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「お疲れ様です」
「お疲れ様」
自宅の最寄り駅の改札を出てすぐ雄介くんの姿を見付け、声をかけた。
「突然誘ってしまってすみません…」
「いやいや、大丈夫だよ」
「駅から少し離れるんですが、落ち着いた雰囲気の居酒屋さんを見付けたのでそこでどうですか?」
「いいね!ありがとう」
「じゃ、行きましょう」
私達は肩を並べて歩き出した。
日が暮れるといくらか寒くなってきて、私は小さく身震いした。金曜日。遅めの時間にも関わらず人通りは多く賑やかで、どことなく華やかな雰囲気だ。
しかし大通りから一本入ると、途端に静かになる。
雄介くんが見付けたお店は、そんな静かな住宅街の
一角にひっそりと佇むお店だった。目立った看板は
無く、店の軒先に掛かる萌葱色の暖簾の端に白字で「たち花」と書かれている。
(よくこんなお店見つけたな…)
―ガラガラ
「いらっしゃい」
年季の入った引き戸を開けると、年配の男性店主が愛想よく迎えてくれた。店内はカウンターが7席、座敷のテーブル席が3卓の小ぢんまりした店だ。私達が店内に入ると、店の奥から年配のご婦人(店主の奥さんだろうか)が出てきて雄介くんと二言三言言葉を交わすと座敷のテーブル席に案内してくれた。
私達が座敷に上るとすぐ熱いお絞りと温かいお茶を出してくれて、「ゆっくり決めて下さいね」とニコリと笑いメニューを置いていった。
身体が少し冷えていた私は早速熱いお絞りで手を拭き、温かいお茶で暖を取った。
「よく見付けたね、こんな店」
「実はちょっと前から気になってて…でも一人で入る勇気が無かったからなかなか来れなかったんです」
苦笑いしながら雄介くんもお絞りで手を拭いている。確かに、入口をパッと見ただけだと『一見さんお断り』のような雰囲気があり、暖簾をくぐるのには勇気がいった。しかしいざ入ってみると、お断りどころかまるで実家に帰ってきたかのような温かい雰囲気の店で驚いた。
カウンター席では常連客らしい年配の男性と店主が楽しそうに話をしている。カウンター席のテーブルや椅子、店内のそこかしこに年季が入っているが、よく手入れされている感じがある。私の勘だが、こういう雰囲気の店は間違いなく料理が美味い。
早速メニューを開くと、家庭的な料理から本格的な和食まで沢山の品数があった。
「何だか雄介くんの実家のお店に似てるね」
「えっ?!」
料理を注文後、改めて店内を見回してそう言うと
彼は驚いたように目を丸くした。
「ああ、いや、雰囲気がね。温かみがあるというか…常連客から愛されてるんだなぁって」
「そんな風に僕の実家も見て下さってたんですね…
ありがとうございます」
「はい、お待たせ。ビールね。それと突き出しの金平」
「「ありがとうございます」」
注文して少し話をしていたら、すぐビールと突き出しが出てきた。こういった店ならではの瓶ビールだ。私は瓶を手にし、雄介くんにグラスを持つよう促した。
「すみません、僕が先にしないといけないのに」
「いや、気にしないで。そういうのはナシだよ」
学生時代の体育会系の名残なのか、雄介くんは常に歳上である私を優先する。昨今、敬語が使えなかったり上司との飲み会を嫌がるような若者がいるのに、大したものだと感心しきりだ。
注ぎ終わると、今度は雄介くんが私にお酌をしてくれて二人で小さく乾杯をする。
「久しぶりに瓶ビール飲んだな」
「僕もです。宴会とか旅館とかにしか無いイメージ」
「あ、分かる」
顔を見合わせて笑った。
一息ついた所で私は「話たい事って何?」と切り出した。
「あー…えっと」
先の電話でもそうだったが、余程話しにくい事なのだろうか。話題を振ると急に伏せ目がちなり、ソワソワと落ち着かない様子になる。
「実は、真中さんから告白されまして…」
「……!」
私は無言で眉を吊り上げた。
やはり真中さんは雄介くんの事が好きだったようだ。実を言うと、雄介くんの風邪の一件以来、私は真中さんに一、二回しか会っていない。特に何かを話すでも言われるでもなく、普通にレジをしてもらって終わった。相変わらず刺すような視線は感じたが。
何と言っていいか言葉が見付からず、彼の次の言葉を待った。
「……お断り、しました」
「そう、なんだ…」
「よかったの?」と聞きそうになったが、彼女を作るより私といたいと前に言っていたのを思い出し、言葉を飲み込んだ。そして、何処かで雄介くんが断った事に安堵する自分もいて内心少し動揺した。
「気にして下さってたみたいだから、一応報告をと思って…」
「あ、うん…ありがとう」
正しい反応なのか分からなかったが、私は小さく頷いた。
「はーい、お待たせ。肉じゃがと鱈のキノコ餡ね」
コトリ、と大きめの煮物鉢に入った肉じゃがと、少し深めの皿にタップリとキノコ餡がかかった鱈の切り身が運ばれてきた。
「わ!美味しそう」
雄介くんの言葉に私も頷く。それまで微妙な雰囲気だったのだが、料理が運ばれてきた事で和やかなものに変わり私は少しホッとした。
「冷めない内にいただこう」
お互い取皿に料理を取り分けると、私は鱈から口にした。
「……ん!」
フワフワな鱈の身にタップリ絡まる上品な出汁の効いた餡は、淡白で繊細な鱈の味を引き立てつつ、そこに旨味をプラスしている。シメジ、椎茸、榎のシャキシャキとした食感が面白い。
「肉じゃがも美味しいですよ!」
雄介くんが美味しそうに大きなジャガイモを頬張っている。その姿に思わず笑みが溢れた。
「豚肉の味噌漬け焼きと、ほうれん草の胡麻和えね」
とん、と目の前に新しい料理がやってきた。
豚肉の味噌が焦げた香ばしい香りと、ほうれん草からふわりと香る胡麻が食欲を加速させる。
「肉じゃが、とっても美味しいですね!」
「ふふふ、ありがとう。ゆっくりしていって下さいね」
「ありがとうございます」
雄介くんが料理の感想を伝えると、ご婦人はにこやかに応えてくれた。こういったささやかなやり取りが料理を一段と美味しく感じさせる。
私は空になっていた雄介くんのグラスにビールを注いだ。
「あ!すみません、ありがとうございます」
「うんん。
すみません、黒霧島のお湯割りお願いします」
注ぎながらご婦人に飲み物を注文すると「はーい」とカウンターの中に戻っていった。
「鱈食べた?」
「はい、頂きました!鱈も美味しかったです」
新たに運ばれてきた豚肉とほうれん草を取皿に取りながら、雄介くんが答えた。
「はーい、黒霧島のお湯割りね」
「ありがとうございます」
私は運ばれてきたばかりのお湯割りに口をつけた。
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