1/1

9人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ

るりの人形は『踊り』と題されていた。嬉しさを抑えきれないように目を細めた女が空を仰いでいる。左手を曲げて胸の前に出し、右手は指を揃えて右に流している。女はけっして若くもなく、美しくもないが、全身で喜びを表すように踊っているのだ。 「ほぉ……」 弟子の一人が感嘆の声を上げた。 「るりらしいな。人形が生きとおる。全身で喜びを表してるな」 「いきいきしてて、見てる者まで幸せな気分になりますな」 「そやけど、作った本人、るりはどこにいますのや?」 師匠と弟子たちの会話を聞いて、龍次は落ち着かない気持ちになった。いつもなら自分の人形を見て、言いたいことをずけずけいうるりの不在が、たまらなく寂しく感じた。左衛門に聞いても、ただ首を振るだけなのだ。 龍次は思い切って、離れに足を運んだ。ところが、離れは、もぬけの殻だったのだ! 二人の布団が畳んで部屋のすみに置かれているだけで、がらんとしている。二人が生活していた痕跡が一切消えていた。 通りがかった女中が、雑巾を手に持ったまま龍次に告げた。 「るりと弥助は、いいひんで。弥助の肺病が悪うなったさかい、内緒で田舎へやられたんや」 「それはいつや!」 「しらんけど、弥助が血ぃ吐いたさかい。ああ、こわ……」 女中はさも恐ろしそうに身震いした。 「龍次さんも離れに近寄らんほうがええで」 そう言いながら、雑巾で離れを拭い始める。 ―るり、弥助が悪いんやったら、なんでわしに言うてくれへんかったんや!― ―口喧嘩ばっかりしたけど、おまえの人形を誰よりわしは認めてたんやでー ―なんにも言わんとどこへ行ってしもたんや!― もぬけの殻の離れを前に龍次はぼう然と立ち尽くしたのだった。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加