恐怖は時に愛に似て

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ピエロが怖いの、と彼女は言う。飲みかけのコーヒーを机に置いた彼女に、私は問いを返す。 「ピエロって、こういう?」 「そう」 私がスマホのロック画面に映る陽気な表情を浮かべたピエロを指差すと、彼女は頷き眉尻を下げながら通説を並べていく。 「ピエロは表情が見えないから怖いという人もいるけれど、化粧が厚いだけで無表情というわけではないし。サーカスが人攫いをしているからピエロは恐ろしいなんて昔の俗説を出すほど私は愚かではないはずよ」 それなのに何故こんなにもピエロが怖いのかしら。恐怖に理由づけなど必要ないと思うのだが、きっと彼女はそのような話ではこの話を終わらせてはくれないだろう。私は考え、世の中で真面目にピエロ稼業をしている方々に心の中で謝罪をしながらこんな質問を向けた。 「君、幼い頃にピエロに襲われたことはないかい? 犯罪に至らぬまでも、サーカスの意地悪なピエロに脅かされたとか」 彼女の表情に怒り、というよりも憎悪が走る。聞いてはいけない話だったかと思えば、彼女は苛立たしげに腕を組み、ソファで足を投げ出す。 「貴方、ピエロの方々を馬鹿にしている? ピエロが小児性愛者と混同されるの、私好きじゃないのよね。一人の変態がピエロの格好をして慈善事業をする傍ら子供を襲っていたからって、ピエロ全体が悪く言われる必要はないはずよ。世の中にいる殺人犯の百パーセントは呼吸をしていますって主張と同じくらい馬鹿馬鹿しいわ。ああ、勿論、サーカスで意地悪なピエロに脅かされたことなんてないわ。彼らは自分の芸に誇りを持っているのに、何故わざわざ幼気な子供を脅かす理由があるの?」 もうお手上げかに思われたピエロ問答に、ふと昨今人気のヒーローコミックを思い出した。私は最後の一押しとでも言うように、その話を聞かせてみる。 「最近、ピエロの悪役って多いじゃない? 外国のホラー映画でも。日本の犯罪ドラマでも。アニメや漫画ですらピエロキャラはどこか狂ってるか、何を考えているか分かりにくいところがある。かの有名な江戸川乱歩だって『地獄の道化師』という名作を書いているじゃないか」 「貴方、江戸川乱歩を読んだことないでしょう?」 冷たくすら感じる返答に息を呑むと、彼女はため息をついて続ける。 「少なくとも『地獄の道化師』を読んだ人間はあの物語の悪をピエロとは言わないわ。ピエロと言う概念は被害者と言っても良い。ホラー映画やサイコアニメのピエロは論外。ガワだけ取り繕って奇抜を装っても、そこにはピエロの哀愁や孤独が含まれていないんだから。日本の犯罪ドラマのピエロって、まさか百均で売ってるラバーマスクの強盗犯はカウントしてないよね?」 雄弁に語る彼女に私は問う。 「君、ピエロが本当に怖いの?」 「ええ、怖いわ。だからこそ知りたいの。私が彼との沈黙の間に何を恐れているかを」 そう言ってのける彼女はテーブルの上のマグカップを手に取る。ピエロのイラストが描かれたそれを大事そうに掌で包みつつ彼女は呟く。 「私は彼との静けさの中がたまらなく怖いの」 ロック画面のピエロの横には、緊張した面持ちで頬を赤らめる彼女の姿が小さく映っている。全く、私は無謀な恋をしているらしい。それを口にする勇気もない私は、きっと本来の意味でピエロに相違ないと思うのだけれど。
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