あなたを愛していたのに!!

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あなたを愛していたのに!!

「……鞠花、そこの椅子に座ってくれ」  来客用の椅子を示したが、鞠花は動かない。 「……鞠花?」  鞠花とやっと会えた喜びを噛み締めていた祥吾だったが、ようやく彼女の様子がおかしい事に気付いた。 「……本当は、誰かがあなたを刺さなければ、私が刺していたかもしれません」 「――――っ」  ポツリと言われ、祥吾は胸いっぱいに広がっていた幸福感が、鈍器で殴られたかのようなショックと共に急激にしぼんでいくのを感じる。  驚愕のあまり、祥吾はポカン……とした顔で鞠花を見つめる。  そこで初めて、彼女は息を震わせ、目を潤ませて祥吾に向き直った。 「……私の両親は、私が十七歳の時に自殺しました」  突然、今まで触れなかった鞠花の両親の話になり、このタイミングで言われる事に嫌な予感を抱いた。 「私の両親は小さな会社を営んでいました。ですが経営が傾き、月々の返済をしていくのも厳しくなりました。いわゆる、黒字倒産だったのだと思います。店の利益は出ていましたが、借入金の返済ができなくなっていきました。返済するために消費者金融に借り入れをし、貯金はなくなり、家族は経営者なのにカツカツな生活をしていました」  話の行方を察し、祥吾の顔色が悪くなる。 「借り入れをしていたのは、かなえ銀行。私の両親は当時二十五歳のあなたがに本社地下駐車場で車に乗るタイミングで、直接嘆願しにいったそうです。一部始終の話は当時の秘書から聞きました。正式なアポイントも取らず、あなたの移動中に押しかけたのはうちの両親に非があります。……ですがあなたは……っ、私の両親を土下座させ、その頭を踏んだ……っ。そして現状を回復させる案も出さず、自己破産を勧めた……っ。『将来のあるお子さんがいるなら、重荷になる自分たちを損切りした方がいいんじゃないですか?』と言って……っ」  鞠花は大粒の涙を零し、祥吾を激しい憎悪を込めて睨んでいた。 「…………っ」  ――まさか……。  祥吾は自分が今まで踏みつけてきたものからの、盛大なしっぺ返しを喰らう。  悪人に好きな人ができたと言って改心しようとしても、それまで行った悪行まで帳消しにはならない。 (嘘……だろ……)  ずず……、と、足元が崩れて底なしの闇に吸い込まれてゆく幻想を味わう。  まるで波打ち際にいて、足元の砂が吸われていくような、あの心許ない感覚のようだ。 「……両親は、自己破産するために自宅を含めた資産をすべて売り払い、私を祖父母に任せて首を吊りました」  ――同じ目をしている。  両親の仇として自分を睨んでいる鞠花と、自分を刺した東。  二人とも、瞳には激しい憎しみがあった。  ――それもすべて、自分の愚かな行いのせいで――。 「……すまな、かった……」  かすれた声で謝罪しても、鞠花は返事をせず嗚咽していた。  どうにもならない荒ぶる感情を制御しきれず、両手で顔を抑え、食い縛った歯の間から悲鳴に似た叫びが漏れる。 「――――っあなたを! 愛していたのに!!」  魂を震わせるかのような絶叫が室内に響き、祥吾の胸が激しく痛んだ。  ――鞠花を一生大切にしようとしていたのに。  祥吾の目から涙が零れ、頬を濡らす。 「……っ泣かないでください! 何であなたが泣くの!?」  叩きつけるように叫び、鞠花は「ぁ、あぁあああ……っ!」と声を上げて床に座り込んだ。  騒ぎを聞いて、警官がドアを開けた。  だが祥吾は涙を流しなら、彼らに向かって首を横に振る。  再び二人きりになった空間で、鞠花はしばらく声を上げて泣いていた。  人間にこれほど悲痛な声が上げられるだろうかと思うほどの、号泣。  普段の鞠花が理性的な女性だったからこそ、本能的に泣く彼女の声を聞いて、祥吾は胸を万力で締め付けられる思いを味わった。  どうしよう、など、自分に尋ねても過去は変えられないし、答えは決まっている。  改心して、彼女に一生尽くすしかない。  けれど、鞠花は自分の話を聞き入れてくれるだろうか――。  やがて鞠花は落ち着きを取り戻し、室内にあったティッシュで鼻をかんだ。  そしてようやく椅子に座り、溜め息をつく。 「……あなたが大井修吾ではなく、鳳祥吾だと知った時、あなたが『刺されるかもしれない』と言っていた言葉もすべて納得できました。あなたはまごうことなきクズで、最低な人間だから」  ズクン、と祥吾の心が傷つく。  自分でクズと言うのと、最愛の人から憎しみを込められて言われるのとでは、受けるダメージがまったく異なる。  そして鞠花は祥吾を「クズ」と言う権利があり、彼女の言う事は何一つ間違えていない。 「私はあなたを愛していて、あなたにもしプロポーズされたら、受けようとも思っていました。だからこそ、テレビ番組であなたの姿を見て正体を知ったあと、直接会って自分の感情を叩きつけず、消える事を選択しました」  今ならもう、すべてを理解できている。 「……俺にとどめを刺しに来た?」  苦く笑ってみせたが、鞠花はまた溜め息をつき窓の外を見る。 「……殺したいとは思いましたが、それを実行するかといえばまた別です。私の両親は、私が生き延びて幸せになる事を望んでいました。両親はあなたの事を、恨んでいた訳でもありませんでした。両親が最後まで恨んだのは自分たちのふがいなさです。最後まで私の両親は、自分たちの末路を誰かのせいになどしませんでした」 「……それは、……すまない」  鞠花はまた息をつき、室内に沈黙が落ちる。 「俺はどうやって君に償えばいい?」 「……亡くなった人は蘇りません」  きっぱりと言われて、祥吾は頷く。  また沈黙が落ちたあと、鞠花が尋ねてきた。 「あなたは本当に改心して、私を愛そうとしたんですか?」  その問いを受け、祥吾は必死に訴える。 「本当だ。鞠花のために、いい夫になろうと思っているし、君が望むならすべてを差し出そうと思っている」  しばらく鞠花は、その言葉の真偽を問うように祥吾を見つめる。  祥吾は、ただ自分の想いが伝わるようにと、鞠花を見つめ返すしかできなかった。  すべての信頼を失っている今、どんな言葉を重ねてもただの言い訳にしかならない。  そして鞠花が舌先三寸の言葉で誤魔化される人ではない事も、重々承知していた。  見つめ合ったまま、どちらも視線を外さない。  やがて溜め息と共に視線を外したのは、鞠花の方だった。 「……じゃあ、私の言う事を聞いてください」  鞠花が自分の主張を通したがるのは珍しいと思ったが、自分の犯した罪を思えば、彼女の願いをすべて叶えたいと思った。
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