はこのいえ

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「というわけで、とりあえず荊禍栖氏の除霊に同行してまいりました。こちら今回の報告書です」  私が差し出した書類には目もくれず、頬杖をついたままの彼の人は口を半開きにして目を眇めた。  私はこの類の顔に非常に見覚えがある。大概の人間は私に向けてその顔を晒すとき、非常に呆れている、という意志を示しているのだ。 「……ぶったまげたね。そりゃアレを管理するには一度は喰われるべきだが、まさか初日から押しかけてしかも朝帰りで元気はつらつご報告してくるとは思わなんだ。お前さんあれかい? アレに恐怖もろとも喰われたのかい?」 「はは、まさか。大変スリリングかつショッキングな体験でトラウマ必須でした。吐きはしませんでしたし泣きもしませんでしたが、そうですね……しばらく海苔の佃煮は食べられない体になったと思います」 「余裕じゃないか。こちとらそれなりに心配したってのに、まったく損した気分だよ」  イツツヤ課長は眉を寄せてみせるものの、本当に心の底から案じてくださっていたことがわかる。私の些細な虚勢もおそらくは、この年配の上司にはすっかり見抜かれていることだろう。  箱の家での一夜をどうにか生き延びた私は、泣かなかったし吐かなかった。しかし、今でも黒いものが目の端の映ると少々動悸がする程度には動揺してしまう。  ■■(イバラマ)に喰われる。これは、他の何にも言い換えることができないほどの恐怖と嫌悪感を伴う体験だった。  荊禍栖に憑く■■。これは、発祥のわからない憑き物らしい。当代の荊禍さんもその成り立ちを知らず、先代からは何も聞いていないという。なぜなら先代も、このひどく面倒で強力な憑き物について、ほとんど知識と言っていいものは持ち合わせていなかった。 「ぼくはなぁ……なんていうか、なりゆきでもらっちまった、って感じだからなぁ。勿論自分で考えてそれなりに納得して選択したつもりだ。けどね、例えばしきたりだとか、家系だとか、修行をして正式に貰い受けるものだとか……そういう感じじゃなかったのは事実だよ。なりゆきと言うほかない。だからぼくは、ぼくの命を刻々と削っているこの化け物のことをほとんど知らないんだよ。なんならお清めさんとこで調べておくれよー。そういう調べものとか得意でしょうよ、お役所パワーでがんばってくんないかなぁ」  などと大変無茶苦茶な要求を織り交ぜて語った荊禍さんは、二時の食事が終わるとあまりにもあっさりと寝てしまい、脂汗をぬぐうことすらできない私はひとり、箱の家の暗闇の中で何時間も息を整える羽目になってしまった。  穢れを喰う化け物。  アレは特定の穢れのみを喰うような、器用な性質ではない。その場にある穢れをすべて喰らう、大喰らいの化け物だ。  穢れた場所、魂、呪い、霊――そして生きている人間の感情や魂までも喰らう。  荊禍栖という青年が、なぜあんなにも感情の無い顔で笑うのか。私にはその理由がわかる。彼は感情の穢れた部分を、ごっそりと■■に喰われている。だから、あれほどまでにスカスカした紙風船のような人間性しか残っていないのだ。  正直な人間ほど、自分の担当には向いていない。荊禍栖がそう言ったのはつまり、『感情を強く持つ人間ほど■■に喰われてしまう』という意味なのだろう。  怒り、蔑み、妬み、恨み――そういう負の感情を、アレは穢れとみなして喰うのだから。 「しんどいだろう、荊禍の担当は」  イツツヤ課長はシニカルな苦笑いを零す。 「はぁ、まあ、そうですね。予想はしていましたしある程度の覚悟は持っていましたが……実際に担当として赴いた感想を述べますと『しんどい』が一番しっくりくる単語ではあります」 「アレに喰われんのは相当キツイ体験だからなぁ。荊禍に喰われても平気なやつなんざ、相当空っぽか無垢でおキレイか、そういう俗世とは離れたお人形さんみたいなやつじゃなきゃ無理だろうよ。人間生きてりゃ恨むし妬む、そういうもんだ。それを穢れ扱いされちゃたまらんよ。だが、アレはそういうもんだ。そういうシステムだ。こっちが何をどう抗議したってどうしようもない。荊禍栖はそういう穢饌だ」  イツツヤ課長はポケットから白い飴を取り出すと、包装紙を器用に剥ぎ取り丸い飴を口の中に放り込んだ。私の方にも一つ、投げてくださる。胸元で受け止めたそれは、薄荷味の飴だった。 「だから気をつけろっつったんだよ。荊禍はなぁ、ありゃダメだ。どう見てもヤバい、どう見ても不憫だし、肩入れすればするほどこっちも一緒に落ちていく。手を差し伸べりゃあいつは一応掴んでくれんだけど、重すぎて重すぎて一人程度じゃ引っ張り上げられないんだよ」 「なるほど。確かに彼を正しく『救う』のはとても難しそうです。まずは■■について調べることから始めないといけないでしょうね」 「…………あきらめろっつってんだけども」 「存じておりますよ。けれど私の目的は最初から彼を救うことですので」  にっこりと笑ったつもりだ。けれど私の顔はイツツヤ課長からは、うすぼんやりとした凡庸な顔の男がじわりとあいまいな笑顔を浮かべたようにしか見えないだろう。  私たちには顔がない。名すらもない。  過去などいくら持っていようが眺めるだけのアルバムに過ぎない。昔の私の延長線上にはもう誰もいないことを、勿論私は承知している。  それでも私はやはり、彼のことを諦めるつもりはない。 「……向こうはお前さんのことなんざ、すっかり忘れてたんだろ?」 「それは勿論、無名の呪がかかっておりますから。忘れるも何も、そもそも私には名も顔もない。思い出すきっかけすらつかめないでしょう」 「まあ……うん。アタシは別に止めなしないけどねぇ。その他の仕事をきちんとこなしてくれるなら、荊禍栖に関してはお目こぼししてやるよ。アレがいなくなるのは痛手だが、アレをあのまま使うのも精神(こころ)に悪い。何より他に任せる人間がいない。ウチは年中人手が足りんからなぁ……前任のシノミツが戻ってくるまではとりあえず、お前さんに任せてみるさ」 「……戻ってくる、というのは」 「うん。あー……まあ、あれだ。大体はね、ダメなんだよ。駄目になって、そんでみんなまた一人になってウチに復帰する。どんなにガッツがあっても、顔の無い人間に出来ることなんて仕事くらいしかないのさ。他にはない。恋愛はまだしも、家庭なんかもってのほかなのさ。頑張ってほしいとはおもうけどなぁ……アタシもそうだったからね」  そう言って薄荷飴のゴミを屑箱に放り込んだ課長は、皺の浮いた凡庸な中年女性の顔で笑った。その胸にはやたらとバカでかい字で『五・八』と書いてある名札が下がっていた。  どうやら話は終わったようだと判断した私は、小さく一礼をすると自分のデスクに戻り、まず、本日いただいた名札を己の胸に止める。  (シノ)(ミツ)。  これが昨日から私の名となる数字だった。  そして私は前任の同名者が復帰しようとも、しばらくはこの名を譲るつもりはない。  デスクと引き出しの中を少し片づけ、四・三担当区域の資料を整理する。思いのほか仕事が多い、が、私が荊禍栖の担当になるために提示した条件は『何でもします』だったので文句は言えない。まあ、死ぬ気になればなんとでもなるだろう。  社用の携帯電話をチェックしていたところで、またもや課長の声がかかった。  今度は無駄話をせずに、用件だけ承る。どうやら報告書と共に私が提案した案件に許可が下りたらしい。仕事が早く融通が利く上司で助かる、本当に。  丁度よく携帯を握りしめていたところだ。私は早速荊禍さんの番号を探し出し、特に躊躇することなく通話ボタンを押した。  相当コールしてから、やっと彼は電話に出る。たぶん、普段は一切鳴らないので適当なところに仕舞っていたのだろう。あの殺風景な四角い部屋で慌ててリュックを漁るさまが目に浮かぶようだ。 『はい、はいはい、えーと……どったの、みっちゃん、なんか忘れ物? それとも早くも担当交代のご連絡?』 「残念ながら担当交代のご連絡は今後しばらくは致しません。する予定がありませんからね。実は今朝方お話していたアルバイトの件ですが、さっそく課長の許可が下りましたのでそのご連絡に、と」 『え。……え? まじ? まじで? まじでいいの? それって呪われ代行屋の件でしょ?』 「勿論そうです。荊禍さんが一般の方――特に心霊現象でお悩みの方――の呪いを代わりに受けて、■■に喰わせる。興味深く、面白い試みです」 『前向きに検討してもらえたのは嬉しいけど話が早すぎてこえーなぁ……ここってさ、お国が指定してるマジヤバな心霊ハウスっしょ? そんなところに一般人招いて商売しちゃっていいの?』 「勿論まずいです。なので最初の数回は、私もそのアルバイトに同席させていただきます。特に問題がなければそのまま続行していただいて結構。何かあれば速攻打ち切りとなりますが、まあ、試してみてもいいとのことですので、実質黙認ということでしょう。というわけで、呪われ代行屋についての話はまた後日、伺ったときにでも」  用件だけ告げてさっさと電話を切る際、なんだか電話口の向こうから老人の唸り声が聞こえてきたような気がしたが――あまり深く考えることはよそう、と思う。  怖かろうが何だろうが、これは仕事だ。そしてこの仕事には、確実に一人(かれ)の命がかかっているのだから。  荊禍栖に憑いているアレは、穢れを喰う。だから荊禍栖は常に、大量の穢れの中にその身を投じていなければならない。餌をやらねば、次は自分が喰われるのだ。  穢饌として忌地に住むだけでは、足りていない可能性もある。  より多くの穢れを、より多くの呪いを、彼には提供し続けなければならない。それが荊禍栖の命を一秒でも長く守る手段なのだ。  そのためには、我々お清め相談課が提供する心霊ハウスのほかに、一般の幽霊や呪いも必要だ。私はそう考えた。  こうして安心安全安価の怪しい呪われ屋、荊禍栖が爆誕してしまったわけだが……私はこの選択を、今でも全く後悔はしていない。  このアルバイトのおかげで私も彼も、幾度となく面倒で大変なアクシデントに見舞わられることになるのだが、その結果荊禍栖を真に救う少女との出会いを果たすことができるのだから。  古嵜円凪という名前の無垢な彼女に我々が出会うのは、まだまだ先のことだった。
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