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 こうして俺は、ときどき病院に通いながら、自宅で過ごすことになった。幸いにもかなりの額の預金があったため、今後体が動かなくなり介護が必要になったとしても妻に負担をかけることはないだろう。  妻には残った半年の期間をこれまでどおりに過ごしていこうと話した。それに彼女は少し困ったように眉を下げながら、『あなたが望むなら』と頷いてくれた。そんな顔を見ていると、本当は入院してしっかりと治療をし、すこしでも長く生きる道を選ぶ方が正しいのだろうかと思えてくる。しかし、まだ若い彼女のことを思うのなら、俺にできることは彼女に後悔や負担を残さずに逝くことだろう。    死ぬことは本当はとても怖い。今も一日を過ごすたびに死に近付いていくのだと、毎朝毎晩考えてしまう。死や死後の世界について書かれた本を読み漁ったこともあった。都市伝説のような天国や地獄の話の中で、人の体の中で最後まで生きる部分は耳だという記述が印象的だった。臨終を告げられたあとも、人はほんの短い間だが音を聞いているのだという。だから、最期のときには伝えたい言葉を声にすればきっと届くのだと。  それが本当なら、俺は妻の声を聞いて逝きたい。最期にあの美しい声で、俺の名前を呼んでほしい。  そんなことを話すと、妻は迷いながらも『分かった』と寂しそうに笑った。死の瞬間がそんなに優しいのなら、穏やかに迎えられそうだった。いつもすぐそばにいてくれる妻の笑顔に、死への怖さもあっさりと掻き消えていく。    俺は幸せだった。
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