鑑定団の女

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渚は舞台の袖から客席を見、今日も大勢の人々がその胸に各々の高ぶる気持ちを秘めて座っているのを確認した。 ここに来る理由としてはまず、お金が好きな人、又、自身の目で世の中の人々がどんなお宝を持っているのかを直に見てみたい人、そして鑑定士軍団を間近に見て、後日話のタネにしたいというケースなどがあげられる。 民放で毎週火曜日に放送されている「あなたのお宝、本物、偽物?」は視聴率もすこぶる良く、そのテレビ局では長寿番組の名を欲しいままにしていた。 番組制作は、月4回クルーが日本各地を回り、前もってオーディションを行って選別された鑑定希望者と、テレビ局で依頼した鑑定士による収録によって構成される。 順序としては先ず人口十万人規模の地方都市で、家の中に眠っている家宝の鑑定を請け負うことを宣伝し、ピンキリでふるいにかける。その際の鑑定はテレビでお馴染みの鑑定士軍団ではなく、前もって地元の古美術商などに頼み鑑定を行う。 よって、テレビに出るまでの段階がいくつかあるのだがそれを踏まえた上でも「あなたのお宝、本物、偽物?」の人気は絶大で、猫も杓子も実家の物置に放置されていた絵画や掛け軸、陶器などを持って来ては長蛇の列も厭わず鑑定を申し込んでいた。 こうしたプロセスを経て百名を超える応募者が十数名に絞られ今日の日を迎えた訳だが、この番組のアシスタントを務める萩原渚は、緞帳の陰からサッと客入りを確認すると、ディレクターからスタンバイの指示を受け、出番を待った。 舞台の左側に置かれたロングの机を前に、鑑定士、三名が座っている。アナウンスで、これから公開収録が始まる案内が為されると、それまでざわついていた客席が水を打ったかのように静かになった。 「よし、行こう」 長い間、メインのパーソナリティを務めてきた漫才師の東山から声をかけられた渚は、東山の後を追うように舞台に出る。 中、高と演劇部に在籍していた身としてはこの舞台に出る瞬間の高揚感が何物にも変えられない喜びとなる。番組が始まった頃は、顔がこわばり、口も乾いて何を言っているのかわからないと言う新人には付き物の失態も多々あったのだが、ここにきて漸く出演者の緊張を解きほぐし、最高のコメントを引き出せるようになってきた。 メインパーソナリティの東山は、おぎゃーと生まれた時から喋りだしていたと言っても過言ではないような男で、今日もその傾向は色濃く、二台のカメラも彼の一挙手一投足を捉えた状態で番組がスタートした。 冒頭、東山は 「ようこそお越しくださいました。今日も皆様のご協力を頂きながら収録を進めさせて頂きます。どうぞ宜しくお願い致します」 と、自身のキャラとはかけ離れた態度で挨拶をし、その後はどんどん舞台の袖に控えている鑑定希望者を呼び、得意の話術で客席の笑いを取って行った。 番組が始まった当初は持ち込まれる鑑定品と言えば壺や器といった陶器が主流とされたが最近では掛け軸が幅を利かせている。 骨董店を経営し番組で掛け軸の鑑定を一手に引き受けている平田雅美は二番目に登場した八〇代の男の掛け軸の鑑定に入り、数分後に結果を出した。 百万円と言う男の希望額に対して、二倍の額を提示した平田は、いつものように淡々と説明に入る。 渚は持ち込まれた物が本物であれ偽物であれ、全くこびへつらったり侮蔑の表情を見せたりしないという平田の姿勢を、今日も尊敬の眼差しで見ていた。 その後も続々とお宝は運び込まれ、最後にシックな装いに身を包んだ六〇代の女性が持ち込んだ、猫好きで知られる巨匠の絵画は、右隅の画家のサインが若干違うという事ではじかれた。 そして渚は鑑定結果が出た後、それが良い結果であれ悪い結果であれ、依頼者はその感情を露骨に表に出さない事を知った。やせ我慢の一種なのだろうが日本人らしい慎み深さの現れとも言える。 渚は収録を終え、控え室に戻ろうとした際、東山とばったり出くわす。 東山は会釈の後、足早に立ち去ろうとする渚に 「お疲れ。今日も終始、絶妙なタイミングで良かったよ」 と声を掛けた。渚がアシスタントを務め始めた頃は東山から「ちょっといい?」とちょくちょくダメ出しが入った。しかしその御かげもあり現時点ではそこそこアシスタントとしては使える部類に属する事が出来ていた。さらっと言いたい事を述べた東山は、何かを期待されても困ると感じたのか ファーレンハイトの香りを辺り一面に漂わせて、一人控え室へと消えていった。 二週間後、四国地方で開催された収録は徳島、香川、愛媛、高知を網羅した為か予想以上の依頼者が押し寄せた。 スタッフ達が地元の古美術商などの手を借りて若干、アバウトな鑑定でその数を減らす。しかしそれを行っても通常の倍の件数となった為、制作サイドは収録を二回に分けて行う事にする。 こうして九月下旬の秋晴れの日、香川県観音寺市の市民会館で番組の公開収録が行われた。 アシスタントの萩原渚は進行役を務める東山のトークによって引き出される依頼者のコメントにマイクを差し出し、彼らが硬くならず普段通りの自分を出せるようにさり気なくフォローした。 番組のアシスタントとして全国を回っている中、気づいたのは、その地方によってお宝の特色が見られるという事だった。 北海道は海外から船で運び込まれるケースが目立ち、比較的大きな絵画や彫刻像などが多くを占める。 逆に山口県の海沿いの町などでは他の地域では見られない青磁の壺などが多く見られ、その土地ならではの特異性を感じさせる。 今回の四国地方では渚自身もお宝として理想的であると考える切手、コインの鑑定が多く組まれた。 トップバッターは四〇代の男性で、自身が小学生時代に当てた懸賞品を持ち込んでの登場だった。 「それで、これが当たって家に届いた状態で依然未開封のままって言うのがすごいですよね。普通はうれしくて開けてしまうものでしょ?」 と、東山に突っ込まれた男性は 「そうなんですよ。自分でも良く開けなかったなって感心しています」 と言い,笑いを取った。 有名菓子メーカーの懸賞で世界の金貨、銀貨のセットを当てたという六〇代の女性は、ほぼ倍額になった鑑定結果に飛び上がらんばかりに喜び 「早速、このお宝を売ってお友達と旅行に行きます」 と満面の笑みで答える。 東山が「ご主人は?」と聞くと、 いけしゃあしゃあと 「あの人はワンちゃんとお留守番」 と答え会場は笑いの渦と化した。 今日も目玉となるのが掛け軸で、円山応挙、菱田春草らの署名が入った掛け軸が何点か鑑定にかけられた。鑑定士の平田雅美はこれらの鑑定に一切の私情を挟まず、淡々と鑑定結果を述べ、ほのぼのとした会場を一種の緊張感漂う空間に変えた。 「さすがだわ」 渚は期待を裏切らない平田の鑑定姿勢に感銘を受け、最近では鑑定士の中に平田が含まれていないとがっかりしてしまう自分に自らが一番驚いていた。 収録が終わり控え室に戻る途中、平田が着替えを済ませ一足先に出る所に出くわす。 平田は「あら」と驚きの声をあげ、すれ違いざま 「お疲れ様。明日もよろしくお願いします」 と言い部屋から出ていった。年配の女性にありがちの過度なオードトワレ臭などとは程遠い、北国の大地に咲くラベンダーの爽やかな香りが微かに残っている。 この香りはやはり特定の男性に向けてのアピールなのだろうか?こうした思いが渚の頭の中に浮かぶが、直ちに打消し化粧台の前に座った。 夜になり、明日には収録を終え、この地を離れなければならないという事もあって、夕食はスタッフ全員を揃えての会食となる。 地元の人達が挙って訪れるという、民族調のレストランは内装が凝っていて四国地方を代表する特産品による料理がテーブルを埋め尽くした。 渚はアシスタントの端くれとして常日頃から顔にむくみを作ってはいけないと己に課していた事もあり、今回もアルコールには一切手を付けなかった。 そして渚は男女同権などは無用の長物と言うように、がつがつと食事に徹する二〇代の男達を横目に周囲への酌に回る。 この席には鑑定士達の姿はなく、座は学生時代の飲み会の様相を呈していた。 二回目の酌を一周した後、小皿に取ったカツオのたたきに専用のたれをかけた所で 「お疲れ。あっごめん。今から本格的に食べる所だった?」 と東山から横やりが入る。 「いえ、いいんです。お昼がボリュームたっぷりだったせいか、あまりお腹が空いてないし」 「また、またぁ。だからやせ細っていく一方なんだよ。俺はね、渚が綺麗でいてくれるより健康でいてくれる方がいいんだから」 さすが、MCでは業界随一と言われる東山らしい言葉だな、と感心しつつもあえて感激もぜず礼を述べて終わる。 「じゃ、皆さん明日もよろしくお願いします」 というディレクターの声で夕食会はお開きとなり、皆、宿舎であるホテルに戻る。 渚はホテルの部屋に戻り、入浴を済ませて持参してきたスエットの上下に着替えると、急に喉の渇きを覚え、氷を取りに行こうと思いつく。 ドアを開ける前、魚眼レンズに目を当て外の様子を窺う。真正面ではないが左前方に鑑定士の平田雅美の姿を見つける。平田はドアに身を寄せ誰かが出てくるのを待ち、数秒後、出て来た相手にしかと抱き寄せられた。 そのまま二人は一塊となって部屋の中へと吸い込まれていった。男は東山だった。そして平田と東山は出来ている。 「それがどうしたって言うのよ。よくある話じゃない」 そう心の中で気持ちを鎮めようとするも、一度顔を出した嫉妬はなかなか引っ込みがつかない。 東山の奴、よくもぬけぬけと、と言う自分でも説明しようがない感情が湧き起こるが、平田が鑑定士としてより一層活躍する為ならばそれも致し方ないではないかと考える。 「とにかく氷を取りに行かなくちゃ」 渚は階下にある製氷機に向かうべく部屋を出る。アイスボックスを抱えて部屋に戻ると、やるせない気持ちは一掃されている訳でもなく、未だ澱のように、心という湖に沈殿していた。 同時に夕食に出た鰹の味が口の中に蘇り、渚は全てと決別するようにグラスに入った水を一気に飲み干した。
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