677人が本棚に入れています
本棚に追加
/27ページ
渇望
「私が看護師になったのは、やりがいがあるのもありますし、両親がいない今、誰かと関わって支えになりたい気持ちが強かったんです。だから病院の外でも、困っていそうな人がいたらつい助けたくなる癖があります。……修吾さんはドアトゥドアな生活を送ってそうなので、まったく関わりのない他人と接する事は少ないと思います。でも世の中には、見返りなしで親切にする人もいるって知ってもらえたら嬉しいです」
鞠花からの話を聞き、修吾はすっかり毒気の抜けた顔になっていた。
「何か……すみません。逆に今日、本当に鞠花さんと食事ができて良かったです。俺は自分の生い立ちから、偏った物の見方で世界や人を判断していました。鞠花さんのように、普段関わらない世界の人と話せたのは、実に有意義でした」
「そんな立派な存在じゃないんです。恥ずかしいからやめてください。おだてても何も出ませんよ?」
鞠花がクスクス笑ったのに合わせ、修吾も屈託のない表情で笑った。
「さっきの話に戻るんですが、贈り物の話は一度撤回します。もちろん、鞠花さんが何か望むなら何でもプレゼントしたいです。でも一方的に押しつけるのはやめます」
理解を示してくれた修吾に感謝し、鞠花は「はい」と頷く。
「その上で、また会って頂けますか? 鞠花さんともっと話して、自分の知らない価値観を知っていきたいです。その時、食事ぐらいは奢らせてください。女性とデートしたのに、割り勘っていうのは格好悪くて……」
男の見栄を張ろうとする修吾がおかしくて、鞠花は思わず笑う。
彼とデートをして食事をするなら、きっとこのレストランのように高級な場所だろう。
それでも鞠花側の意見を言って修吾に引いてもらったので、彼の意見を鞠花が一部聞き入れる必要もあると思った。
「私も、修吾さんのような方は珍しいので、もっとお話したいと思います。良かったらまた誘ってください」
そう言うと修吾は嬉しそうに表情を綻ばせた。
**
「はぁ……」
鞠花の家まで送ったあと、祥吾は西麻布の自宅に戻ってシャワーを浴び、部屋着に着替えてカウチソファに長い脚を投げ出した。
頭の中は鞠花で一杯だった。
今まで何でも手に入る環境にいた祥吾は、女性に一目惚れした事などない。
恋人関係になっても、セックスをしても、誰か一人の女性に心が支配されるなど経験しなかった。
けれど鞠花は新しい風となり、彼女の価値観に新鮮さを感じた。
今まで「貧乏人の考え」として半ばせせら笑っていた一般人の思考も、鞠花の説明を聞いてちゃんと理解できた気がする。
というよりも、自分は今まで〝下々の人間〟の考えを理解しようとしていなかった。
スーパーでより安い物を買おうとする鞠花にだって、彼女なりの誇りがある。
自分はそれをまったく無視して、「こうすれば喜ぶんだろう?」と分かったふりをして価値観を押しつけようとしていた。
(目が覚めた……なんて事は言わないが、……いや、目が覚めたのか)
彼女と話して感じた新鮮な感覚を、素直に受け入れて認めるには、祥吾の価値観は腐りきっていた。
鞠花といると彼女がとても輝いている気がして、自分の価値観のくだらなさが浮き彫りになってくる。
「イケてる」と思っていた自分がいかに「ダサい」人間なのか自覚せざるを得ない。
なので彼はしばらくカウチソファに座ったまま、自分自身と話し合い、これからどうすべきなのか考えていた。
「……今までになかったタイプの女なのは確かだな。こんな事がきっかけで自覚するなんて、ベタだけど」
鞠花を認め、それでも最後には毒づいてしまう。
それから水を飲みながら鞠花の事ばかりを考え、如何に彼女を屈服させて自分のものにするか思考を巡らせる。
けれど今までのような手順を使おうとしても、考えている途中で「彼女に悪い」という感情がわき起こりままならない。
いつもなら出会った女性を適当におだてて贈り物をして、雰囲気のいい場所でデートをすればすぐにセックスでき、攻略完了だ。
けれど鞠花にはそれが通用しない。
夜景スポットでのドライブや、ナイトクルージングなどを喜んでくれても、そのあとすぐに抱こうとしたら「そんな安い女じゃありません」と拒絶されるだろう。
そして、軽蔑される。
「……っ、あぁ……。畜生」
欲しくて欲しくて堪らないのに、すぐ手に入れられない。
渇望しているのに手こずって苛つくだなんて、まるで子供のようだ。
「……ほしい。……鞠花がほしい……」
渇きを覚えた獣のように、祥吾は苦しげに呻く。
そして次にいつ彼女と会えるか確認するために、耐えきれずメッセージアプリを立ち上げた。
**
それからも修吾は頻繁に鞠花にメッセージを送ってきて、デートの約束を取り付けようとした。
彼の好意はありがたい。
それでもお互いまず仕事を第一に考えた方がいいと思うので、仕事が忙しい時は断り、余裕のありそうな時は応じた。
デートの約束の他にも、修吾は日々の何気ない話題や、その日食べた食事の写真を送ってきた。
思った通り自宅の食事にしてもプロが作った物を食べているようで、彼いわく家政婦さんが通っているそうだ。
家政婦の食事を食べているというのに、修吾は鞠花の食事の写真も見たいと言ってくる。
何の変哲もない、煮物や煮魚、焼き魚、生姜焼きなどなので、「大した物じゃないから」と言っても彼は見たがる。
食器も百円ショップで買った物なので恥ずかしいし、写真の技術もない。
それでもなるべく綺麗に映るよう写真を撮って修吾に送ると、『食べたい』とメッセージを送ってくれるので、気持ちが温かくなった。
「綺麗ですね」
鞠花は修吾に誘われて、品川にある水族館に来ていた。
入り口から入ってすぐイルカやアシカが見られ、色とりどりの魚を見ながら歩いて行く。
屋内は薄暗いため、水槽のマリンブルーがとても神秘的に見えた。
時刻は午後で、午前中は修吾と一緒にお台場にあるプロジェクションマッピングのミュージアムに行き、そのあとランチは豊洲で高級寿司を頂いた。
それから移動して現在は水族館にいて、このあとは東京駅付近まで行ってディナーの予定だ。
修吾に手を繋がれ水槽のトンネルをくぐると、心の底からロマンチックな気持ちになれる。
最初のコメントを投稿しよう!