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第五話 敵対星と、市民は魔法で守れない
少女は大雨の中、一人、港に佇んでいた。
他国の船が来ることのできる唯一の場所。
この国は箒で移動できる魔法使いが大多数で、そもそもたいていの人は船なんか使うことなどないし、この港以外、この国は結界で手厚く保護されている。
それがどうにも少女は気に食わなかった。
まるで、牢獄の中に閉じ込められているようで。
国にいるだけで、息が詰まるようで。
__否、実際この国は国民を管理して、国の言うことを聞かない一部の国民に対しては非人道的行為も行っているのだが。
そんな少女にとって、この港は魔法の結界が薄れる場所。魔法を使わない貨物船も見られるから、この世界のことだって、ここにいる間は忘れられる。
唯一心休まる場所で、少女はよくここに気晴らしに来ていた。
ただ、今日は、そこに来ても少女の気は晴れなかった。
「なんで……なんで……。」
一向にやまない雨から逃げようというそぶりすら見せず。
ただ、目に大粒の涙をためながら。
少女は声をからした。
「なんでなのっ!!」
自らの無力さを呪って。
雨にあたってすっかりびしょぬれになったスカートを両手でを握りしめながら。
「なんでっ…なんで、守れないのっ……。」
次第に声はつまり、目の涙で視界はゆがんでいき。
少女は膝から崩れ落ちた。
体から力が抜けていくようで、気を抜いたら、今にも倒れてしまいそうだ。
でも、そんなのどうでもよくて。
ただ、自分の無力が悔しかったのである。
たった一人の妹を。
世間の鋭い視線から守れない自分のことが。
あいつら__政府の連中の意のままにされてしまって、反抗一つできない自分が。
何をしようとしても、うまくできない。
何をしようとしても、世界は少女のことを嘲笑っているように感じてしまい__。
ここまでくると、もう、いやだった。
__雨に打たれて、消えてしまいたくて。
少女はまだ雨から逃れるすべを持っていなかったし、そんな魔法は今だって使うことはできない。
それでも今だけは、今だけは、誰も見ていないので、少女の中で少女は消えたことになっていて。
それが少しだけ、少女の心を落ち着かせた。
少女のスカートに水たまりができ始め、革の網ブーツにずいぶん雨水がたまったころ。
少女に声をかける人があらわれた。
「ねえ、さみしそうだね、君。」
やや低めの、鼻にかかったソプラノボイス。
少女ははたと、顔を上げ、声のするほうを向いた。
そこには長身の、澄んだ青い瞳が印象的な十五、六才ほどの少女がたっていた。
服装はこのあたりで見かけるようなものではないから、恐らく旅行者かなにかなのだろう。大きなカウボーイハットといい、本でしか見ないような乗馬服といい、どことなくきざったらしい印象がする。
それにしても、よりにもよってなんで今、大雨のときに現れたのだろう。
「な、に……。」
少女は彼女をにらみつける。
油断していた。だれもあらわれないと思っていたのに。
今はとにかく、放っておいてほしくて。たとえ万が一に味方だとしても、少女は人を信用できる状態ではなかった。
世界のすべてが敵に思えた。
世界がにくく、自分もにくく、すべてを捨ててしまいたいがそれすらする勇気はない。
そんな少女を理解しているかのように、彼女は怪しげな笑みを浮かべて。
「私と一緒に悪いこと、たくさんしよう?君には悪事の才能がある。」
そして、流れるような手つきで、少女のほうを指さし、
『君の瞳はアンタレス』__と。
少女は不覚にも、その言葉に魅了されてしまい、目を輝かせる。
彼女__初代と出会ったことが、少女__サソリ・クラークが怪盗を志すきっかけになったのである。
およそ三年前、ある大雨の日のことだった。
◇◆
蒸し暑いある日のこと。
その日も、調査がなかなか進まないということで、ミュトリス学園で、四人で作業していた。
真夏の太陽は、魔力切れをしないため、長期的に冷感魔法を使用できない私たちでも容赦なくあぶりにかかる。
それがなかなか、普段はお手伝い屋として働いている文科系の私に気はきつく、このまま永遠に作業を続けていたら、倒れてしまうと錯覚させるほどだ。
__否、正確にはあと一時間後には気温が下り始めるし、ちょこちょこと休憩を取っているから、実際に倒れる事はないのだけれど。
……それに、ロカさんは作業で倒れる人がいたら回復すると申し出ているし。
__それにしても。
「よく、あんなにうごけるよなぁ……。」
いくら休憩を挟んでいるとはいえ、アデリ先輩とレオ先輩は最初の時と同じペースでせっせと木材を運んでいる。
私には出来ない芸当だ。
足を止めて、呆然とそれを見ていた。
「……本当よね。私も、フォンティーヌ家での次期当主になるためのハードな特訓がなければ、とうに倒れていたレベルね。」
いつの間にか、ロカさんが隣にいて、私の発言にうなずいていた。
……というか、ハードな特訓って何なんだろう?
「えっ⁈ロカさんも?顔色、全然変わっていないけれど?」
「ええ、社交界ではこの程度で顔色を変えていたら、貴族として下に見られるわ。」
「ええ……。」
社交界でのブラックな事情をさらりと流すロカさん。
……なんか、ものすごい世界に生きていることだけは分かった。
「……って、そんなこと話している場合じゃないっ。」
「ええ、そうね。まずは作業をしなくちゃ。」
私たちは慌てて、作業場所に戻った。
と、少し先の、木材がまだ片付けられていない山を見る。
「あ、あっちの方から先に片付けたほうが…。」
以前までは人手が足らないから、目の前の木材を片付けることにしていたが、作業に参加しているのも、もう四人だ。
効率を考えて、様々な範囲から同時に作業した方が、いいかもしれない。
そう考えた私は、木材が私の目線程重なっている層へと趣き、手を伸ばす。
「よい、しょっと……。」
たっている場所も、木材だったからだろう。
そこの木材を手にしたとたん、私はバランスを崩してしまい、木材を放してしまい、バタバタと手を振った。
「っ!?わっ…!」
そして、その手が木材の山に当たってしまい。
その木材が一気に私の目の前に崩れてきた。
ガラガラ、と。
振ってきた木材がぎらつく太陽を隠すせいで、私の視界はうす暗くなって。
私はそれを呆然と見ていた。
動けるはずもなかった。
恐怖が故、指先すらもピクリと動かない。
大けがを覚悟して、目をつむった瞬間だった。
「……っと、大丈夫だったか?」
聞きなれた声に、目を開けたら、目の前には筋肉質な腕が木材を抑えていて。
「あ、レオ先輩、……すみません。」
きっと、身体能力の高い彼のことだから、離れた場所からここまですぐ駆けつけたのだ、と。
そして、彼が今も木材を抑え続けていることも。
そのことに気が付いた私は、慌てて後方に数歩、下った。
レオ先輩も私が下がったことを確認すると、木材を抑えていた手をどけ、同じく後方にジャンプする。
レオ先輩の抑えていた木材が、ガラガラと崩れた。
「いや、いいんだ。」
レオ先輩が、こちらを振り返って、にかっと笑った。
「俺さ、魔法警察になりてーんだ。困っている人とか、助けてさ。……だからそんな、気にすんなよ。」
「……はい。ありがとうございます!」
きっと、レオ先輩なりに何かを察してくれたんだろう。
魔法警察か……レオ先輩に似合いそうだ。
そんなことを考えながら、作業に戻ったある一日の出来事だった。
◇◆
アメリア先生のところに向かう最中、先に進むロカさんにつきながら、私は少し、考え事をしていた。
考え事、といっても過去回想、といった感じで、ただ、過去を思い出していただけなのだけれど。
それは、まだ私たちの調査にレオ先輩が加わる前のこと。
私たちは、ロカさんの知り合いに、爆発のことを調査しに行った。
ロカさんが言うには、幼馴染の親友らしいものの、三年前から、ロカさんの方の次期当主としての教育がハードなものになり、ミュトリス学園でのクラス分けが二年連続違うクラスだったこともあり、それ以降は連絡を取っていないらしいけれど。
ロカさんがその人__サソリ・クラークを呼びつけた時の出来事だった。
その人は腰まで下ろしたロングヘアーをなびかせながら、悠然と爆発でひび割れた建物の壁に背をつけて、手を組んでいた。
「待っていたよ、ロカ。」
まるで全てを見透かしたように、落ち着いている眼差し。
紫紺の髪を持つ彼女は、淡々と、語りだした。
「ここは、貴方の家から徒歩一時間。箒がない中、ここまで来たってことは、よほど話したくない話があるんだ。……大丈夫。全部、全部分かってはいる。」
と、トパーズ色の瞳をこちらに向けながら。
「そこの二人だって、見かけない顔ね。__きっと、何かが起きたんでしょうけれど。」
と、ここまで深い状況察知能力。
これは、いい情報をもっていそう、と期待した。
――ただ、一つの懸念を除いて。
「安心なさい。蠍の殻はやすやすと口外をするほど、固くはないから。」
サソリさんがそうドヤりきったところで、困った表情のロカさんが、サソリさんに話し掛けた。
「……えーと、サソリ。」
と、そこで言葉を失うロカさん。
「あ、あの、すみません。箒は昨日、こちらのアデリ先輩が、見つけてくれて。学校の方で配っているはずなんですけれど……取りに行っていないんですか?」
「はふぇ⁈」
続けた私の言葉に、サソリさんは今までのクールな態度を台無しにするような、甲高い悲鳴を上げた。
「お、おかしい。私のもとに来た情報には、そんなこと、なかったのに。……なんで⁈私は情報通なのに……!」
相当ショックを受けたのか、地面に膝をつき、頭を抱えたまま、倒れかけるサソリさん。
……ていうか、情報通って何なんだ?
「……なんだろ、この人。」
「さっきまでのかっこいい雰囲気が今の発言で台無しだね!」
「ぐっさり来るわね、あんた!」
体を丸めた体勢から、勢いよくアデル先輩の方を振り返るサソリさん。
「ふん、まあいいや。……それで、話って何?」
ショックからの立ち直りも速かった。
「ええ、それなんだけれど、十数日前、学園で正体不明の爆発が起こったでしょう?そのことについて、聞き込みをしたいのよ。」
「………。そ、それで?」
ロカさんが話している間も、サソリさんはずっと髪をくるくるといじっている。
「……えっと、できれば、ミュトリス学園の復興の手伝いもしてほしいなって。」
「……。」
ミュトリス学園の名前を出した途端、サソリさんは突然無言になった。
ロカさんが、サソリさんの顔を覗き込む。
「……サソリ?」
「どうしたの、私達親友でしょ。」
サソリさんの右肩に、ロカさんが手を置いた次の瞬間だった。
サソリさんが怒涛の勢いで、ロカさんの腕を振り払ったのは。
「__ふざけないでっ!」
地響きを思わせるほど、大きな声が響き渡る。
先ほどのクールな様子からは想像できないほど、サソリさんは怒っていた。
否、彼女が怒鳴る直前、彼女に一瞬悲しみの表情がよぎったのは気の所為、だろうか。
私の判断がつかない間にもサソリさんは続ける。
「私とあんたは赤の他人でしょ?」
突き放すように、
「え、なんで、あの時親友だって、」
「もういい。そんなんにおもってたんなら、私は帰るから。」
「__君の瞳は、アンタレス。……全部、なくなっちゃえば、よかったね。」
「……サソリ。」
「……行っちゃったね、サソリちゃん。」
「…なんでっ。なんで……行ってしまうのっ…貴方まで。」
サソリ・クラークへの調査は、こうして終わった。
あのあとから、サソリさんは、ロカさんと連絡を取ることもなく。
結局、情報を得られることもないだろう、という結論に至った。この捜査は良い結果が出なかったと、ロカさんの態度を見ても明らかで。だから、失敗の一例として、私達の記憶の中に埋もれていたはずなのに。
__なぜ、このタイミングでこの話を思い出したのか。
ただ、なんとなく思い出してしまって。
私には、それがあまりよくない事のように思えてしまった。
そして私のそのカンは当たってしまうことになる。
私立ミュトリス学園の夜は深い。
もともと、ミュトリスの周りは木々で囲まれていて、ちょっとした森が出来上がっていたのに、爆発で学校が壊れて、普段からついていた学校の光が消えてしまったからだそうだ。
意識を手放せば、自分の存在は消えてしまうのではないかと思われる宵闇の中、私とロカさんは校長室があったところで待っていた、アメリア先生にお辞儀した。
「こんばんは、アメリア先生。」
「ご機嫌麗しゅう、アメリア先生。」
私のあいさつに続き、ロカさんはスカートをつまむ古風の挨拶をする。
「あらまぁ、こんばんは。セイレーヌさんにフォンティーヌさん、おやおや__シロノワールさんに、フェイジョアくんまで一緒だなんて。」
私の後ろを見て驚いた後、あなたたちは仲がいいのね、と先生は苦笑した。
「……あの、先生すみません……。機密事項、なんですよね…?その、大丈夫なんですか……?」
肩を小さく縮こまらせる。
こんなくらい中、人気のない学園に生徒二人を呼び出すのだ。
どう考えても、それしか考えられない。
「先生!こんばんは!ハスミちゃんのお手伝いで来ちゃいました!」
「お元気そうでなにより!」
後ろから大声を出す、アデリ先輩にレオ先輩。セリフは私の後から、かぶせてきた。
ちなみに、いちおうここに記しておくが先生は二人に依頼をしていない。
「あ、あの先輩たちはもう少し静かにしてください……。」
後ろを向いて、口に人差し指を当てるジェスチャーをすると、二人は笑顔で、そして大声で「うん!」「ああ!」と。
……静かにって、いったんだけれどなぁ……。
ため息をつく私を見て、アメリア先生とロカさんはくすくすと笑った。
「あらまぁ。大丈夫に決まっているじゃない。生徒仲がいいことは一番に決まっているから。」
アメリア先生は穏やかそうな笑みを浮かべ、それに私も安堵する。
「セイレーヌさんの言う通り、今回の依頼は公には出しにくい依頼なの。けれど、悪いことをするわけではないから、安心しなさい。それに、シロノワールさんやフェイジョアくんなら、内容を言ってしまっても問題ないと思うの。」
アメリア先生の持っていたランタンの温かい光が小さく揺れた。
「だから、今回の依頼はシロノワールさんやフェイジョアくんにも受けてもらいましょう。」
アメリア先生は、ランタンを持った左手をまっすぐ伸ばした。
「これから、依頼の場所に行こうと思うの。ついてきてくれない?」
「この学園にはある伝説があるの。今はもうだいぶ廃れてしまったけれど、三年ぐらい前まではまだ現役だったわ。」
すとすと、すと、と。アメリア先生の靴が校庭の土を踏みしめる音。
私たちはアメリア先生の後に続いた。
「天使の伝説といってね、この国の人が魔法を使うことができるのは、昔この地に舞い降りた天使がこの地においていった宝石のおかげだって……。この学園専用の教科書にも載っていたのよ。」
私たちのほうを見て、笑いかけるアメリア先生。
「あ!それ、知っている!確か、今の王族の始祖もその天使だって。ロカちゃんとハスミちゃんが教えてくれました!」
アデリ先輩の声に、アメリア先生は少しだけ、糸目を見開いた。
「あらまぁ、今でも現役だったの。」
「で、そのすげー伝説がどうしたんですか、先生。」
レオ先輩の声に先生は苦笑いする。
「実はね……信じてもらえないかもしれないけれど、あの伝説__本当なの。」
一瞬、脳が止まった。
まさか。いやまさかそんなはずない。
あれは地方の一伝説だったはずでは?
アメリア先生の顔を凝視したのは、私だけではないはずだ。
「先生、本当って……その伝説のことでしょうか?でしたら、どのあたりからどのあたりまでが…?」
ロカさんの言葉に、えっと、と首に手を当てる先生。
「少なくとも、天使がおいていった宝石があって、それがこの国のひとの魔力源になっているという話は、本当なのよ。」
アメリア先生の言葉を理解するのに、一瞬の間をおいて。
「「「「え?!!!」」」」
と、四つの声が重なった。
きょろきょろとあたりを見回し、そして頬をひっぱたく。
じわじわと痛みを感じ、ようやくこれが夢じゃないことに気が付いた。
アメリア先生のほうに身を乗り出す。
「せ、先生、それって、本当……本当、ですかっ……!!」
「ええ。本当の本当。実は、今日の依頼というのは、その宝石に関係することなのよ。」
「「「「!?」」」」
一気にその場の雰囲気が引き締まり、全員の視線がアメリア先生に注がれる。
その宝石はね、とアメリア先生は衝撃な事実を述べる。
「じつは、この学校の地下室に埋まっているのよ。」
と。
それはいくら何でも予想していなくて。
私は思わず、足を止めてしまった。
私だけじゃない。四人全員、言葉も出なかった。
アメリア先生はすたり、と足を止め、私たちに向き直る。
そこには土の上に、金属製の、噂によれば王宮魔術師ですら開けられないセキュリティの魔法がかかっているという地下室の扉があった。
あの爆発で、一回の床まで壊れてしまったが、この扉だけは残ったようで、アメリア先生も私たちにその扉には触れないよう注意していた。
てっきり大事なものがあると思っていたけれど……。
まさか、ここまでとは。
アメリア先生は糸目きりりとひきつらせた。
その迫力に、意図せずとも冷や汗が出る。
「今日、ハスミさんたちにお願いしたいのは、今晩中、宝石を守ってほしいのよ。」
その宝石、怪盗に狙われているのよ、と。
アメリア先生が穏やかな声で言った内容はあまりにも衝撃的だった。
◆◇◆
【 予告状
本月 二十五日 月が浮かぶころ
噂の伝説の宝石を盗ませていただきます。
怪盗アドヴァソリウス 】
きっかけは、二日前。アメリア先生が朝起きて書斎に向かうと、このような紙がおかれていたという。
『最初はね、あらまぁ誰か生徒のいたずらかしら、って思ったのよ。けれどね、他の先生たちが言うには、アドヴァソリウスって、予告状に書いてあるものは必ず盗むって有名な怪盗だそうじゃない。本当は先生たちで警護をしたかったんだけれど、爆発の調査で忙しいし、その時に思い浮かんだのがハスミさんたちのことなのよ。』
『ハスミさんは口が堅くて、信用できるから私も安心よぉ。』
先生のいっていたことを思い出しながら、スコープで、もう一度西側……町のあるほうをのぞく。
__異変なし。
さっきと同じように、人っ子一人見当たらなかった。
もう十一時。怪盗はめっきり現れる気配すら出さない。もしかして、怪盗が姿を現すのは二十五時だったりするのかもとか思ったが、それも違うらしい。
怪盗のことを詳しく知っているアデリ先輩によると、その怪盗は犯行予告はきっちり守るそうだ。だから、絶対今日のうちに来る、と。
先ほどよりずいぶん気温が下がったな、と思いながら半袖のシャツから出ている腕をさすった。何か、羽織るものを持ってきたほうが良かったかもしれない。
「あの、ハスミちゃん、ずっとその姿勢きついよね?交代しよっか?」
後ろから、アデリ先輩が声をかけてきた。
その姿勢、というのは箒にほとんどうつぶせる状態でまたがっていることだろう。
私たちアデリ・ハスミ班は空中で宝石を守りながら、遠くから近づいてくる怪しい人影があったら、地上にいるレオ・ロカ班に報告するのが仕事だ。
主に私が見張り担当で、アデリ先輩が防御魔法担当だけれど。
「大丈夫です。それよりアデリ先輩は防壁の強化をお願いします。」
アデリ先輩の魔力的に魔法石を使っていたとしても、見張りと防御を両立させることは難しいだろうから、私は見張りをやり続けるつもりだ。
「りょーかいっ!」
【天の御神の光芒よ、永遠の闇から、今我を守る盾となりッ___クミタートゥル・ティーネ・サークライ・ミカーレッ】
アデリ先輩が呪文を唱えなおした刹那。
一瞬、足元がまばゆい金色に光り、そのあと、足元の光__アデリ先輩の魔力の防壁の輝きが増した気がした。
晄衛壁(クミタートゥル・ミカーレ)。
アデリ先輩の使える魔法の一つで、アデリ先輩の思うがままに光の防壁を作ることができる。防壁は変幻自在。防壁面積×魔法を使用した時間×防壁の強さで消費する魔力量は変わってくるらしい。
まったく魔力を消費しないこともあるし大丈夫だよ、とアデリ先輩は笑っていたけれど。
そういった魔法に限って、ひどいときは魔法石を用いても一生魔法が使えない体になることがあるので少し先輩が心配である。
ぎゅと、箒の柄を握りしめた瞬間。
ばあああん、と耳をつんざくような。あの時の爆発を思い出させるような。とても大きな音が地面の下から響いた後。
私たちの髪や服、箒まで揺らすほどの大きな風が巻き起こった。
「は?わわわわ、な、なに、これ…。」
思わぬ衝撃に、箒から手を放しそうになる。
「ハスミちゃん、体勢を立て直して!すぐに箒につかまって!」
ぐらぐらと揺れる空中。アデリ先輩の鋭い声が響いてパニック状態に陥りながらも私はとっさにそれに従っい、柄を握りしめる。
五秒、十秒、と時間がたつうちに。揺れは次第に収まり、安心した私たちは下の状況を確認しようと、真下__宝石が隠されているという、地下室への扉を覗き込んだ、が。
結果として、私たちはもっとパニックになる。
「ないっ!ないっ!私の晄衛壁が……破られているッ?!」
必死のアデリ先輩の声。
まさかと思い、晄衛壁があった場所見たが、そこにはアデリ先輩の魔力の輝きも何もなかった。
つまり、そういうことだ。
アデリ先輩の魔法が、晄衛壁が、何者かに破壊されてしまった。
この一瞬の間に。あの爆風を巻き起こせるような実力の持ち主に。
じわり、と手汗が浮かび危うく箒の柄を手放してしまいそうになる。
地上には身体能力が人並外れているレオ先輩と、相手の心を動かす魔法を持っている、ロカさんもいるはずだ。
あの二人の警備もすり抜けて、あんな魔法を__?
一体、誰が。
きゅっと口を閉じたその瞬間。
ぐぐぐ、と地下室の扉が開いて、そこから七色の光を集めた直径三十センチほどの球が、七色の光を発す球を持った手が現れた。
その光は太陽よりもまぶしくて月が雲に隠れている今でも周囲を明るく照らして、底抜けに明るいけれど、でもどこか高貴な感じと威厳は感じさせて。一瞬で伝説の天使が置いて言った宝石だと、私の脳は、感覚は理解した。
意識していなくても目線が光に吸い寄せられてしまう。
ずっとそのプリズムを見つめていたい。
その場にいる誰もにそんな感想を抱かせるような、それぐらい魅力的で、魅惑的な美しい光だった。
そして、その手の主は反対のほうの手で、地下室の扉を押して、その姿を現した。
「よっと……。これで、よし、と。」
思わず、体が固まった。
きちんと警戒していたのに、あっさりとその警備を突き破って、敏腕に宝石を盗み出す、怪盗の手腕に驚愕したのも事実だ。でも、それ以前に。
怪盗は、私たちの知っている人物だったのだ。
闇夜に紅くきらめく、その人の瞳を見ていた。
怪盗は、濃い紫色のポニーテールにした髪をなびかせながら。衣装は闇を思わせるような黒色で、その存在感は今にも闇夜に溶けだしてしまいそうなほどだったけれど、手に持っている宝石のおかげで怪盗の姿は確認することができた。
釣り目に腰までの長い髪。
先日、爆発の謎を解きに訪ねた人物__怪盗の正体は、サソリ・クラークだったのである。
なんで、どうして。
彼女が世界一の怪盗を自称していることも、変わってしまったことも知っていた。
でも、心の底では、どこかで彼女は違うと思っていた。
彼女はロカさんの幼馴染で、親友だから。
伝説級の大切なものを盗んで、多くの人の命を危険にさらすような真似をしたら、彼女が傷つくと。ロカさんを裏切るような真似は絶対にしないと、よく知りもしないくせに信じていて。
頭をハンマーでガツンと殴られたような気分だった。
「ははは!今月のノルマ達成!」
怪盗は、私たちに見られていることを知っているはずなのに、余裕ありげに髪をすきながら、高笑いする。
それが、あまりにもサソリさんらしくて。
私はかえって安心して、は、は、と乾いた笑いを漏らしてしまった。
私は自分の価値観で物事を考えていたんだ。
私なら親友を傷つけることはしないって。彼女だってそうとは限らないのに。
「古き礎は、今ここに、世界最強の怪盗によって破壊されるがいい、と。__じゃあ、帰りましょうっ!」
にいっ、と目を細めて、光速を思わせるスピードで駆け出すサソリさん。
おそらくまだ箒を返してもらっていないのだろう。今なら、私は箒に乗っているから追いつくことができる、と脳ではわかっていたが実行できなかった。
今のサソリさんの瞳には、何も映っていないように思えて。
その状態が、限りない恐怖を沸き立たせて、私は動けなかった。
「な、なんで?サソリちゃん、どういうこと?」
アデリ先輩の切羽詰まった声も今は遠くのほうでぼんやりと響いているように感じて。
それぐらい、私には状況の理解ができていなかった。
「サソリ?!いつの間に……。」
地上で、サソリさんのほうにロカさんが手を伸ばす。
近くに箒はない。
ならなおさら、さっさと怪盗を捕まえて、宝石を取り戻さないと。
脳はさっきからうるさく命令しているが。
サソリさんが怖かった。いや、それ以上に彼女を傷つけるのが、怖かった。
自分のせいで誰かに泣かれるのが。
「いつの間に?フォンティーヌ家の跡継ぎとして教育を受けているあなたなら分かりそうだけれど、ロカ。」
皮肉たっぷりに言うサソリさん。
それとも、と言葉を続ける。
「お箱入りお嬢様にはそんなこともわからないの?」
「__っ……!!」
「じゃあね、ロカ。私とあなたは赤の他人だから。気やすく話しかけないでもらえるかな?」
その言葉が、最後だった。
サソリさんはロカさんから身をひるがえして、すたすたとかけていってしまう。西のほう__街の明かりがあるほうに、逃げる気だ。
「追うぞ!」
レオ先輩の声に我に返り、慌てて箒を発進させる。
レオ先輩は一足早く、地面を走って、サソリさんに追いつこうとしてた。
その速度、先ほどのサソリさんに及ばないほど早くて。
まるで本気を出した時の魔獣のようだな、と失礼ながら思ってしまった。
「まてっ、サソリ、その宝石を!」
レオ先輩が宝石のほうに手を伸ばした瞬間。
サソリさんは、近くにあった民家の屋根に飛び乗り、自らの体に宝石を隠すようにした。
サソリさんに追いついた私も箒を浮遊させたまま、止まる。
「返せって?いやだけど。」
雲から少しだけ出た月が、サソリさんを後ろから照らす。
サソリさんは眉根を寄せて、レオ先輩を、次に私を指さした。
「ばっからしい。あんたも、あんたも。この学園が、長年何をしてきたかも知らないくせに……大嫌いっ。」
苦しげな声の後、顔をそむけたサソリさん。
学園がしてきたことについては分からなかったが、助けたいと思った。こんな表情、してほしくない。
……たとえ、サソリさんが大事な宝石を奪った、怪盗だったとしても。
私たちがぼんやりとしている間に、あっという間に駆け出してしまう。
ぴょんぴょんと屋根の上を飛んで、先ほどとは速さの格が違う。
追いかけないと、と手を伸ばしたところで、もうサソリさんの姿が点ほど小さくなっていることに気が付いた。
「あっ……。」
「な、ちょっ。」
レオ先輩も追いかけようとするが、なにせ、相手が悪い。相手は屋根に上っているのに、レオ先輩は箒を持っていないので、地上で追いかけなければいけなくて、しかも町中。道のとおりに走ればさっきより走行速度が遅くなるのは明らかだ。
第一、屋根を上ろうったって、レオ先輩はきっと屋根に上るのをためらうだろう。
彼はそういう人だ。
なら、私がサソリさんを追ったほうが早い。
「あ、ここは私が追います!」
箒の柄を持ち直して、サソリさんがいたであろう方向に顔を上げた瞬間。
そこには、ただ、家々の屋根が連なっていて、素早く屋根を飛び回る怪盗はいなくなっていて。
いつの間にか空を覆っていた雲は完全になくなっていて、月の穏やかな光が私たちをうっすら照らしていた。
緩やかな風が、私たちの髪を揺らす。
サソリさんの鮮やかな手腕に対する驚きも、宝石を守り切れなかったことに対する悲しみもあまり感じることはなく。
私の気持ちはただ、凪いでいた。
それは諦めや無気力というよりは、自分の次元を超えた出来事に対する一種の許容だったと思う。
黒猫のようにつかみどころのない怪盗は、蜃気楼のようにあっという間に現れて、あっという間にその姿を消した。
私たちの国の、私たちの魔力源にもなる、伝説の宝石を手に持ったまま。
怪盗は盗みを成功させたのだ。
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