はこのいえ

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「大雑把に言うとね、とにかく何もかもがよろしくない家なわけだ」  五分ほど私を追い返す為の抵抗を続けたものの、結局諦めらしい宿主は、来客用の布団なんかないよぉと言いつつも薄っぺらい掛け布団を貸してくださった。  先ほど私が買ってきたコンビニ弁当を囲み、わびしい男二人の晩さんが始まる。  この家のキッチンは確か対角線上の角にあったはずだが、そこに辿り着くまでにはまた迷路のような廊下を何度か曲がらねばならず、荊禍さんはほとんど台所に行かない生活を送っているらしい。  事前資料で家事一切出来ず、と目にしてはいたが、まさかお湯を沸かすことすら面倒がるとは思っていなかった。冬はどうやって生きているのか、はなはだ疑問だ。  生ぬるいペットボトルのお茶を飲みながら、私は前任のシノミツから受け取った資料を思い浮かべる。  通称『箱の家』。  この現代アートと見まがうばかりの不気味な四角形の家では、とにかく不気味な現象が起こる。 「お清めさんとこは真面目だからねぇ、たぶんぼくなんかが説明するよりそっちの資料見た方が早いでしょうよ」 「確かに、引継ぎの資料はいただいておりますが、どうも抜けている部分もありまして」 「抜け? しーちゃんの資料に?」 「はい。例えばこの家の間取り図ですが、何故か水場の位置と窓の場所が未記入です。それと、中古で買った方々の詳細は記載されているのですが、肝心の家を建てた方の詳細が未記入です。尚こちらの資料を受け渡す際、前任は『不完全なもので申し訳ないけれど、わからないことは荊禍さんが知っているから』と仰っていました」 「ふぅん。なるほどねー……っつーことは、文字にも障りがあるってことかね」 「……と、言いますと」 「さっきも言ったでしょうよ。この家は、」  何もかもが良くない家。  それが具体的にどういうものか、いまいち私にはピンとこない。  箱の家に住み、実際に死んだ人間は記録されているだけでは三人だ。築年数がそこまで長くない家でそれだけの人数が死んでいれば十分不気味ではあるが、『最恐の忌家』と呼ぶには正直……たった三人、と思ってしまう。  よくない考え方だ。よくない感覚だ。  一人、たった一人死ぬだけでも、良い話ではない。その一人が自分の大切な人間だったのならば、『たった』などという枕詞をつけていいものではない。  しかし、お清め相談課に勤めていると、感性が徐々に鈍る。  五人死んだ、十人狂った、血を吐いた、入院した、自殺した、爪をはいで食った、髪の毛をむしって発狂した――そんな話があふれている中、『三人死んだ家』がそれほどまでに恐ろしいとは思えなくなってしまっている。  私の感性の鈍化に気が付いたらしい荊禍さんは、目を細めてにたりと笑う。その笑みを見てなぜか私は、爬虫類を連想した。 「たった三人で何を大げさな、って思ってる?」 「そんなことは――……いえ、正直に申し上げますと、そうですね。はい、大げさではないか、と思っています」 「うはは、みっちゃんはアレだね、正直で気持ち悪いねぇ!」 「褒めていただいたものと受け取らせていただきます。私はあまり器用な性質ではありませんので、なるべく言葉の駆け引きなどは省略していきたい、と思っているだけですよ」 「ふむ。変人で馬鹿正直ってことか。……うーん、悪くないけど、ぼくとの相性は最悪だ」  人の顔をした爬虫類はぞろりと笑う。人ではなく爬虫類なので、その感情は私にはわからない。 「ぼくは■■憑きだ。こいつは厄介なやつでさ、正直なやつほど損をするようなおまけつきなんだよ。まあ、しーちゃんからぼくに対する注意事項も勿論聞いてるだろうから無粋なことは言わんけど……話が逸れたね、ええと、家の話だっけか?」 「……何もかもがよろしくない、とは具体的にどういった事なのでしょう」 「そのまま。言葉そのままの意味だ。何もかもがダメだ。この家の、全部がダメ」 「全部、ですか」 「全部だよ。そうだねぇ、例えばさ、北向きがどうとかあるじゃん? 風水とかそういう考え方ね。玄関に何色のものを置きなさいとか、トイレはどこに作りなさいとか、ね、あるでしょ? ぼくはよく知らんけどさ、そういうものがあることは知っている」  私も詳しくはないが……彼が言おうとしていることはわかる。気脈だの運気だの、要するに家相のことだろう。 「この家はね、それが特におかしい。てんでダメだ。どう考えても、意図的にそうしたんだろってくらいに全部が悪くなるように作られている」 「意図的に……家相を悪く、作った? それはつまり――」  忌地を、意図的に、作り上げたということか。  と、私が口にしようとした時だ。  ぞわり、と寒気が走った。左半身だけ、気味が悪いほどきれいに鳥肌が立つ。体毛の上を撫でるように悪寒が立ち上がり、私は思わず左側に目を向けた。  部屋の角は暗かった。  明かりはきちんと付いているのに、なぜか暗い。その角に、背中を向けた誰かが立っている。  勿論先ほどまでそんなところには誰もいなかった。そもそもこの家には、私と荊禍さん以外の人間がいるはずはない。  あまりにもはっきりとそこに居る。あまりにもはっきりと見えるので、恐怖よりも不気味さが先に立つ。  次に襲ったのはひどい耳鳴りで、私は思わず左耳を押さえて少しだけ後ずさった。  笑うのはやはり人でなしの顔をした荊禍栖その人だ。 「わはは、やっぱり出るねぇ! この話をするとさ、出てくんだよ、まったく自己主張が激しい!」 「……アレは、その……この家に関係のある、方ですか?」 「勿論そうだとも! ってぼくが言えるのはシンプルに調べたからで、別に超能力とか霊能力とかじゃないけどね。アレはね、みっちゃん、この家の元凶の一つだよ」 「ということは……初代の、家主?」 「うーん、残念! まあ普通はそう思う! でもなんと違うんだよねぇ、あいつはね、そう、アレは家主じゃない。この家を注文した人間でも、最初に住んだ人間でも、最初に死んだ人間でもない。あいつはねー……この家を極悪な家相にしたただの善良な占い師達だよ」  なぜか荊禍さんは、アレを指して『達』と言う。アレは、一人の人間ではないのだろうか。  家を占うというのはつまり、風水を見るような人間のことだろう。確かに新しく家を建てる時、やたらと方角を気にする人間はいる。名前を決める時も、家を建てる時も、どうせなら縁起のいいものの方がいい。占いを信じていない私でも、そう思うことは理解できる。  部屋の角に立った人間は、先ほどから何かをぶつぶつと呟いているように思う。……まったく聞き取れない。それは確かに日本の言葉のように思うのに、なぜか、意味をもって耳に入ってこないのだ。  男か女かどうかもよくわからない。背格好から、それなりの年齢であることはなんとなく、察することはできる。けれど、性別がわからない。……ぬるり、とした質感の頭部は、髪の毛が一本も生えていない。  私はその不気味な後ろ姿から、目を離すことができない。 「この家を発注したのは中年の女だ。彼女の名前は棚科三智子。義父が寝たきりになり、義母が痴呆症にかかり、夫も末期がんで自宅療養中だった」  荊禍さんは語ることを辞めない。唐突に出てきた名前に私はしばし混乱したが、息を吸って吐くことでようやく耳を澄ませる程度には落ち着くことができた。だが、視線は外せない。  ぬるりとした頭部の主は、壁に向かって頭を打ち付ける。  ゴン、……ゴン、……ゴン、……ゴン。  嫌な音が響く。そういえばこの家を中古で買った夫婦の証言に、寝室で寝ているとゴンゴンと壁を叩かれるというものがあったことを思い出す。……壁はノックされていたわけではないらしい。 「棚科三智子はねぇ、とても疲れていたんだ。恨みはなかったんじゃないかな。わっかんないけど、そんな気がする。ただ、疲れていた。だから全員さっさと死んでほしいと思った。だからこの家を発注した。占い師達は何も悪くない。だってあの人達はただ、やってはいけないことをきちんと教えてあげただけだ。三智子は本を買い、ネットで調べ、電話相談をして実際に何人もの占い師に会い、精力的に間取りの吉凶を学び調べた。新しい家を建てたい、という中年女性に乞われ、占い師達はごく普通にアドバイスをしただけだ。善意で、仕事で、好奇心で――三智子に訊かれたことを、丁寧に丁寧に、教えただけだ」  窓はあの方向につけてはいけない。  水場はそこにおいてはいけない。  玄関の素材はそれではだめだ。色は、方角は、位置は。  ――そうやって親身に丁寧に教えられたものを、三智子はすべて丁寧に破った。丁寧に丁寧に、真逆の設計に直した。  家族を早く殺すために。  この家は、……家人を殺すための家なのだ。 「教えた側は悪くない。微塵も悪くない。でも、結果呪いの家を完成させちまった。呪いってのはさぁ、面倒なモンでね。跳ね返ってきちまう。でかけりゃでかいだけ、障りが出るんだよ。何も知らなかったとはいえ、占い師のアドバイスでこの家は誕生しちまったもんだから、そこで生まれたバカでかい呪いの効果が元凶まで巻き込んじまったんだろうよ。結果、三智子が連絡を取ったうち三人の占い師が各々死んだ。次は三智子が死んだ。この四人が死んだのはこの家じゃなくて、何故か川だったけどね。だからこの家で死んでるのは棚科家の老夫婦とその息子だけだ」 「……何もかもが、良くない家とは、本当にそのままの意味なのですね」 「そうだよ? この家はとにかくダメだ。笑えるくらいに全部がダメなように作られている。だからこの家に住もうという人間は大体内見でパスすんのよ。霊感が強いと入るのもきっついらしいぜ。わはは、みっちゃんとぼくは随分と鈍感みたいだ!」 「いえ、言われてみれば吐きそうな気がしてきました。なんだかめまいもする」 「吐くなら外にしてよー。掃除なんて面倒なことしたくないねぇ、生きてるのだって面倒だっていうのにさ。いや、そんな顔で見なさんな、仕事はちゃんとしますよ。面倒っていうのはね、やらなきゃいけないけどやりたくないなぁでもやらなきゃなぁ、の略なの。だから死なないよ大丈夫今はね」 「大変不穏なお言葉の真意は後々訊かせていただきたく思いますが、それより、あの隅の方……だんだんこっちに近づいてきていませんか?」 「近づいてきていますよ? それにホラ、みっちゃん上見てごらんよー」 「嫌です」 「わは。拒否られた。職務怠慢じゃないの」 「そもそも私は除霊をする人間ではありませんので、霊など可視しなくてよい、という言い訳をさせていただきます。……多少は慣れたつもりでした。しかし、あー……これはなかなか、きついですね」 「ぼくはねぇ、どうしても、ヤバい奴を重点的にあてがわれちゃうからねぇ……みっちゃんきつかったら他のヒトとバトンタッチしていいんじゃねーの? どうせしーちゃんが急遽産休に入るからって無理やりつっこまれただけっしょ。この先もぼくに回される仕事はたぶんきっついぜ?」 「ご冗談を。私はしばらく、シノミツの名を譲る予定はありません」 「……それ、この後にも同じこと言えたら改めて握手するよ」  ふ、と電気が消えた。  思わず時計を確認する。煌々と光る電子時計は、いつの間にか深夜の二時を指していた。  暗闇が、もぞりと動く。  足元の方で、なにか……黒い、手のようなものが這いまわっているように見える。 「しーちゃんはね、吐いた。その前のしのみっちゃんは、気絶はしなかったけどちょっと泣いてたよ。そんでみんな、ひきつった顔でしばらくぼくの周りを避けるんだ。……まあ、気持ちはわからんでもないけどさ」  これが。  この、黒く、うごめく不気味な闇が――■■(イバラマ)。  穢れをすべて喰らう化け物。荊禍栖に憑いているもの。 「さあ、夜の二時は食事の時間だ。……みっちゃんも何を喰われても、文句は言っちゃだめだよ」  爬虫類のように笑っていた男は、その時だけは少し眉を落としてまるで人間のように笑ったように見えた。
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