告白

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告白

「ごちそうさま」    普段よりゆっくりと食事をして箸を置いた俺を、妻が見つめてくる。せっかく好物を作ってくれたんだ、きちんと味わおうと思っていたのに、やはり余命のことが頭をよぎり、味など分からなかった。横にある味噌汁も、自分は薄味が好きだからと言う妻のものとは別に、わざわざ俺の好みに合わせた濃い味の味噌汁を作ってくれているのだろう。しかしそれも今日ばかりは味も分からない。正面に座る妻が安心した顔でいつものようにサラダを食べるのを眺めながら、事務的に箸を運ぶだけだった。  普段と同じように振る舞っているつもりだったが、どこか探るような目に、やはり俺の不安に気付いているのだろうと思う。それでも何も言わずに待っていてくれる彼女に、俺は決意した。   「……なぁ、理恵。話があるんだ」    ちゃんと話そうと思っているのに、少し声が震えていたのかもしれない。持っていた食器をテーブルに置いて座り直すとゆっくりと頷いた。   「うん」    ほとんど何を言われるか分かっているだろうに、じっと俺を見る。そんな気丈な様子の妻が誇らしかった。やっぱり彼女と一緒になれて良かったと、しみじみと思った。  本当なら余命なんて残酷な事実は隠しておきたい。最後の瞬間まで、笑う妻のそばにいたい。だけどそんなのは俺の勝手な我儘なのだろう。不安の中に彼女を残して僅かな余命を生き、何も知らなかったという後悔の中に置いて俺は逝く。そんな勝手な真似はしたくなかった。   「あのさ、理恵。俺……、余命があと半年なんだってさ。……がんだって」    できる限り、軽い調子で言おうとした。はは、と乾いた笑いを混ぜながら。  だけどどんな声で言おうとどんなに明るく努めようと、伝えるその意味は変わらない。   「そ……ん、な……」    俺の言葉を聞いた途端、妻は目を見開き、手で口を押さえた。きっと泣いたり叫んだりしてしまうのを抑えているのだろう。大きな目で俺を見たまま、何も言えずにいる妻が不憫でならなかった。   「ごめんな、理恵」    何に謝っているのか自分でも分からない。病気になってしまったこと。あと僅か半年しか生きられないこと。まだ長い残りの人生をひとりにしてしまうこと。たぶん、その全てに俺は謝っていた。  しかしそれでとうとう妻はこの場にいることすら耐えられなくなってしまったのか、椅子から立ち上がって駆けるように部屋を出ていった。  しんと静まりかえった部屋の中、普段は落ち着いた所作が美しい妻の、乱雑に取り残された椅子をただじっと見ていた。    その後、妻は長い間風呂場に閉じこもって出てこなかった。扉の外から呼んでも返事はない。優しい雨のようなシャワーの音だけが聞こえる。擦りガラス越しに丸めた背中が見える。  シャワーの音で泣き声が漏れるのを隠しているのだろう。泣いているところを俺に見られたくないのだろうと察して出るも、そんな場所でひとり苦しんでいる妻の後ろ姿が胸を締め付けていた。
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