白告鳥

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ユーグには、さえずりが聞こえ始めていた。 あらかじめ張った防壁はもう半分以下。 最初に耳、それから目、触覚も。 降る羽根が首筋をくすぐる。 もしかしたら嗅覚もか。 鳥の匂いなど知らないけれど、ガラクタと埃の他に、いつもとは違う匂いがする。 身体中に、鳥がとまってさえずっている。 その嘴が、皮膚に突き刺さる。 秘密を抜かれている。 ユーグも鳥の遺伝子(プログラム)を解析する。 ウイルスの構造が丸裸になれば、感染を防ぐプログラムを組める。 どちらが早いかだ。 電脳世界に集中する。 感覚の正体は全て、ウイルス感染したチップの暴走による電気信号でしかない。 「うるさいな」 チップに負荷がかかっている。 警告が視界に表示される。 レンの時と同じだ。 間に合わない。 早すぎる。 煩わしく飛び回っていた一羽が。 どこかへ飛んでいく。 思わず目で追っていた。 「どこへ…」 その鳥は。 部屋へ入ってきた者の肩にとまる。 「トナ」 目が合う。 なぜか片腕がない。 ユーグは、その姿を見て自分が興奮したのが分かった。 絶体絶命のピンチだというのに。 トナのハッキングの技を見るチャンスだと。 それは。 手をかざした一瞬だった。 風が吹き、羽根が舞い上がる。 無数の防壁が、ユーグを囲む。 初めて見た。 トナの技は、恐ろしいほど早かった。 「大丈夫?」 「ああ」 そういえばレンが戻らない。 展開された防壁のプログラムを見る。 早すぎる。 これほどのプログラムを、ニンゲンの脳回路を通してあれだけの速度で展開できるのか? 「鳥の正体は分かった?」 「まあね」 本当は、ずっと知っていた。 何年も前。 かつてユーグが、国立電子脳研究所から盗み出したいくつかの人工知能のうちのひとつだ。 ニンゲンの脳に忍び込み、最も隠したい秘密を見つけるプログラム。 ついでに、最も隠したい相手も見定める。 秘密を暴かれる恐怖心を理解した、脅迫用のウイルス。 本当は依頼主に渡すはずだった。 でも、どう使われるか分からなかったから、ヘマしたふりして電脳世界にばら撒いた。 隠せば自分たちが依頼主に狙われるから。 「捕獲用のプログラムは?」 「もうできる」 「よかった」 答えを聞いたトナは、かざした手を下ろした。 防壁のプログラムが、停止する。 「何してる?」 防壁に積もっていた羽根が、再び見せかけの重力を表現するために落ちていく。 肩に留まった鳥が、トナの耳にその嘴を寄せていた。 花の蜜を吸うハチドリのように。 「トナ!」 トナが、壊されると思った。 捕獲用のプログラムを起動する。 「待って」 トナは簡単に、それを握りつぶす。 やはり早すぎる。 ニンゲンの反応速度じゃない。 「待て!」 違う。 鳥は秘密を抜きに行ったんじゃない。 トナの耳元で。 さえずる。 最も知られたくないこと。 最も知られたくない相手。 鳥が肩から飛び立った。 顔を上げる。 「どうしてウイルスを盗み出したの」 近づいてくる。 「鳥だけじゃない。  他にいくつものプログラムを盗んだ」 “依頼だった” 天井付近を飛び回る鳥が答える。 「やめろ」 「でも依頼主には渡さなかったんでしょ。  なぜ、ばら撒いたの」 “かわいそうだと思った” 別な鳥が笑う。 「プログラムが、可哀想?」 鳥たちは、盗んだ秘密を高らかに歌う。 “犯罪に使われて、そのうち駆逐されて終わる” “自分と同じじゃないかと思った” “だから電脳世界に放った” “そのひとつが自己増殖して無差別に襲うとは” “思わなかった” “思わなかった” 「今になって鳥を探して、  どうするつもりだった」 残った片腕で、ユーグの襟を掴む。 体躯に似合わない腕力。 硬い。 重い。 全身が機械だ。 こんなに近付いたのは初めてだから。 気づかなかった。 トナの目は乾いてる。 潤んで見えるのは、レンズの表面が曇りなく磨かれているからだ。 「お前は…」 “壊す” “壊そう” “壊すしかない” “壊さなければ” トナは、笑っていた。 そんな悲しい笑みは、見たことがなかった。 「ユーグ!」 扉を破ったレンが戻ってきていた。 「トナはAIだ!」 チップの壊れたレンには電脳攻撃は無効だ。 2対1は分が悪い。 「さよなら、ユーグ」 鳥が、ユーグの耳に嘴を捩じ込んだ。
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