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第2話「あっ、呪文……忘れちゃった」
(UnsplashのCassiano K. Wehr)
ウロコの隙間から緑色の血を噴出させて、龍が絶叫した。洞窟の天井や壁がぼろぼろと崩れ落ちる。
「……まずいわね」
ロウはクルティカの肩に抱え上げられたまま、小さなお尻をふってにらみつけてきた。
「あれもこれも、ぜーんぶ、あんたのせいよ。王都に戻ったらアデム団長に言いつけてやる」
「そりゃいいけど」
とクルティカはロウを肩からおろした。
「まずはここから逃げなきゃな」
「なんであたしを降ろすのよ」
「一人のほうが逃げやすいだろ。お互いに」
「確かに」
そう言うとロウ=レイは一目散に逃げだした。後ろは見ない。古龍も幼なじみであるクルティカさえも。
「……相変わらず、逃げ足も騎士団最速なんだよなあ」
クルティカはため息をついて、逃げずに龍を見た。断末魔の叫びが洞窟を揺るがし、大きな石がどんどん落ちてくる。
「剣には『炎薬』を十分塗ってきたんだけど、これだけ身体がデカいと薬だけじゃ死なないな」
幅広の長剣をかまえて、土煙を上げて落ちてくる石や岩ごしに瀕死の龍を見る。龍は剣から流し込まれた毒で痛みのあまりのたうち回る。
クルティカは冷静に距離を取り、間合いをはかった。
「最後のとどめに、首を落とさせてもらうよ――ここから首の付け根、第七頸椎まで、四歩!」
どんっ! とクルティカは走り出した。
暴れまわる龍の足元に四歩で着くと、鋼で強化した革長靴から毒針を出す。
ざくり、とすでに流血しているウロコの隙間へ、麻痺薬つきの太い針を叩きこんだ。
龍が再び絶叫する。
「この麻痺薬は即効性。首を落とすまでに、あと三歩」
クルティカは素早く龍の身体を駆けのぼり、首の付け根にたどり着く。
肉厚な長剣を振りかぶる。
「あと半歩――」
剣が古龍の首に落ちる直前、すさまじい声が洞窟中に響いた。
「ティカ! 龍のしっぽが!」
「ロウ!? ばか、下がっていろ!」
「あんたを置いて一人で逃げるわけないでしょ! 上を見て!」
クルティカが振り仰ぐヒマもなく、龍の鋭い毒尾が、ぐわぅ!! とおそかかった。
慌ててよけたクルティカは足を滑らせ、5タールの高さから落ちていく。
「ロウ、どけ、ぶつかる!」
「わかっているわよ!」
落ちてきたクルティカの長身を、ロウ=レイは足でけり飛ばして方向を変えた。
あやうく頭から落ちるところだったクルティカは、かろうじて受け身を取って着地する。
今度はロウ=レイが龍の体を駆けのぼる。
「あんたの『完璧な計画』は、どこへ行ったのよ!」
龍の首にまたがり、ロウはレイピアを振りかぶった。
クルティカが叫ぶ。
「よせ、ロウ! まだ、『首落とし』の呪文を唱えていない! 呪文なしで首を落とすと龍の呪いが帰ってくるぞ」
「あっ、呪文……忘れちゃった」
クルティカは剣をかまえなおし、龍の足元に立つ。
「お前さあ、先月、黄雲騎士団のジャバ団長の『上級異獣の殲滅講義』に、出席したか?」
「さぼった。ジャバ団長みたいな筋肉ばきばきオジサマは、スキじゃないのよ」
「好き嫌いの問題じゃない! 古龍は作法どおりに首を落とさないと最後の――」
『そうだ。我ら竜族には、最後の呪い、が、ある』
龍は、今やのすべての傷からどろどろの血を噴き出させている。血は沸騰しており、土を焼きながらクルティカに迫った。
あれに触れたら、あっという間に丸焦げだ。あわてて逃げ出す。
龍の首に乗ったロウが激しくせき込んだ。
「ここ……においが、ひどい」
絶命寸前の古龍は、普段以上に濃厚な瘴気を吐き出す。龍のそばにいるロウは有害な空気を吸っているはずだ。
クルティカは、
「ロウ、おれが代わりに首を落とす。そこから降りろ!」
しかし、瀕死の龍はロウ=レイを首に乗せたまま立ち上がった。
片眼をレイピアでつぶされ、もう片方の眼には白い膜がかかっている。寿命が、残りわずかなのだ。
底さびた声で、龍は最期の呪詛を吐きはじめた。
『小娘、我が首をくれてやる。竜族の最後の呪詛を浴び、汝の宿命とせよ……』
「ーーしゅくめい? なに?」
ロウ=レイがつぶやく。
ぐぐぐわ、と龍が笑い声のような音を立てた。
『しらんのか……好都合だな。作法を忘れて首を落とした愚か者には――』
突然、古龍は長い首をロウ=レイの剣に近づけた。
「きゃっ! 何するのよ!?」
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