彼を愛する事を、許してください

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彼を愛する事を、許してください

「何でも聞く」  瞳に覚悟を宿し、祥吾は頷く。 「怪我が完治してからでいいので、今まであなたが雑に扱った人たちに対して、誠実な謝罪をしてください。謝罪を受けて、その人たちの心の傷が癒えるとは思いません。ですが謝罪せずのうのうと生きて、恨まれ続けるよりはマシです」  言われて、鞠花らしいなと思いながら祥吾は「分かった」と頷いた。 「今後、あなたの側にいる者として、私や生まれる子まで恨まれては困ります。その前に、あなたは未来の夫として、父親として、家族を守る行動を取ってください」  その言葉を聞き、祥吾は目を丸くした。  鞠花の言葉を理解するまで数秒を要し、ノロノロと問う。 「……俺と、結婚してくれるのか?」  尋ねられ、鞠花の表情に初めて怒り以外の感情が浮く。 「……あなたがどんなクズだったとしても、私はあなたを愛してしまった」  また鞠花の表情が、泣きそうに歪む。  けれどそれは先ほどの悲しみとは異なった、もっと切ないものだった。 「…………っ、大っ嫌いで、憎んでいたのに……っ! ~~~~、あなたは……っ、私にとって、とてもいい恋人だったんです! あなたほど優しくて、とても素敵な人は他に知らない……っ」  ポロポロと、鞠花の頬に水晶のような涙が零れる。  ――あぁ、鞠花は本当に心の綺麗な女なんだな。  それを見ながら、祥吾は痛感する。  普通なら、どんな付き合いをしても、自分の両親を死に追いやった相手を前にしたら冷静でいられないだろう。  だが鞠花は、二つの事柄をきちんと分けて考えている。  どんなに泣き叫んで自分に恨み言を述べ連ねても、彼女の根っこの部分はやはり冷静で理知的だ。 「こうなってまだあなたが私を望むというのなら、私もその気持ちに応えたいです。でも、本当にあなたが過去の自分と決別したというのなら、相応の覚悟と誠意を見せてもらいたい。それが私の望みです」  透明な涙を流しながらも、背筋を伸ばして座る鞠花は、凛としていて美しい。 「分かった。鞠花の望みをすべて聞く。俺は生まれ変わる」  きっぱり言って頷いた祥吾を、鞠花はまた見つめる。  しばらく鞠花は「本当なのだろうか?」と探る目で見ていたが、ふ……と息をつくと表情を和らげた。 「約束ですよ?」 「ああ」  ようやく彼女が許した――とは言わないかもしれないが、態度を軟化させてくれた事に祥吾は安堵する。  鞠花は立ち上がり、祥吾の手を握った。  八月下旬に彼女を見失ってから、実に四か月ぶりに鞠花に触れられた。  祥吾は大事そうに両手で鞠花の手を握り、そのほっそりとした輪郭を辿る。 「私には両親がいません。あなたのような人が結婚するのに、向いていない存在かもしれません。私自身も努力しますが、どうか嫁姑問題などにならないように、しっかりご家族に話を通してください」 「分かった。俺は一生、鞠花の味方だ。絶対に裏切らない」 「約束ですよ」  聖母のように微笑み、鞠花は祥吾の小指に自分のそれを絡めた。 「指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます、指きった」  美しい声で鞠花が昔ながらの誓いの歌を歌い、小指を話してからふわっと微笑んだ。  その微笑みを見て、祥吾は自分が〝赦された〟のだと察した。  鞠花はベッドの端に座り、ぼんやりと天井を見上げていた。  そして祈るように目を閉じる。  彼女の眦からツッ……と涙が零れ落ちるのを見て、祥吾は鞠花が今何を思っているのか分かった気がした。 (……心の中で、両親に報告しているんだろうな)  直感でそう感じた祥吾は、自分が足蹴にした彼女の両親のためにも、必ず鞠花を幸せにしてみせると自分自身に誓った。  ――変わらなければ。  強く、強く己に言い聞かせる。  正しい道を教わらないクズは、いつまでもクズのままだ。  けれど改心したクズなら、間違えたあとでも正解の道を歩けるのではないだろうか。  自分がクズである事は、今更どう足掻いても変わらない。  ならばただ、より善い人間となるために足掻き、進まなければ。  クズ、最低、極悪人、人の子ではない、血の通っていない人間――。  今まで数多くの罵り言葉を受けた、外見だけ美しいモンスターは、今日で終わりだ。  周りがすぐに赦してくれなくても、一生周囲に頭を下げ続けてでも、自分の見いだしたたった一つの真実を守り抜いてゆく。  気が付けば祥吾は、長年自分の心の奥底に溜まっていた汚泥を感じなくなっていた。  すべてものを「くだらない」と感じていた感覚も、自分に媚びへつらう者や女性を軽んじる気持ちも、もう消えていた。  尽きなかった性欲も、鞠花への一途な愛の中にしかない。  心にあるのはただ、美しい花(かのじょ)の守り手として、相応しい男にならなければという想い。  そして志半ばにしてこの世を去った彼女の両親の代わりに、自分が必ず彼女を幸せにし、一生尽くすのだと改めて決意した。 **  心の中で、鞠花は両親に詫びた。  ――好きになってはいけない人を、好きになってごめんなさい。  そしてもう一つ詫びる。  ――彼を愛する事を、許してください。  いまだ、すべてのわだかまりを捨てて、彼の全部を赦して認めた訳ではない。  けれど、両親が生きていたのなら、「反省した人を赦せる子でいてほしい」と願うはずだ。  鞠花は自分を普通の女だと思っている。  理不尽な事があれば怒るし、腐って自棄酒をする時もある。  長い間、両親が自殺をした原因である鳳祥吾を、文字通り〝仇〟として憎んでいた。  しかし九年抱えた怨念とは別の所で出会った〝大井修吾〟は、淡々と職場と自宅の往復をしていた鞠花に、喜びと生きる理由をくれた。  一人の女性として丁寧に扱い、愛してくれた。  普段接している人に雑に扱われている訳ではないが、鞠花の心は〝修吾〟に愛されてたっぷり潤った。
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