまで飲みたいとは思わなかった。 「「いただきます」」 普段は飲むこと優先でアテばかり作っていたから、親子丼のようなちゃんとしたご飯を作ったのは久しぶりだった。 (上手くできてるといいけど…) 私は親子丼を口にする雄介くんをいくらか緊張した面持ちで見詰めた。 「美味しい…!貴文さん、美味しいです!」 「良かった」  満面の笑みで頬張る様子を見て、ホッとした。 親子丼が上手く出来ていて良かったと安堵すのと同時に、雄介くんがちゃんと食べれているという事に安心した。あんな事件の後だから、精神的に辛くて食欲が無いんじゃないだろうかと心配していたが杞憂だったようだ。 私も箸を取り親子丼を口にする。 トロッとした半熟卵に包まれた甘辛い玉ねぎと鶏肉と白米のコンビネーション。美味くない訳がない。最後に散らした海苔が風味を添えて食欲を増進させる。 気付くと、私がまだ三分の一しか食べていないのに対し、雄介くんの親子丼は半分以上無くなっていた。思わずクスクスと笑ってしまった。 「そんな慌てて食べなくても」 「だって美味しくて…。 ……実は、朝から何も食べて無かったんです」 「えっ」 私は驚いて目を見開いた。 昼近くまで寝ていたとは言っていたが、まさか起きてから何も食べていなかったなんて。 「食べる物はあったんですけど、何だか食べる気が起こらなくて……。だけど、貴文さんが作ってくれた料理を見たら、一気に食欲が湧いてきたんです」 「そうだったんだね…」 「正直言うと今日いきなり誘ったのも、一緒ならご飯が食べられるかなと思って」 「……」 やはり、精神的なショックは受けていたようだ。 私はいたたまれない気持ちになり、気付いたら「明日も作りに来ていい?」と聞いていた。 「えっ…僕は嬉しいですけど、貴文さんは明日も仕事だし、迷惑じゃないですか…?」 「大丈夫だよ。大した物は作れないけど…」 「とんでもない!」 雄介くんは少し身を乗り出し、ニッコリと微笑んだ。 「嬉しいです!ありがとうございます。でも… ここまでしてもらうなんて、甘え過ぎですよね。 申し訳ないです…」 その言葉に、切なさを感じてしまうのは何故だろうか。一瞬言葉に詰まり、私は弱々しく頭を振った。 「気にしなくていいよ。僕がやりたくてやってる事だから。疲れてる時くらい甘えて?」 精一杯の言葉を伝えると、雄介くんは「ありがとうございます」と嬉しそうに微笑んだ。 その笑顔に、胸がギュッとなる。狂おしいほどのこの気持ちを、何と表現していいか私は分からなかった。
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