はこのいえ

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はこのいえ

 引継ぎを終えた前任者の最後の言葉は、『気を付けてね』だった。  この言葉を聞いた私は、はた、と動きを止めて少しだけ考える。……なんだか今日はよくその言葉を耳にする。 「申し訳ありません、……気を付けて、とは。一体何についてでしょうか」  一応確認しようと疑問を口から零すのだが、苦笑いの雰囲気を纏わせた凡庸な顔の同僚女性は、曖昧に首を傾げる。 「それは、その――全部。なんかもう、全部だよ」 「全部、ですか。それは何というか逆に難しいというか、禅問答のような回答ですね」 「うん、そうだね、えっと。いや、そもそもキミにはまだ早い案件なんです。新人に任せる家と穢饌じゃない。でも、私はこれ以上ここに通えないし、他に適任者もいない。イツツヤ主任も苦渋の決断だったと思います」 「確かにそのようなことを仰っていましたね。キミにとってはキツイ仕事になるだろうが、がんばれ、そして気をつけろ、と」 「うん、そう。気を付けてほしい。家にも、土地にも、中に詰まっているものにも、そして、」  。  たぶん、とても真剣な顔をしていたのだろう。しかし個の顔を阻害する呪がかかっている私たちの顔は、ぼんやりと靄がかかったかのように感情が見えにくい。  とても普通で、少し目を離したらすぐに思い出せなくなりそうな顔。喜怒哀楽が単調で、不気味でない程度に表情が乏しい顔。  この呪は我々『お清め相談課』のすべての職員にかけられている。そのため、職員同士であっても皆、顔の判別はつきにくい。  結局我々は本舎に居る間、名を書いたプレートをでかでかと胸に掲げている。そうでもしないと、名前と顔など一向に一致しないのだ。  しかもこの名すらも一定ではない。 「じゃあ、これね。今日からキミのものです」  そう言って私にネームプレートと名刺入れを渡した彼女は、小さく礼をしてから足早に駅の方へと走っていった。一刻も早く、ここから逃れたいとでもいうように。  残された私は、渡された資料とネームプレートと名刺入れを鞄に押し込み、さてと少し息を吐いた。  目の前には、奇妙な家がある。  ……家、と言っていいのだろうか。  寂れた街の狭間にぎゅっと詰められたかのように、その四角い建物はとても不自然にその場所に存在していた。  ドアが付いていなければ、巨大な積み木にしか見えなかっただろう。  そのささやかでおもちゃのようなドアが、内側からゆっくりと開かれる。顔を出したのは、まだ若い青年だった。  へらりと笑う。 「引継ぎ終わったぁ? んじゃ、キミが次の……っあー、『シノミツ』か」 「そうです。どうぞよろしくお願いいたします――荊禍栖さん」 「どーも。……わ、ぼくねー握手とか求められたの初めてだよ。わはは、きみ、さてはちょっと変だな?」  うれしそうな声を出す割に、とても感情が薄い。笑っているのに、ちっとも楽しそうではない青年は、小首をかしげてから『うん、よろしくね』と言った。  これが穢れを喰う■■(イバラマ)憑きの当代『荊禍栖』と、お清め相談課の『シノミツ』になったばかりの私の、出会いの瞬間だった。
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