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夜も更ける繁華街。怒号や嬌声が飛び交う眠らぬ大人な街を、黒のトレンチコートに身を包んだ男がひとり歩く。俺は大人な男だ。普段は自堕落で滅多にこんな事はしないが、たまに気取ってみたくなると、こうして「大人ぶる日」としていい男を演じるのだ。金もそれ用に多くおろしてきた。五万円あれば、今のところ十分であると結果が出ている。
今晩はどうしようかと考えながら街を歩く。徘徊ではなく目的をもって歩いている様に、あまり周りを見渡したりせずに歩く。一度も使ったことない路地へと入り込み、裏通りへと抜ける。表通りと違い、ちょっぴりダークで落ち着いた雰囲気が漂っていた。少し歩くとシックなたたずまいの店を見つけた。小粋なバーのようだ。今日はここにしようと、静かにドアを開けた。
店内に入ると薄っすらとかかるジャズと間接照明がムードを演出していた。テーブル席のいくつかで何組かの客が静かに酒を飲み交わしている。これだ。こういう静まり返った雰囲気がかっけぇのだ。澄ました顔でカウンター席に腰かける。マスターは目もくれない。なるほど、そういう感じね。
注文するにしても何にしようか。普段バーなんて来ないから、何がセオリーか見当もつかねぇ。とはいえ、いつまでも黙っていると慣れていないのがバレてしまう。何か注文しないと。居酒屋で飲むのはカシスオレンジとかだけど、格好良くはない気がする。確か、この前先輩が”もひーと”とか言う洒落たものを飲んでいた気がする。
「マスター」
「はい」
「モヒートを」
「かしこまりました」
…あ。そういえばミントが乗っていた気がする。それはちょっとヤだ。
「……ミント、抜きで」
「──かしこまりました」
マスターの顔が少し強張った気がする。何か変だったか? ダサいとか思われたらヤである。暫くすると白く透明なカクテルが出される。飲んでみると意外と炭酸が強い。なんだかスースーして落ち着かない。
「マスター」
「何でしょう」
「その、フードは何が?」
「ナッツ、チーズ、ドライフルーツなど、色々と取り揃えておりますが」
何にも分からん。
「……オススメは」
「ベリー系のドライフルーツなど、いかがでしょう」
「ふむ……」
酸っぱいのはあまり好きではない。
「では、ナッツを適当に」
「お好みは」
「アーモンド、それかピスタチオを」
「──かしこまりました」
マスターの顔がなんというか、深刻そうな顔をしていた気がする。やっぱり変だったか?
「どうぞ」
マスターが小包を机へと置いた。理解できず、動きが一瞬止まる。
「ご注文の品です」
マスターの悪戯な笑みを浮かべた瞳と目が合う。なんだ? バーはナッツをこうやって出すのか? こちらはつとめて表情を変えずに中身を覗く。
拳銃じゃねぇか。
「今朝、いいアーモンドを仕入れまして」
少しドヤ顔でマスターが言う。何が”アーモンド”だ。だが、こんな物騒なものを見せられると、より不審に思われてはいけなくなる。バレたら、バラされる。
「……みたいだな」
「ピスタチオも二つほど、お入れしておきましたので」
袋の中に再び視線を落とす。重厚な拳銃の下から、おそらく手りゅう弾の様なものが二つ、ゴロッと顔をのぞかせている。
「ふっ……」
意味深に息を吐く。この時間稼ぎの間にセリフを考えるんだ。
「……十分だ。お題は──」
「えぇ、いつものとおりに」
「わかった」
わからん。わからんが、何とかなっているらしい。とりあえず紙袋を抱えて、ゆっくりと店を出る。暫く歩き、路地へと足早に入る。誰も周囲にいないことを確認してから紙袋の中身を取り出した。ずっしりと手のひらに威厳を感じるそれは、間違いなく本物だと思われた。まさか、世界の裏側でこんな物が流通しているとは。
「大人怖ぇ……」
この世界は、僕には少し早すぎたようだ。
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