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結局、左衛門が与えた機会に応じたのは龍次とるりだけだった。二人はいつも通り左衛門の作業場で働き、仕事の後は、それぞれの部屋で作品づくりに励んだ。 龍次は、毎晩遅くまで、『洗い髪』と題した人形をまとめようとしていた。十七、八の娘が湯上がりに長い髪をとかしている人形だ。この人形は、風呂上がりに髪をとかするりの姿を偶然に見かけ、作ることを思いついたのだ。その色香があまりにも強く心に残ったからだった。 初々しい女体に濡れた髪や湯上がりのその匂うような肌の色合いをどうして仕上げたらよいか、龍次は苦心していた。苦心しながら、髪をとかしていたるりの姿を度々思い出している自分に戸惑った。 ―わしには女の知り合いがないさかい、たまたまるりを描いてるだけや……ー 龍次は何度も自分に言い訳をした。 離れでは、るりも作業を続けているようだ。るりはどんな人形を作っているのだろう。龍次は、るりの人形に闘志が湧いた。人形への考えはまったく違い、言い合うことも多い二人だが、お互い相手の作品を想像する刺激を龍次は大切に思った。 約束のひと月はあっという間にすぎた。二人はそれぞれ人形を師匠・左衛門やその弟子たちに披露する時がやって来た。 龍次が、自作『洗い髪』を箱から出して披露すると、歓声が上がった。左衛門に仕込まれ、修練した十年の経験がその小さな人形の中に生きていた。 龍次が苦労した娘の髪のうねりや光沢、湯上がりの上気した若い娘の肌、さわやかな色香は、龍次の大胆さと細心さで見事に仕上げられていた。 「ようできてる。若い娘の色香が出てる。龍次も隅に置けんな」 左衛門は少し笑って、人形のそばにより、彫りの具合や、胡粉ののりを師匠らしく吟味した。弟子たちも師匠に続いたが、龍次は、そこにるりの姿がないことが、さっきから気にかかっていた。ためらったが、思い切って左衛門に言った。 「お師匠さん、るりは? るりの人形は……」 「ああ、そうやな。るりの人形も披露するとするか」 左衛門はそう言って、作業場の片隅に置かれていた小さな風呂敷包みを開き、箱からるりの人形を取り出した。
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