第二話 限界スラムと二人の少女

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第二話 限界スラムと二人の少女

 「あった!」  はあ、はあと大きく息をしながら、運動場の臨時の竈の近くに置かれた、目の前のそれを見る。  配給から大分時間が経っただろうか。配給の列はもうなくなっていて、数個ばかり余った雑穀パンがお盆に並べてあった。  配る人はいないらしい。まあ、この状況で無駄に人手を割きたくないか……。  もう残り数人しか配る人がいないし、その人だって来るかどうかわからないから、自由に持って行けということだろう。  「……まだとっていない人がいたら、ごめん、なさい。」  唇をかみしめ、決意をして一気に残っているパンをすべてつかみ取り、抱え込む。  たとえ貧民街の子供たちが喜ぶとしても、他の人が怒るのは……嫌かも、知れない。  けれどもそれを分かっていながら、目の前の、笑顔を優先させようとする自分にほんの少し嫌気がさした。  いいことをした見返りに、愛情を求める私なんて、やはり誰からも愛されないのだろう。  雑穀パンのがさついた触角を確かめながら、再び走り出す。  せめて、愛されないのなら、あの子たちには、本日パンをあげた私の事を覚えていてほしい。大人になっても、いつになっても。  私は他の人にとってただの人で終わりたくない。そのためだったらなんだっ  て尽くす。  そんなことを考えながら、走っていたからだろう。  「まちなさい!」  後ろから、鋭い声が聞こえて、思わず立ち止まった。  後ろに人がいたなんて……気が付かなかった。恐る恐る振り返る。  事情を知らない人にとっては、私のしたことは一人一個であるはずの配給のパンを何個も盗んだことになる。  もしかしたら、嫌われてしまうかもしれないし、村八分にされてしまうかもしれない。  私は人に存在を認識してもらえないことが一番いやで、とにかくそれだけはやってほしくないのだ。  てにもつパンの重みがとたんに現実的になる。  こんなことなら、盗むんじゃ、いや、絶対隷従を使ってあたりの人の気配を察知しておけばよかったんだ……。  考え事に気を使いすぎていた。  恐る恐る振り返ると、声の正体は、私のクラスメイトの、ロカ・フォンティーヌだった。  少しだけ、肩の力が抜ける。ロカさんは私と比較的よく話す仲だった。  もしかしたら、話も通じるかもしれない。  彼女の眼鏡越しに美しい輝きを放つ紫紺の瞳を見つめ、口を開く。  「う……あの、ロカさん、これは……。」  ロカさんは、きっと私を睨んだ。  「ねえ、ハスミちゃん、そんなにたくさん、…何を持っているの?」  「……いや、あの……。」  ロカさんの迫力に、一歩、二歩、思わず後ずさりしてしまう。  フォンティーヌ家は、代々のこの地に住んでいる魔法使いをたくさん排出させている名家であり、この地を収める領主の家系でもある。私のクラスメイト、ロカさんはフォンティーヌ家の一人娘にして、跡継ぎだ。  そういえば、この配給はフォンティーヌ家が無償で行っていて、この雑穀パンだってフォンティーヌ家がすべて費用を出して学校に作らせたらしい。  普段から、次期当主として慈善活動に盛んに参加しているという噂もあるロカさんは、今回の見回りに来たのだろう。  そんなロカさんが今回の私の行動をよく思うはずがない。  たとえ、学校で私が仲良くできた、数少ない同性の生徒だとしても。  「ちが……。そ、その……。」  嫌われたくない恐怖で、一歩、二歩、後ずさった。  「そのパン…一人一個のはずなんだけれど……。もしかして、ハスミちゃん、その、不法に……。」  言いにくそうに言葉を濁して、少し私を見つめる瞳が不安げに揺れた。  やがて、それがある一種の覚悟、決意を帯びる。  「__もし、私の領地で配給のパンを必要以上に取ろうとするなら。__次期当主として、公正を働かせるものとして、見逃せないわね。」  きり、と、紫紺の瞳が私を睨んだ。  「ち、違うのっ!!……いや、パンを多くとろうとしたのは、本当だけれど、さ……。」  手を振って否定しようとしたが、腕からはみ出しているほどのパンのせいでうまくいかず、結果として首だけぶんぶんと振る形になった。  「こ、これはスラムの子たちにあげるためにっ……。」  「スラム……?」  ロカさんが、この町ではめったに見かけない、外国人でも見たような顔で首を傾げた。どうやら、パンを盗もうとした私は信用されていないようだ。  昔のことを思い出して、少し心の奥が冷たくなった。  それをごまかすかのように、私は勢いよくまくしたてる。  「ほ、ほら!こんな状況になって、スラムの子たちって、もともとちゃんとした稼ぎ口とか、養ってくれる人とか……いろいろ、持っていない、でしょ?えっと…だから、その、生活するだけでも大変かなって……。だからせめて、パンとかあげたほうがいいのかなって……。ほら、取りに来ない人だっているんだし、捨てるよりかは、いいと……思って…。」  内心汗だくになりながら、何とか言葉を紡ぎ切った。  これで……怪しまれないだろうか、  少し肩の力を抜き、彼女のほうを見ると、彼女は考え込んでいた。  もしかして、まだ疑われていたりするのだろうか、と心臓がビクついた。  「スラム……考えてもみなかったわ。……そのために、ね……。でもまだ、確証は持てない……。」  目線を下に向けたまま、顎に手を当て、真剣な様相で。  数秒、黙り込んだ後、ゆっくりとこちらを向く。  「……わかったわ。本当はいけないことだけれど、ハスミちゃんのことだし、嘘はつかないと思うから、お父様には言わない。」  彼女の見るものに柔らかい印象を持たせる、形のいい瞼もこの時ばかりは彼女の醸し出している雰囲気を隠せていなかった。なんと表現すればいいのだろう。  大物感……もしくは、カリスマ的?  「……でも、少し、頼みごとがあってね……良ければ、私もスラム街に連れてってくれないかしら?」  続いた言葉は予想外だった。  完璧超人と言われるお嬢様から出た不一致な言葉に。  私はあわててパンを落としかける。  「ふえええええ???い、いいのっ?」  ロカさんはきょとん、と首をかしげて。私の心配なんて、まるで何もわかっていないように……いや、これは本当に何もわかっていないのかもしれない。  私はロカさんの瞳を見ながら、  「えっと、汚いよ?臭いよ?怖いよ?それから、それからっ……言葉にできないほど劣悪な環境で、そ、そのっ、いかないほうがいいと思うけどっ。」  ロカさんのことが心配というより、怖かったのだ。  彼女が何も知らないまま、スラムに行って、スラムに嫌悪感を感じたら。  そしてやがてスラムに入り浸っている私にまでその感情を向けるようになったら。  嫌われたくないと思った。  単純な心配だって、あっただろうけれど。  「えっと……スラムって単語、本ぐらいでしか見たことなかったけれど……。ハスミちゃんが言っているのなら、そう悪いところじゃないと思うし、いずれおさめる領地のためにも、現状視察は大切、かしら……?」  私の言葉の意味を分かっていないのか、のんきそうに言う彼女。……もしかして、案外天然だったりするのだろうか。  そんなロカさんの様子に若干危機感を覚えてしまう。  「えっ?ほんとに……その、ショックを受けるよ?」  「うーん、ハスミちゃんが行っているのなら、大丈夫だとは思うけれど……。それほど危険なのかしら?」  考え込むロカさん。  成績はいつも上位にある彼女はてっきりこういった考察も得意かと考えていたから少し意外だった。  ……というか。今の発言で彼女がスラムの現状を知らないことが確定してしまった。  どうしよう。  このまま彼女がスラムに行ってしまったら、スラムの言現状がばれ、果ては私への嫌悪に通じてしまう。  慌てて彼女の目の前に立った。  「やめよう?スラム、やめよっ?」  両手はパンのせいでふさがっているため、声だけは精一杯張り上げる。  「えっと……。さっきから猛烈に反対しているけれど、何か後ろめたいことでもあるのかしら?」  「…いや、そうじゃなくて!」  「本当は、何度か行こうとしたのだけれど、どういうわけか、毎回お父様に止められてしまうの。だから、この機会にぜひ行きたいわ。さっきハスミちゃんは汚い、臭いっていっていたけれど、そんなことないと思うの。お父様が見せてくれた写真には、みんなちゃんとそれなりの服を着ているわ。……ほら。」  ロカさんは、そういって、写真を差し出した。  その写真には、擦り切れてぼろぼろになってはいるものの、ブランド物の服を着た人たちが、肩を抱き合って笑いあっている。  スラム出身の人からすれば、一発で偽物だと分かるような写真。  逆によくこんなもの用意できたよな……。フォンティーヌ家の財力、恐るべし。  とにかくロカさんがこの写真を信じて、スラムにいらない幻想を抱いていることは分かった。  「……。」  終始無言の私に、胸の前で手を合わせるロカさん。  なんか、彼女の父親がスラムに行かせようとしなかった理由が分かった気がした。  そして、彼女の父親が偽物の写真を彼女に見せた理由も。  本でお金持ちの親は子供に世界の汚い部分を隠してしまう傾向がある、って書かれてあったけれど、まさか、本当だとは。  「……ね?ハスミちゃん?」  じっとこちらを見て食い下がってくるロカさん。  あれ、この人案外、諦めが悪い……?  して、もちろん私はそれになにも答えられず。  「……。」  それを了承、と得たのだろう。ロカさんは視界の隅で小さくガッツポーズをした。  結局、彼女同行でのスラム見学が決定してしまった。  もちろん、若干押し切られてしまった感は解せない。  __無知な人を汚すのって、こんなに罪悪感があるものなんだ。  スラムというのはあまり質が良くない土地に、たくさんの建物がひしめき合っているところのことを言い、衛生状態というのもあまりよろしくない。  それは人々が過密になって暮らしているわけだし、そんな土地に学校を置く場所なんてないし、当然そんなところから学校に通おうと思う人は少なかった。  だから必然的にそこには洗濯魔法を覚えている魔法使いが少なくなり、そこの人たちは洗浄系の魔法で掃除をする習慣などなかったわけで、ひどい衛生状態になってしまったわけだ。  否、もしかしたらもともとここの人たちには魔法をうまく使えるような魔法適性がないのかもしれないが。  一部の歴史書には、昔、魔法の使えない人たちが、国のいらない土地に追いやられ、碌な福祉も受けられなかった結果、そこがスラムになったという記述すらある。  魔法適性は親から子に引き継がれるのだから、もしかしたらこの人たちは魔法を習ったとしても、うまく使えないかもしれないが。  「なに、これ……。」  ロカさんは、先ほどからそんな光景ばかり見せつけられているからだろうか。  私のあとをおずおずとついてきている、という感じだ。  多分、スラムの景色を鑑賞している……というよりかは、衝撃を受けて、それによって体が心に追いついていない感じなのだろう。  「ここは、まだいいほうだよ。こうして歩いていてもチンピラに会わないから。」  乾いた草一つはえていない道を歩きながらロカさんに語りかける。  鼻を突くような異臭も、普段暮らしているところとまるきり違う汚れた空気も、全て魔法でごまかさなければ耐えられないほどだ。  なれている私ですらそうなのだから、ロカさんはもっとひどいだろう、と。  ロカさんのほうを見ると、ロカさんも私の方を心配そうに見た。意外なことに、その顔には苦痛の表情はなく、かわりに疑念に満ちていて。  ……あれれ?ロカさん、案外メンタル強かったりする?  「ハスミちゃんはこんな危険なところを毎日……?」  「えっと……町が壊れてからは、ほぼ毎日行っているけれど、それがどうしたの……?」  ロカさんははふう、とため息をついた。  「すごいなぁ、って思って……。私はひどい生活環境で暮らしている人がいるという知識はあったけれど、スラムがどういうところか全然知らなくて……。魔法でごまかしていても慣れていないっていうか……。それなのに、ハスミちゃんはほぼ毎日ここに来れているなんて。」  「そ、そんなこと、ないけれど……。」  確かにロカさんはお嬢様だから慣れていないかもしれないが、私にとってこの光景は日常茶飯事である。  「私は物心つく前からスラムで暮らしていたから……。あ、ここよりはましなところだけれど。」  小さいころからスラムにずっと一人だった。食べ物も、住む家も、くれる大人はいなくて。  だから仕方なく、全部自分で何とかしてきた。  幸い、チンピラの行動をよく観察して真似すれば、お金の稼ぎ方もわかったしそれをうまく応用すればその日の食い扶持ぐらいは稼げた。  それが発展したのが……私が営んでいた便利屋で、小等部の高学年になるころには家賃や水道費まで稼げるようになって、住居もアパートに引っ越したけれど、それは別の話だ。  「えっと……。悪いこと聞いちゃったかしら……。」  ロカさんは目を伏せた。  「ううん。むしろ、聞いてくれてよかったよ。」  私なんかに関心を示してくれてよかったよ。  無関心なんかより、ずっと。  心の中で、つぶやく。  「スラムではよくあることだからさ……。」  その言葉が砂を含んだ汚い空気に吸い込まれたきり、私たちは黙り込んだ。  雑音が耳につき、先ほどの質問で興味を失われてしまったのかもしれないと内心びくびくしながら、私たちは建物が立て込むとおりに入っていった。  道が次第に狭くなり、空中にかけられた洗濯ものが目に付く。スラムではそもそも魔法を使える人が少ないから、洗濯ものを魔法で乾かそうという概念がない。その洗濯物を、かき分けながら、私たちは袋小路に入っていく。  数えきれないほど道を曲がると、トタンを釘でくっつけた、少し大きな小屋が見えた。暑苦しくて音があまり響かないここからでも子供たちの笑い声がよく響く。  「着いたよ。」  ここが子供たちにパンをあげるところだ。  一歩、二歩小屋に向かって進むと、中の子供の一人が私に気が付き、「あ!ハスミ姉ちゃんだ!」と、声を上げた。そのとたん、わらわらと子供たちが私のもとへ駆け寄ってくる。その光景に、少し照れくささやうれしさを感じながら、私ははい、と数個のパンをリーダー格の女の子に渡した。  「今日のパンだよ。……みんなで分けて。」  女の子はうなずき、一個ずつ、パンを受け取る。矢賀で私の手の中にあったパンがすべて彼女にわたると、彼女はほかのこと一緒に部屋にいる十数人のこどもの数分、パンを等分していった。その作業をする手はどれも細くて、彼らが普段いかに栄養をとれていないかがわかる。  「ハスミちゃん。」と、後ろからロカさんが話しかけてきた。振り返ったとき一番に移った、眉根を寄せた表情はどこか気まずげで、何か言いにくいことがあると一目でわかった。  「何、かな、ロカさん。」  お願いだから、嫌いにならないでほしい。そんな願いを込めて。  ロカさんは数秒戸惑ったが、やがて意を決して、実は、と。  それと同時だった。  「「「ありがとうハスミ姉ちゃんっ!!!」」」  子供たちが私に向けて、お礼を言ったのは。  声の大きさもあり、とっさにそちらのほうを向いてしまった。  子供たちは目を輝かせながら、私のほうを見ている。普段はあまり投げられない視線に、少したじろいでしまう。  「えっ……と?」  子供の一人が口を開いた。  「ハスミおねーちゃんだけだよ。僕たちに食料持ってきてくれるの。」  うなずくほかの子供たち。  「うんうん。二週間くらい前から食べ物ないのに、ハスミ姉ちゃんはそれを察して食べ物持ってきてくれるし。」  「私、大きくなったらハスミ姉ちゃんみたいな優しい人になりたいな。いいよね?ハスミ姉ちゃん?」  輝く笑顔が、少し、痛く感じた。  「う__その…。」  私は純粋なる親切心でこの子たちにパンを配っているわけではない。もちろん、彼らに対して同情はしているけれど、どこかでパンを配れば子供たちは私に興味を、関心を持ってくれていると、思っている自分がいた。  そう考えている自分がいた。  だから、こうしてキャパ以上の関心を向けられて少し、罪悪感というか、疑問が残った。  私はこうして食べ物で誰かからの関心を__愛をもらっているわけだけれど、それはかりそめの愛情なわけで、本当の愛情はもらえない。  ならなんのために私はこうしてパンを配っているのだろう。  __答えは、一つに決まっている。  かりそめでも、愛情がもらえるから。  孤児だった私はまともな愛情をもらえたとこが少なくて。だから人一倍愛情というものに固執していて。  もらえるのならなんだってよかった。たとえ、かりそめのものだとしても。  だから、この疑問は消すべきだ。  胸に手を当て、微笑んだ。  「そうだね。君たちならもっとすごいものに、なれそうだけれど。」  先ほどまで感じていた胸の空虚感はなくなっていて、かりそめの愛情で満たされていた。  「ハスミちゃん。」  後ろで見ていたロカさんが、私に話しかけた。  「兄弟みたいでほほえましいわ。__ハスミちゃんと、孤児の子たち。」  「…えへへ。あまり意識しているわけじゃないんだけれどなぁ……。」  兄弟、かあ。  そんな存在、私にはいないけれど。  いたら、どんな感じなのだろうかな。  それから、少し孤児の子たちと話して、遊んだりして。  ミュトリス学園に帰ろうとする頃には夕日は傾いていた。  「そういえば、あの爆発の原因って、結局何だったんだろう……。」  パンでふさがっていた手が、すっからかんになった帰り道。  私たちは一言も発さないまま、行きよりもゆっくりとしたペースで歩いていた。  「何?」  ロカさんがこちらを見て、立ち止まる。  「ああ、えっと……。実は、アメリア先生に頼まれごとしていて……。」  「?」  「爆発の原因を教師陣の代わりに探してくれって…。」  私は順を追って、今日の事の顛末をロカさんに話した。  ロカさんは、目線を下にして、ずっと何かを考えているように私の話を聞いていて。  私の話が終わった後、すっと目線をあげて、  「実はね、もしかしたら学園の爆発、犯人がいるかもしれない。学園の爆発は、故意に引き起こされたものなのかもしれない。」  と。  まったく思いもしないことをつぶやいた。  彼女の言葉に理解が追い付かず。  「え?ええっ、ええ?えっと、どういうこと……?」  まじまじと彼女の顔を見る。  「学園の爆発って……私たちの通っている学園のこと、でしょ……?爆発は二週間前の爆発で……犯人がいるって、どういうこと……?この事件はそもそも、謎に包まれていて、犯人どころか、爆発の原因だって……。」  あの事件の犯人も、原因も、何一つ不明なのだ。  先生たちの力をもってしても原因は何一つつかめていない。  そう聞かされている。  それゆえ、私がその原因を調べる、と。  「……だから、それが、だれかが故意に爆発させたのじゃないかって、考えたのだけれど……。」  ロカさんは真剣な表情でいった。  「…。」  故意に、か。  考えたこともなかった。  「もちろん、まだ確証が得れたわけではないわ。でも、私的にはその可能性が高いと思っているの。」  どこか遠くのほうを見据え、彼女は腕を広げた。  「今日、スラムを見てわかったことだけれど、学校とその周辺が爆発に巻き込まれたことによって、遠くのほうにまで被害が及んでいて、多くの人の命が危うい状態にさらされた。」  それがおかしいと思ったの、と。  「それほど重大な事件なら原因だって早く解明されるべきなのに、それに関する情報は一切つかめていない。__まるで、誰かが裏で手を引いているみたい。」  彼女の紫紺の瞳は、鋭い刃のような光を帯びていて、眉は珍しく吊り上がっていた。  「今日ハスミちゃんはパンを配っていたけれど、その行動だって、この爆発がなかったらしていなかったと思うし……。__この爆発、視点を変えたら、いい商売のチャンスになると思わない?」  「っ__!」  それは考えつかなかった。そして、同時に納得してしまった。  爆発から二週間以上たっても、まったく情報が出てこない理由に。  確かに爆発によって多くの人は仕事学校どころかその日の食事にも困るような生活を強いられるようになった。  それってつまり、生活必需品をたくさん持っている人はこの時に高値で売り付ければいい。  うまくいけば、ちょっとした大金を稼げるし、その人の町での立ち位置だって変わる。  犯人は、もしかしたらそれを狙って、爆発を起こしたのかもしれない。爆発が起きる前に生活必需品をたくさん買い込んでおくことも、忘れず。  犯人は、需要と供給のバランスをうまく利用しようとしたのかもしれない、とか。  「__それに、ファンティサールの政治的権限を狙う他貴族なら、フォンティーヌ家の失墜を狙って、行動したとしても、ね。」  小さい声で、注意していなければ聞き取れなかっただろう。  それでも、彼女は確かにそういって。  「__でも、事件性があったら余計、証拠が発見されそうだけれど?」  「先生たちか、ほかの権力者が誰か協力しているのかもしれない。」  凛とした声で、ロカさんは言い切った。  「お父様が教えてくれたの。政界や、王宮魔法使いが集まるところでは、そうやって手を組んだり、腹を探りあったりすることはよくあることだから、お前も覚えておけって。」  その表情は、確かに人の上に立つ者のそれで。  普段とのギャップにわたしはまじまじと彼女を見てしまった。  「……まあ、実際に使うことになるとは思わなかったけれどね……。」  ロカさんはそういって困ったように笑った。  「そっか……じゃあ、誰が犯人とかは?」  私はこんなことをしても飄々として居られるような犯人がいるかもしれなくて、しかもそれが誰かわからない恐怖で、ロカさんの方を見た。  「さあ……わからない。」  ふりふりと首を振るロカさん。  「私だって、犯人がいるかもしれない、とお父様たちが話していたのを併せて考えたわけだし……この話はもうおしまいにしましょう。」  パン、と手をたたくロカさん。  結局どう反応すればよかったのだろう……。私は首を傾げた。  「元々私も考えを誰かに伝えて整理したいだけだったし、本当にそうだったとしても、今は忘れるべきだわ。碌な手段を持っていないまま、戦いに臨んだら失うだけだから__。」  その言葉で、私たちの話は終わったわけだが、私はその時のロカさんの不満足そうな表情がなかなか脳裏から離れなかった。  きっとロカさんは心の中ではこの事態の原因を突き止めたいと思っているはず。  しかし、人の上に立つものとして教育された彼女には彼女なりの価値観があるのだろう。  今回の事態はなにもかも大きすぎて、彼女の手に負えなかったのだ。  __私だって、何とかしたい。けれど。  原因すらわからない今回の事態、一学生である私ができることなんて、あるのだろうか。    私の胸の中にできた突っかかりは、町に戻って、空が緋色になってからも消えることはなかった。
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