第一話 セカイが壊れたその瞬間

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第一話 セカイが壊れたその瞬間

 空はどこまでもその色が突き抜けているのではないかというほど、青々しく澄み渡っていて、むさくるしい教室で、鍋で調合の実験をしていても、窓から風気吹き抜けてきて、ある意味気持ちが良いくらいの、初夏のある日だった。  ばああん、という奇妙な音と共に、教室が__否、視界が突然真っ白になり。  その白い視界の正体は、とてもまばゆい光で、途中から目すら開けていられなくて。  目を刺すような光にぎゅ、と目をつぶり、先ほどまで授業をしていたことも忘れて。早く消えてほしい、と祈った瞬間。  ばああああああん、と今まで聞いたことのない大きな爆発音の元、私の世界は。  すべては壊れてしまった。  一瞬にして。たった一回の、爆発にして。  私の生きた世界は、なかったことにされてしまった。  ◆◇   大きな鳥が、悠々と空を飛んでいる。  目にいたい紫色の尾羽を、悠々となびかせながら。その大きな翼を、胸一杯ひろげながら。空は青く澄み渡っていて、やはり、雲一つなくて、あの日を思い出させる。  なんの遮蔽物もなく、延々と照り付ける太陽のせいで、私の体は溶けてしまいそう、と錯覚しそうだ。  じっと見上げているとびゅううと、大きな風が私の頬に吹き付け、私は我に返った。  「あ、そろそろ作業、戻らないと…。」  目線を空から、地面に戻す。  鮮やかで美しかった青から、視界が一気に鈍く古臭い木片で埋まってしまった。  二週間もたったからだろうか。ところどころ木片が黒ずみ始めている。  それはまるで、あの爆発から、時間がたつごとに悪化しているこの町の治安を意味しているかのようだった。  あの日から一週間ほどたち始めたころから、しきりに苛立ち始めたり、人のものを奪ったり、嫌いな人と喧嘩したり。  とにかく、この町は今無法地帯になっているのだ。  二週間ほど前にやって来た、解明不能の爆発によって。  「よい、しょっと。」  手元にあった、三十センチほどの木材を拾い上げ、グラウンドの方の木材がおかれている山まで持ち運ぶ。  比較的丈夫と思われていた、ミュトリス学園の校舎も、二週間ほど前の爆発によって、大きくても、二~三十センチほどの木材になってしまった。  それほどまでに、あの爆発の影響が大きかったっていうことなのだろうけれど。  再び元居た場所に戻ると、校舎だった場所に木材が折り重なっていて、到底、床だった部分は見えそうにもない。  もう何日も、ここで作業を続けているにも関わらず、だ。  目の前の景色は、作業に取り掛かったころから__爆発直後から、何一つ、変わっていないように思えた。  「スラッシュ先生に、床の下にある古書、見つけるって伝えたのに……。いつまで、かかるんだろう……。」  あの日、学園を中心に突然原因不明の爆発が起き、私たちの生活は一変した。  あの爆発の二時間後から、アメリア先生と共に作業を開始して、今日でちょうど十四日目。  なんとかして、校長室周りの木材などはどかし切ったけれど、それ以外の部分ではまだ木材に埋もれている場所が多い。  幸い、あの爆発の三日後には、学園は夏休み期間に突入して、今のところ一か月と少し先まで授業の予定がないから直近で困ることはないと思う。  ……まあ、あの爆発の後、学園は、授業を停止して、翌日からの休校を宣言した。  一部の男子たちは喜んでいたっけ。夏休みが二日増えるって。  でも、その直後に私たち全員が事の重大さを思い知らされた。  爆発で壊れたのは、学校の校舎だけではなかった。  ファンティサール__私たちが住む地域のほとんどの家屋が壊されていた。  住宅街の民家はもちろん、学園から半径一キロメートルほどの建物は、ほとんどすべて。  半径一キロメートルほどにあった建物で、壊れていないものは唯一高級住宅街のたてものぐらいで。たぶん、きっと使っている素材が良かっただけなことなんだろうけれど。  私自身、爆発で覚えていることはあまりない。  ただ、周りの言う通りの経路で無我夢中で避難していたら、避難場所にたどり着いていて、そのわずか二分後には、学校の校舎がいきなり崩壊したっていうだけで。  「……まあ、考えたら、不思議なことは、沢山あるんだけれどね。」  例えば、爆発のすぐ後に校舎が倒壊しなかったこととか。  建物の中で衝撃があったとき、普通なら建物だってすぐ崩れる…と、以前図書館で読んだ本に書かれてあった。  あの爆発から校舎が倒壊したのは、どう少なく見積もっても、五分後で。それは現時点で私が保持している知識では解明できないもので。  ほかにも、あの爆発はあれだけの威力を持っていたにもかかわらず、私たちの体は一切のダメージを受けることがなかった、とか。  建物の倒壊が爆発の数分後だったこともあってか、あの爆発での死亡者はおろか、けが人すらいないのだから。  魔法警察も、国の様々な機関も、この爆発を予想できなかったらしく。  現在、魔法警察は原因を解明するのに精いっぱいで街の治安維持までには手を出せない。そして、その調査には多くのミュトリス学園の先生が協力していて、学園の木材がなかなか片付かないのはそれもあったりだと聞いた。  「…って、そんなこと考えていないで、仕事、仕事。」  手が止まっていることに気が付いて、慌てて次の木材の山に向かう。  木材を持ち上げて、立ち上がった時だった。  耳なじみの良い、上品な老婦人の声が聞こえた時は。  「あらまぁ~。セイレーヌさん、こんにちは。」  振り返ると、こんな真夏なのに、暑そうなニットのセーターを着た老婦人が、木材がどけられ、作られた小道をたどってこちらに向かって歩いていた。  アメリア先生__私立ミュトリス学園の副校長で、たしか壊れた校舎の木材をどかす作業も、彼女が頼んだものだ。  「あらまあ~。今日も作業をしてくれているのね。これる日だけで十分なのに。」  おなじみのあらまあ~、の口癖を披露しながら、老婦人はにこやかに微笑んだ。  「いえ。…家で特にすることもないですし。」  あの日の爆発で、倒壊した建物__その中には、勿論私が住んでいたぼろアパートも含まれていた。  爆発の後、すぐ家に帰って、杖とかの最低限必要なものは取り出せたものの、それ以上にすることがない、というのが現状だ。  私の出身地がスラムだったということもあって、毛布のない凍えそうな夜も、少ない食料の中迎える朝も慣れ切っているから。否、必要なものがなくても、生き延びるための術は体に身についている。  ここ数年、お手伝いやを開業してからはそれを使うことがなかっただけで。  ほかの生徒のように家族総出で魔獣討伐に出て、E級魔獣などの手ごろな魔獣を討伐して自給自足したり、タオルケットやテントを調達しようとする必要がない。ここ最近、ミュトリス学園で作業をしていたから見かけなかったが、風のうわさで街にはそういう人があふれて犯罪が起こっていると、聞いたことがある。  なかったものを、これまでの人生の中で持つことができたというだけで、今更振出しに戻ったってどうってことがない。  となると、ただ、できるのは時間だ。  ひとりで過ごす、暇な時間は嫌いだ。  誰にも認知されない私の時間は、私の元々少ない【価値】を、すり減らしていくようで嫌いなのだ。  時間を持て余した私はミュトリス学園に向かった。  なにか、できることはないかと。  ただえさえ夏休み直前で忙しかったにもかかわらず、爆発で業務量が数十倍も増えたミュトリス学園教師人に対し、最悪無賃労働でもいい、という私の申し出はありがたかったらしい。  その五分後には、アメリア先生に木材で埋まってしまった校長室前に連れられて、一緒に作業を開始し始めた。  「正式な報酬を渡せるのは、もう少し先だから、それまで待ってくれていると嬉しいのだけれど。」  頬に手を当てて、老婦人はこちらを心配そうに見つめる。  「そんな……。報酬なんて。私は喜んでもらいたくてやっているだけですから。」  しいて言えば、人とかかわることで、私の中の何かが埋まることがあればいい、私に価値が見いだされればいい、と思ってやっている。  …なんて言ったら、避けられちゃいそうで、怖くて言えないけれど。  それでも、私のお手伝いやにかける思いが純粋無垢なものではないのは確かだ。  「それで、ハスミ・セイレーヌさんにもう一つ、追加で頼みたいことがあるの。」  「え?」  ポン、とアメリア先生が手を打った。  「学園を中心にして起きた爆発の……原因を、突き止めてくれるかしら?」  「げんいん、ですか?」  つい先ほど考えていた話題だったので、少しばかりドキリとしてしまう。  「ええ。私たちも学園を立て直すのに四苦八苦していて、そこまで手が回っていなくて。こっちは報告書を書かないといけないから、なるはやでお願いしたいのだけれど。」  「……分かりました。私でよかったら。」  そういう事なら、なおさらはやく原因を突き止めなきゃな、と。  小さく拳を握りしめた。  きっと、原因を見つけてくれたら、みんなが私を認めてくれるのだろう。  すごい、すごいって。  ここにいる価値のある子だって。特別な子だって。  その状況を想像するだけで私の気持ちは空にも舞い上げりそうになる。  __スラムで物心ついた時から、私はひとりで、親の顔も知らなかった。  どうしようもない孤独を抱えながら、ひとり、生計を立てるしかなくて。  だから、自分のことを守ってくれる親も、自分にかけられる特別という言葉もなかった。  成長するにつれ、心の中の空虚な気持ちが目立ち始めた。  私も誰かに【価値がある子】として認められたい、という気持ちが。  「あらまあ~。助かるわぁ。前金を払わずとも、毎日手伝いに来てくれて……。ここまで尽くしてくれた子は、なかなかいなくてね。」  当たり前だ。  ほかの生徒は、そんなことしなくても、緊急時に【価値を見出してくれる人】がいるから。  家族を助けるだけで、友達を支えるだけで、いかなる嵐の中であろうと、その価値は証明される。  __私には、それがない。  私は家族を持っていないし、友達だって……入学直後、仲良くしてくれた生徒だって一学年最初の中間テストの結果が出た時から、なぜかよそよそしくなった。  今だって、こんな状況で互いの連絡を取り合えるほど仲がいい人は学園にいない。  価値を見出されないなら、進んで価値を求めるのは当たり前だと思う。  「セイレーヌさんは、それだけでなく、成績もいいし、魔術の成績も優秀で__学園の期待の新星よ。」  「いえいえ、そんな……。」  そんなわけがない。  否、そうであってほしくない。  だって、もし、先生の言っていることが本当なら、___私がいい行動をしていても、いい成績を収めても、私が一人ぼっちなら、これ以上、いい行動をする意味など、ないということで。  否、これ以上、いくらいい行動をしたとして、自分の価値を認めてもらえないのだとしたら。  つまり、私のしている苦労は無駄骨だということで。  …それは私が最も望んでいないことだ。  私は、そんなことを考えながら、謙遜を込めて、手を振った。  と、その時だった。  カーン。カーン。と。  十二時を告げる鐘がなったのは。  十二時__配給が行われる時間だ。    「……っ。先生、お先に、失礼します。」  一礼をして、配給が行われる、グラウンドのほうに駆け足で向かう。  走りだして三秒もしないうちに、腕が痛くなるのはいつものことだ。  スラム育ちだったにもかかわらず、周りの子たちと違い、私の体はあまり丈夫な方でなく、筋力も平均以下だ。  それでも走って配給場所に向かうのは、少しでも早く配給のパンをあの子たちに届けたいからかもしれない。  __スラムで、私のあげる配給のパンを待っている孤児たちに。  そうして、誰かに何かをして喜んでもらって、私は私の存在を証明する。  「ねえ、ハスミ・セイレーヌさん。」  数メートル程走った時だった。  アメリア先生が静かに呼びかけてきて、私は慌てて足を止めて振り返った。  「貴方はなぜそこまで身を尽くして、身を削って、人を助けようとするの?」  静かだが、芯のある声。  危うく聞き落してしまいそうなほど、違和感のない言葉選び。  しかし、それを聞くアメリア先生の考えは、この場にそぐわないものだと直感が告げていた。  「__度の過ぎた献身なんだって、頭の悪くない貴方なら気が付かないはず、ないでしょう。」  刹那、その場の時が、止まった感覚があった。  心臓に鋭く尖ったナイフを入れられたような。  周囲の景色が灰色になり、視点がアメリア先生に吸い寄せられる。  早く、この危険地帯から逃げ出さないといけないと頭ではわかっているのに、体はまったく動かない。たとえるとしたらそんな感覚だ。  アメリア先生の眼光はぎらついており、普段の温厚な老婦人の面影はなかった。  それに気が付いた時、理解した。  __彼女は、本気で、私に問いかけているのだ、と。  そして私はその迫力に気おされて、頭の回転もなかなか追いつかなかった。  「__で、でも。」  やっとの思いで、もつれていた舌を動かす。  緊張で震えていた指先を、スカートにギュッと押し付けた。  「……み、見捨てたくないです。…それでも、私は。目の前に、困っている人がいたら。」  それはたぶん、昔の私を思い出すから。  困っている人の悲しい色に染まった瞳を見ると。  親どころか、誰にも食料を与えられないで、ただゴミ箱をあさるだけの惨めな思いを、生活をしていた幼いころの私を。  「…そう。__貴方も、リーナと同じ考えをするのね~。」  アメリア先生は、顔を俯けて、黙り込んだ。  今の私の回答でアメリア先生が何を思ったのか、私にはわからない。  私だって、アメリア先生の質問は突然すぎて何をどう答えたらいいか、分からなかった。  ただ、二人の間に、沈黙が流れる。  先に沈黙を破ったのはアメリア先生の方だった。  「___その考え方は……。」  と。  そこまで言いかけた時、アメリア先生は首を振って、顔を上げた。  「あらまぁ~。うっかり私の興味本位で引き止めちゃったわね~。ハスミさん、もう配給に行っていいわよ。わざわざ悪かったわね~。」  「?は、はい。……えっと?」  先ほどのA級魔獣もひるませるほどの眼光は何だったのか。  アメリア先生は、トレードマークのいつもの笑みを浮かべていた。  こちらがたじたじになるほどの変貌だ。  首を傾げたとたん、カーン、と鐘の音が又聞こえた。  十二時半を告げる鐘の音。  もう、そんな時間か、と。  あの数分に思われる葛藤の時間はどうやら十数分のものだったと。  鐘の音がするグラウンドのほうに顔を傾けると、アメリア先生が、  「誰かは知らないけれど、セイレーヌさんのほかに十数人の誰かが待っているのでしょう。その人たちのためにも、行ってあげたらどうかしら~。」  と。  「あ、はは……。すみません、バレていたんですか?」  配給には、ミュトリス学園に所属している生徒の家族の分のパンが人数分焼かれてある。しかし、中には事情があって取りに来れない人もいて、配給のパンはここ十数日、いつも数個は余っている状態だった。  それが翌日には捨てられるということで、もったいないから孤児たちに届けようと。少しばかり先生たちに黙って行動を起こしてしまった罪悪感を抱きながら、私はスラムの孤児たちのもとに通っていた。  __それにしても、どうせ、先生たちはこんな状況下で配給のパンの数まで確認する余裕はないだろうと思っていたけれど。  まさか、それがバレているなんて。  おずおずと、アメリア先生の顔を見る。  先生は、私の質問に答えず、ぱちり、とウィンクをして。  __多分、はやく、配給所へ向かえ、という意味だろう。  私は再び駆け出した。
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