拝啓――推し様

1/1

0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 「騙すつもりはなかったけれど、結果的に騙すような形で活動していて申し訳ありません」  最初、彼に事情を打ち明けられた時に思ったのは「騙された!ひどい!!」だった。いま思うと酷い反応だけれど、当時は本気でそう思っていた。本当に無知というのは恐ろしいものだ。  私は彼を知ったのはもう10年ほど前だろうか。当時、高校生になったばかりの私はやっと買ってもらったスマホで動画や音楽を漁ることにハマっていた。「魅惑のショタ声と浄化される高音」という広告になんとなく釣られて歌ってみた動画を視聴したのがきっかけだった。  その曲は語りがある曲だった。動画の主は少年のような声で語り、聖歌隊のような高音で歌っていた。それからその投稿者のことを調べ、男性だと書かれているウィキペディアを読んだ。私は何の疑問もなく「男性であの声!?すごい!」とますますのめり込んだ。  けれど、今思えばここで思い込みが発生していただけだった。男性と記載されている人が全てシスジェンダーとは限らない。その知識が当時の私にはなかった。だから私は彼が男の子として生まれ、男の子として育ち、喉仏やアレがある、シスジェンダーの男性だと勝手に思い込んでいた。  だから、彼が「実は女の子のして生まれ、性自認が男性なんです」と打ち明けた時、私は憤慨してしまった。ファンになって3年が経っていた。騙された気がして、酷いことも言ってしまった。彼が直接目にしてしまうリプライや引用リツイートでもツラく当たってしまった。本当にツラいのは彼の方なのに。当時はちゃんと考えられなかった。  「まぁ性自認は男なら男性って言うのも嘘ではないしね」  「わざわざ言いたくなかっただろうし、性自認がって付けてなかっただけだもんね」  「謝らないで。打ち明けてくれてありがとう」  「誠実な対応でもっとファンになりました」  「言うのすごく勇気が必要だったと思う。これからも応援してます」  「私は歌い方や性格が好きなんであって、性別で好きになってないからこれからもずっと好き」  連なる肯定派のリプライ、引用リツイートの温かさ。それから私のリプライと引用リツイートへの同じ気持ちの人からのいいねや、肯定派からの説教リプライでポップアップ通知が出る度に目に映った、私の醜い感情。  やってしまった、と思った。すぐにツイートを消した。エゴだけど謝罪のリプライも送った。まだ何もわからなかったけれど、彼を傷つけてしまったことだけはわかったし、すごく後悔した。そうだ、私だって性別で好きになったわけじゃないはずだ。のめり込むきっかけにはなったけれど、最初に惹かれたのは"男だから"じゃない。  それから私は風のうわさを頼りにセクシャリティとかジェンダーとかを勉強してるらしい先輩に連絡を取った。先輩に「推してた人がこういう人で」と言ったらすぐ彼のことだとわかった。界隈でも話題になっていたらしい。「彼を少しでも理解したい」と言った私に先輩は笑ってくれた。  「酷いことを言ってしまったし、もう遅いかも知れないんですけど……」  「遅くないよ。人は誰でも間違える。大事なのはそれからどうするかだと思う。初心者用の本ピックアップしてリストにしたげるよ。読んでてわかんないとこは何でも聞いて。わかるまで解説する」  「ありがとうございます」  手始めに当事者の自伝と初心者向けのQ&A本を先輩から借りた。自伝は軽い書き口で読みやすかったけれど、その内容はかなり衝撃的だった。当事者の全員がそうとは限らないらしいけれど、胸を包丁で削ぎたくなったり日常の些細な女性扱いで死にたくなったり、私には想像もできないような苦しみの日々を生きていた。彼もそうなのだろうか。彼も生きているだけで苦しいのだろうか。  あの時、私の軽率なツイートが彼を殺していたかも知れないと思うと、耐えきれない吐き気に襲われた。私はトイレで吐きながら号泣した。どうしようもなく不安で彼のアカウントを閲覧し、今日もツイートしていることを確認した。  それから私は自分の専門の他にセクシャリティやジェンダーについても勉強をした。不安で不安で毎日彼の生存を確認したし、罪の意識に苛まれて数日に1回は悪夢を見た。彼は生きてるだけで悪夢みたいな心地なのかも知れない、と思うと悪夢を見た日の方が安心さえした。  先輩は私の勉強にとことん付き合ってくれた。どの本を読むべきか、私のレベルに合わせて教えてくれた。多少失礼な質問をしてしまっても答えてくれた。それは失礼になるから気をつけて、と教えてくれた。どんなに私の飲み込みがうまくいかない時も笑顔でわかるまで教えてくれた。  「なんでこんなにしてくれるんですか」  ある日、私はカフェで勉強してる時、先輩に聞いた。先輩後輩だからって根気よく私に付き合う義理はないはずだ。適当に本をリストにしてLINEで送って終わりでもいい。それでも充分すぎるくらいの面倒見なのに、わざわざ何度も会ってくれたし、わかるまで説明してくれたし、本は私に合わせてくれた。先輩は優しく笑った。  「私もLGBT当事者だからだよ」  「え……」  「君の推しの彼とは別だけどね」  「私、先輩はアライだと思ってました」  当事者だったら私の勉強に付き合うのはより大変だったんじゃないだろうか。攻撃的なことは言わなかったけれど、無知からくる失礼は何度かしているしその度に優しく教えてもらっていた。その余裕からして先輩は非当事者のLGBT支援者であるアライだと思っていた。私は慌てて頭を下げた。  「すみません!それなら余計に嫌な思いをしたんじゃ……」  「気にしないで。したくてしてるの。当事者であり研究者でもある私としては、君みたいに知ろうとしてくれる非当事者を大切にしたいから。それに、彼と同じ当事者ではないからアライって認識も間違ってないよ」  「……ありがとうございます」  先輩は穏やかな笑みを浮かべて私を安心させてくれた。それからも私は先輩が会社員になるまで定期的に先輩と会って勉強を続けた。  推している彼のことも、暫くは罪悪感で応援していた部分があったけれど、彼が気にしていないポーズを取ってくれていたのもあって、先輩が大学を卒業した頃には元通りのファンに戻れていた。これも先輩のおかげだと思った。  先輩の卒業式の数日後、私は先輩をディナーに誘った。卒業祝いと勉強会のお礼がしたかった。レストランは先輩が行きたがっていたフレンチを予約した。フレンチにしては価格も安い方だったし、何より先輩を喜ばせたかった。  先輩は稀に見るハイテンションで、終始喜びっぱなしだった。私達は話もお酒も進んだ。その日の先輩は珍しく酔っ払っていて、私は先輩を家まで送っていった。先輩をベッドに寝かせ、枕元に水を用意して帰ろうとした私を、先輩がベッドに引きずり込んだ。  「ちょっ、先輩!?」  焦る私をよそに、先輩はそのまま眠ってしまった。私はなんだか嫌じゃないドキドキを抱えながら、諦めて一緒に寝ることにした。  翌朝、目を覚ました私は先輩に土下座されていた。先輩は記憶がないらしく、私に手を出してしまったと思っているようだった。泣きながら土下座する先輩が言うには、実は昔から私のことが好きだったそうだ。「非当事者を大事にしたい」と語ったのも嘘ではないが、私と話したいという私欲が最も大きかったらしい。  「騙すような形で仲良くしてごめんなさい」  先輩が泣きながら言った。私は今度は騙されたと思わなかった。これで先輩が本当に手を出していたら話は別だけれど、私はただ添い寝させられただけで、手を出されたわけではない。私は土下座する先輩と目線の隣に座って首を振った。  「先輩、私は手を出されてはいないです。安心してください。むしろ寝起きで反応鈍くて告白させてしまってすみません。……好きになってくれてありがとうございます。私は異性愛者だから先輩とは付き合えないけれど、先輩を人として魅力的な人だと思っています」  実を言うと学ぶにつれ私も先輩の気持ちにはうっすら気がついていた部分があったからあまり驚かなかったのも大きい。手を出してなくてよかった、と今度は安心と振られた悲しさで泣き崩れた先輩に私ができることは水を差し出すことくらいだった。  それからの先輩は暫く気まずそうではあったけれど、私とたまに会ってご飯行ったりオススメの本や就活について教えてくれたりして、私たちはあまり変わらない関係を続けていた。  あれからもう10年くらい経っただろうか。先輩は今、私の隣で一緒にソファに座っている。ふと先輩が私に寄りかかりながらぽつりと呟く。  「なぁんか騙された気分だなぁ」  「何の話?」  私は先輩の髪の毛先を弄びながら尋ねる。先輩が拗ねたような顔で私の口を摘む。どうやらあの告白してしまった日を思い出したらしい。  「君のこの口が異性愛者だから付き合えないって振ったのにさ。私、がんばって忘れようとして、他の人を見ようとしてみたり……色々したのに」  「でも幸せでしょ」  「……生意気」  口を摘んでいる手を掴んで離させ、私は勝ち誇った顔をする。先輩は否定できずに一度目をそらすと私を睨みつける。私はそんな先輩に笑みをこぼして、ふたりで読み重ねた本たちが並ぶ本棚へ視線を向ける。  「だって気づいちゃったからさ。それに……人は変わるから。ぶっちゃけさ、異性愛者がバイセクシャルになっても、バイセクシャルが異性愛者や同性愛者になっても、異性愛者が同性愛者になっても、トランスジェンダーがシスジェンダーになっても、シスジェンダーがトランスジェンダーになっても良いじゃん。変わるものが大きく見えても、必ず変わらないものもあるし、本人が歩んできたものや育んできたものがなくなるわけじゃない」  私に差別や偏見と向き合うきっかけ、ひいては先輩と仲良くなるきっかけをくれた彼は最近、戸籍の変更を終えたらしい。ホルモン注射で声や歌い方が変わることはちょっと心配したけれど、あまり変わらないでいてくれたお陰かファンが減ることもなく安心した。本人として変わらないことが不服でなければいいけれど、なんて余計な心配もしつつ、私たちは連名でよく彼にファンレターを送っている。  『毎度の結びで恐縮ではございますが、あなたが私に様々なきっかけを与えてくれたこと、本当に感謝しています』  『あなたのお陰で幸せを手にすることができました。これからもどうかご自分の心身に優しく活動されてください。応援しております』
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加