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生まれてくる全ての物語へ
見上げれば、吸い込まれそうなほど深い深い藍色の中に、所狭しと散りばめられた宝石のような小さな粒が、あちらで、こちらで、きらりと光る。
上から降ってくる光の粒たちは、途中でちりんと音を鳴らし、わたしたちの耳に囁きかける。
鼓膜を震わせた音が描き出す、色鮮やかな情景を、瞼の裏に見て手が動く。机に置いた透明な頁が、ひとつひとつ、端から文字で埋められていく。
光の音を綴っていけば、ひとつのお話になっていく。銀河の向こう、果ての果て、どこかで起こった、誰かのお話。
さあ、悠久の宙へ耳を澄まそう。妙なる音は、筆を通して雫になって、輝くインクの文字になる。
ここは、すべての物語を集めるお仕事場。世界の端の端で起ったことも、深い深い海の底で起こったことも、高い高い空の雲が感じたことも、余すことなく書き留める。「人間」が現実だと信じる世界のことも、彼らが「作りごと」と思い込んでいることも、たったいま起きたことも、ずっとずっと遠い昔のことも。
どんな小さな出来事だって、宇宙の中に消えないように、星が鳴らした響きのままに、ひとつひとつ、記していく。
ある時には、姫を救った英雄の話。
ある時には、恋に焦がれた令嬢の話。
ある時には、臣下を困らす王子と王女の話。
またある時には、元気一杯の学生さんの話。
彼らが見たもの聞いたもの、気づかず過ぎた知らないもの、どんな瞬間も聞き逃さず、一文字一文字綴っていく。
終わりの終わりまで辿り着いても、そこが本当の終わりじゃない。
今度はそれが、誰かに伝わり、次はその誰かの物語を作る。
星の音が、筆を通して言葉になり、連ねた言葉は新たな物語の一部になる。
でもね。
残念ながら、星の音はすべてが淀みなく流れるわけじゃない。
時には止まったり、同じ音を繰り返したり、前の音をかき消したり、耳に痛い不協和音になったり。
そのたびに、書き留められる文字は止まって消される。終わりまでたどり着けないものだってある。
そしてとうとう音が止み、沈黙がずうっと続くことだって。
さてどうする? お話が終わらない。
途中で切れて、無くなってしまう?
せっかく生まれて来ようとしたのに、誰にも届かず消えてしまう?
そんな時、わたしたちはじっと耳を傾ける。
吸い込まれそうな天を見上げて、口に出さずに問いかける。
ねえ、聞かせて。
次に何が起こるのか。
しんと静まり返った宙の中、星がひとつ瞬くと、わたしたちの「聞かせて」が音になる。星が伝える物語の世界に、わたしたちの音が届けられる。
きっと彼らには聞こえない。けれどもそうして伝えたら、しばらくするとまた一つ、新たな音が降ってくる。
それでもさまようお話は、ほんの少しだけお手伝い。どうして迷子がわかるのかって? ふふ、星たちが教えてくれるから。
それごらん。
今日もまた、困ったお話のお知らせだ。
ちりりと掠れた星の音に、わたしは空へ飛び出した。玉虫色に瞬く星が、わたしをそこへ連れて行く。
闇い暗い中を飛んでいくと、向こうに小さな光が見えた。なんだ、まだまだとっても若い。これから育つ、お話の星。灯ったばかりの物語。
光のそばまで近づいて、連れてきた星にお礼を言う。ここから先はわたしの仕事。そうして軽く手を振った。
でもなぜだろう。希望の詰まった輝きに、わたしの鼓動が速くなる。
ふわりと星に降り立つと、ざわりと背中が寒くなる。
全身が静寂に包まれて、わたしの鼓膜が圧迫される。
どんなに耳を澄ませても、なんにも頭に響いてこない。
だんまり静まる星は冷え、ただただちらちら光るだけ。
これは大変。なんとかしなきゃ。
せっかく生まれて来たっていうのに、このままなんにも発しなければ、物語になる前に死んでしまう。
無音が襲う。脚がすくむ。
こんなに綺麗な瞬きなのに。
どうして何にも言えないの。
温かな色が見えるのに。
わたしは星に膝をついて、そっと耳をつけてみる。
触れたところがぽっと灯って、とまどいがちに震えてる。
ああ、そうか。
君は分からないんだね。
君の中にある何かを、どうやって音にしたらいいのか。
抱え込んだお話の種を、どちらにどうやって伸ばしていけばいいのか。
怖いんでしょう。
不安なんでしょう。
うまく伝わらなかったらどうしようって。
途中で止まったらどうしようって。
君の言葉は君のものだけど、受け取る人は一人じゃないもの。
どんな言葉なら伝わるかなんて、きっと誰にもわからない。
でも、いまは大丈夫。
私がそばで聞いているよ。
なんでもいいから、音にしてごらん。
そうしたらわたしも考えよう。
どんな言葉が似合うかなって。
大丈夫。ゆっくりでいいからね。
ちゃんと最後まで一緒に行くよ。
迷ってもいい。間違ってもいい。
ゆっくり大事に繋げていこう。
だって君も、いつかは終わりに辿り着きたいでしょう。
立派なお話になって、どこかの世界の誰かのところに行きたいでしょう。
そして次の誰かの物語になりたいでしょう。
大丈夫。わたしが一緒にいるよ。
君の中にある綺麗な光は、わたしが全部、見ているよ。
だから聞かせて。君の音を。
わたしの筆が、それを繋ぐから。
ねえ、こんなに眩しい輝きだもの。
わたしが君を連れていくよ。
君が行きたい、君だけの、素敵なお話の終わりまで。
そうだ!
こんなのはどう?
君は、わたしと君のお話になるの。
君とわたしが、いまここから、
友達になっていく物語。
すると小さな小さな星は、
いままで聞いたこともない、
素晴らしく素敵な音をたて、
楽しそうに歌い出す。
Fin.
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