休肝日∶板チョコ

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休肝日∶板チョコ

(やっぱりイベント日付近は混むなぁ…) 引っ切り無しにやってくるお客さんをレジで捌きながら、僕は気付かれないようマスクの中で小さく溜息をついた。 事務処理以外は立ちっぱなしのスーパーの仕事、中でもレジは基本的に同じ場所に立ち続けなければいけない為結構辛かった。とは言っても、各売り場やレジ専属のパートさん達に比べたらまだマシだ。 社員である店長や僕は事務処理をこなしつつ、朝は品出しのヘルプ、忙しい時や欠員が出た時はレジのヘルプ、お客さんからのクレーム対応…1日であちらこちら場所を移動するからだ。やる事こそ多いが、各売り場やレジに留まる時間はパートさん達よりずっと短い。 (あ、永井さんだ) 最近来るのが遅かったが、今日は定時で上がれたようだ。少し話したかったが、今はレジのヘルプでここを離れる事はできない。 (挨拶くらい、できるといいな…) そう思った時だった。 「今日は忙しいねぇ」 「あ!伊藤さん、こんばんは」 レジにやってきたのは、常連客の一人である伊藤さんだ。僕がこのスーパーに転勤してきた時、初めて声をかけてくれて親しくなった人の一人だ。有り難い事に、何かとよく声をかけて下さる常連さんが何人か居る。 伊藤さんは大学生のお子さんが居る主婦で、僕の母より少し若い(と思う)。いつもパート帰りにスーパーに寄ってくれるようだった。 「明日はバレンタインだもんねぇ!デートとかするの?」 「いやいや、彼女居ませんから!」 伊藤さんのからかうような口調に、笑いながら答えた。彼女が居ないのは冗談ではなく、事実だ。 「またまたぁ!加藤くんみたいないい子が彼女居ない訳ないじゃない。羨ましいわぁ…ウチの息子と交換して欲しいくらいだわ」 「えぇ!?」 冗談だと分かっていても、思わずスキャンする手が止まりそうになる。豪快に笑う伊藤さんは、会計を済ませると、荷詰め台に行く前に思い出したように釣り銭トレーにチ●ルチョコを3つ置いた。 「あげる。後で食べなね」 「ありがとうございます」 悪い人じゃ、ないんだけどな。 そっとポケットに貰ったチョコを入れる。今朝からこんな感じで、常連のおばあちゃんやおばちゃんから飴だのガムだのチョコだの貰い、着けっぱなしのエプロンのポケットは貰ったお菓子で不自然に膨らんでいた。 何人かレジをした後だった。 「こんばんは」 「あっ、こんばんは」 永井さんがレジに来てくれた。 「今日は忙しいんじゃない?お客さん多いよね」 「そうですねー!やっぱりイベント前はお客さん多いです」 今朝から何回も常連客とは同じような会話をしているな、と苦笑いしながら商品を手際良くスキャンしていく。 「そっか、頑張って」 「ありがとうございます」 購入する商品も少かったため、あっと言う間にスキャンと会計が終わった。後ろにお客さんが居たので、永井さんは直ぐ荷詰め台に移動してしまった。 しかし、その少し後、丁度お客さんが途切れた時に彼がこちらに戻ってきたのだ。何事だろうと不思議そうに永井さんを見ると、ぽん、と板チョコを一枚差し出して「これ、この間の飴のお礼」と。 「えっ!?」 僕は余りに驚いて、チョコを落っことしそうになった。 「こんな、飴1個で板チョコ1枚なんて多すぎますよ!」 たまたま持っていた飴1つと、わざわざ買ったチョコではいくらなんでもモノが違いすぎる。 「そんな高いもんじゃないし。それともあれかな、男の人からチョコなんて気持ち悪かった?」 「いや全然!嬉しいですけど…」 「おばちゃんが飴あげるような感覚だよ、嫌じゃなかったら貰っといて」 申し訳ない気持ちと、訳の分からないドキドキでいっぱいだったが「おばちゃん」と聞いた瞬間、くるくるパーマでヒョウ柄の服を着たおばちゃんのビジュアルが脳裏に浮かび(失礼)思わず「おばちゃんて」と吹き出してしまった。そして結局チョコを受け取ってしまったのだ。 永井さんが帰った後も、まだ心臓がバクバクしていた。 (飴のお返しって、言ってたからバレンタインは関係無いんだろうけど…でも、チョコだし…) 人知れず顔を赤くしてチョコをポケットにしまうと、レジに客がやってきて仕事を再開する。 (何か返した方がいいのかな?いやでもそうすると永遠に終わらない気がする…) お返しのお返しをしていてはキリが無い。 それに、永井さん以外の常連さんからも貰っているから永井さんだけ特別扱いはできないし…。 考えた末、このチョコ含め、全ての常連さんへのお返しは止めた。しかし、ざわざわとした胸の内はなかなか収まらないのだった。
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