はこのいえ

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 荊禍栖について、私たちが知っていることは少ない。……らしい。  そもそも穢饌といっても、みな一律同じ能力を持ち合わせているわけではない。彼らは言ってみれば我々の会社が仕事を依頼している、外部委託業者のようなものだ。  お清め相談課は、国の機関である。  要するに我々は国家公務員なのだが、勿論そんな怪しい機関は日本国民の皆様に対しては厳しく秘匿されている。  日本国の土地の穢れを祓い、浄化し、薄めることを目的とした我々は、ありとあらゆる手段を用いて仕事を行う。その主な手段は穢れた土地に特定の人間――穢饌、と我々は呼称するがこれは実は正式名称ではない――を住まわせるというものだ。  穢饌には、条件などは存在しない。  あるものは霊能者であり、あるものは神仏に仕えるものであり、あるものはごく普通のサラリーマンだったりと様々だ。その能力もまた、一定のものではない。  穢饌の仕事は土地、ないし家を浄化すること。それは除霊であっても、降霊であっても、どんな手段でも構わない。結果、その場所の穢れがすこしでも薄まれば問題ないのだ。  実際には穢饌の中には能動的な霊能者は少ない。自発的に除霊ができて、それで生計を立てられるのならば、わざわざ家から出ることのできない穢饌を選ぶ必要はない。それに、穢饌の寿命は極端に短いことを、業界の人間は皆当たり前のように知っている。朝から晩まで、寝ても覚めても穢れた地で過ごす。そのようなことが体に良いわけがない。  大概の穢饌は、家から出れないもの。外に出るだけで害を得るような不幸な体質や、家から出てもうまく生活ができないもの。そのような人々で構成されていた。  その中で、荊禍栖という人物は少々異色ではあった。  彼の除霊方法は異質だ。夜、特定の時間になると彼にとり憑いているという■■が、周囲の穢れを喰うのだ、という。それ以外の除霊は一切できないし、それ以外の何もできない。ただ、それが異様に強い。  私を呼び出したイツツヤ課長は、ひどく嫌そうな顔でため息を散々吐き、やっと吐きつくしたタイミングで『荊禍は特殊だ』とやはりとても嫌そうに口を動かした。まるで、その名を口にするだけでも祟られそうな雰囲気だった。 「荊禍は、特殊だ。本来穢饌というものは、……こう言っちゃなんだが、受動的なもんなんだ。霊感があり、穢れに対して多少対抗できそうな体質の人間が、仕方なくそこに住み、徐々に穢れをどうにか消していく。そういうもんだ。だがなぁ、荊禍はなぁ……ちょっとあれは、手に余る」 「それは、憑いているモノがでしょうか? それとも、荊禍栖さんご本人が?」  口をはさんだ私に対し、やはり嫌そうにお茶を飲んだ課長はただ一言、どっちもだよ、と吐き捨てた。  このたび私はめでたく(と表現させていただこう)、その『面倒臭く』『手に余り』『用心が必要な』荊禍栖氏の担当に配属されたわけだった。  お清め相談課に入舎して三年。まだまだひよっこ扱いの新人である私にとっても、大抜擢と言ってもいいだろう。  というのも、先代のシノミツさんがご懐妊され、とても穢饌が関わる仕事などしている場合ではなくなったからだ。  心霊現象を扱う現場、しかも穢れた場所というものは要するに禁足地や忌地のようなものが多い。そんな場所に出入りする我々お清め相談課職員もやはり、身体に不調を抱えやすいのだという。 「しかし、しーちゃんがねぇ、結婚だけでもすげーなぁと思うのに、子供産んで家庭作りにチャレンジなんてね、いやぁ、ガッツあふれるヒトだなぁとは思ってたけどガッツありすぎでしょうよ」  私を四角い家に招き入れた荊禍栖氏は、特にもてなすようなそぶりも見せず、さりとて塩対応というわけでもなく至極普通に廊下の先で左に曲がった。  速足でそれを追いかけつつ、私はこの四角い家の間取り図を思い浮かべる。資料として散々読み込んだものだが……実際に足を踏み入れると、複雑におり曲がった廊下はひどく閉塞感がある。すぐに突き当りが出現するためだ。 「……お清め相談課の職員が婚姻することは、珍しいことなのでしょうか」  彼をおいかけながら、素直に浮かんだ疑問を口にする。私はなるべく口を噤まないようにと、心がけることにしていた。 「あー、キミあれかぁ、新人君かぁ。まあそうだろうねぇ、ぼくの相手なんか大概の人間が嫌がるもの。ふふ。そりゃ珍しいでしょ、最初から人妻だったならともかく、キミたちは個の認識を阻害されているじゃないの。顔がわかんない人間と結婚するのもすげーし、生まれた子供に親の顔が認識できないかもしんないのにとりあえずチャレンジしちゃうのがすげーよねって思うよぼくは。ま、そういうガッツあふれる彼女だったから、ぼくの相手が務まったんだろうけどなぁ」 「ああ。言われてみれば確かに、仰る通りですね」  私たち、お清め相談課の職員には、前途の通り個の顔がない。誰の記憶にも残らないように、認識阻害の呪がかけられている。  それはとても強力で、一度かけられたら大概のことがなければ死ぬまで継続するものだ。呪いと言っても過言ではない。  荊禍さんの言う通り、職員の大半は独身だ。確かに、顔の見えない人間と所帯を持とうとする者は少ないに違いない。  何度も廊下の角を折れて、ようやくたどり着いた真四角の部屋――おそらく荊禍さんの寝室――に通された私は、なんもないよと笑われながら適当に座ってと促される。  板張りの小さな四畳半間だ。窓がひとつあるにはあるが、隣の家の塀と近すぎる為か、やたらと薄暗い。  よれよれの布団が一枚、あとは小さなローテーブルがひとつ。他には薄汚れたリュックサックが壁際に放置されているだけ。どうやら身の回りのものはほとんど持たない主義らしい。  言われた通り、なんとなく場所を選び正座をする。床に当たる脛が少々痛いがしかし、悲鳴を上げるほどのものでもない。  私が座った場所をちらりと確認した荊禍さんは、おや、というように肩眉を器用に上げた。 「……キミ、あんまり見えないタイプのヒト?」 「はぁ、そうですね、霊感がある! と強く思ったことはありません。一般の方よりは多少、悪寒のようなものを感じるタイミングは多いような気もしますが……まさか、私は幽霊を踏んずけていますか?」 「あー……うん。思いっきり上に座った」 「……訂正します。全く霊感などないのかもしれないです」 「いやぁ、別にあってもうれしいもんでもないしょうよ。お清めさんとこはさ、結局ただ役所仕事するだけだし、霊感なんかない方が回しやすいはずだ。別にそれでいいんじゃない?」 「はぁ。しかし、私にも霊感があったほうが、何かお役に立てるのでは……」 「わはは、ないない! そんなこと微塵もない! だってぼくだって霊感なんかたいしてないんだよ。ぼくはただ、■■が憑いてるだけ。そんで■■は穢れを喰う、それだけのことだ。みっちゃんに手伝ってもらうことなんかないよー」 「それはそうでしょうが――みっちゃん?」  なんだか耳慣れない単語が聞こえた気がした。  思わず問い直すと、布団の上にすとんと腰を下ろした荊禍さんは、相変わらず感情が薄い顔をにやりと歪める。 「名前はシノミツなんでしょ? ぼくの担当は大体その名前になる。えーと、区画ごとに決まってんだっけか、名前」 「そうですが……前任担当はたしか、しーちゃん、と呼ばれていたのでは?」 「うん。シノミツだからしーちゃん。でも、彼女とキミは別人だ。おんなじ名前で呼ぶとぼくも混乱すんだよ。だからキミはみっちゃん、彼女はしーちゃん。それでよくない? え、違うあだ名をご希望?」 「……いえ、それで構いませんよ。ところで」 「うん?」 「ところで、荊禍さんには私の顔がどのように見えているのでしょう」  お清め相談課の人間にかけられた認識阻害の呪は、普通の人間には『覚えられない程度の凡庸な顔』に映る。しかし、霊感が強い人間には呪の方が強く見えてしまうため、凡庸な顔ではなく『顔が見えない』状態になる、と訊いた。  確かに以前何人かお会いした穢饌の方は、私の顔を見て『靄がかかっているように見える』『モザイクのように見える』などと言った。なるほど、この呪を受けた私の顔は、もはや誰だろうと本来の顔として見えることはないのだろう。  荊禍栖氏には、私の顔は一体どのように見えているのだろう。  ……本当に、本来の顔は見えないのだろうか。  シンプルに気になっただけなのだが、少し不思議そうな顔を晒した荊禍さんは、ふーんと唸った後に笑う。 「キミたちの顔はねぇ、ぼくにはいつも同じ見え方をするよ。しーちゃんも、課長さんも、キミも一緒だ。……誰かの手が、キミの後ろからキミの顔を隠しているように見える。おかげで目も鼻も口も一切見えない」 「…………予想以上にインパクトのある外見でした」 「わはは。ぼくはちょっと特殊だからねぇ。特殊と言えばこの家も特殊だよ。しーちゃんのことだから、ちゃーんと引継ぎはしてんだろうけどね」 「大まかな事情は聞いております、が……」 「……が?」 「やはり、自分が体験したことしかわからないというのが私の信条です。というわけで、本日こちらの家に一泊、同衾させていただきたく思います」 「ん? ――んんん!?」  さらりと流そうとして失敗した。そんな感じの声だ。私は内心『思いのほか人間くさいところも残っているのだなぁ』と感慨にふけっていたものだが、対する荊禍さんはにやにやと笑っているどころではなかったらしい。  うっすらと顔に張り付けていた表情が、初めてきちんと色を持った。そんな気がした。
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