ヒョットコインワンダーアンダーグラウンド

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ヒョットコインワンダーアンダーグラウンド

 閑静な住宅街の中にある寺院のそれなりに広い敷地内に植えられた木々は、管理をしきれていないのか少々背が伸びすぎていて、しかしそれ故に本堂は、都内にあって山中のような静けさだ。  しんとした堂内には、住職の読経と、時折鳴らされる鐘の音だけが響く。  最後列にいる鷹乃(たかの)からは、並んだ喪服の背中の向こうの祭壇まで距離があることもあり、年を取って張りがない僧侶の声は、もとより意味の分からない経文を、より一層難解にしていた。  無音でないことが逆に静寂を際立たせているように感じて、鷹乃は法要が始まってからじっと息を殺し、己の制服のスカートの裾を見つめ続けている。  随分と前に亡くなり、会ったこともない親戚の法事は、本当に申し訳ないが退屈そのものだ。  どんな気持ちでいたらいいのかわからず、時間と感情を持て余してしまう。  幼い頃に両親を亡くした鷹乃を、引き取って育ててくれたのは叔母夫婦だ。  叔母は情に厚い人で、実子と分け隔てなくという思いでか、親族の集まりがあると必ず鷹乃を伴ってくれるのだが、鷹乃の両親があまり親戚付き合いをしていなかったためか、叔母夫婦以外の親族の鷹乃への態度は冷ややかで、出席すると大抵孤立してしまうのには辟易していた。  今はまだ法要中だからいいが、この後の食事会のことを思うと憂鬱でしかない。  もう鷹乃も高校生だ。小さな子供ではないので、用事があると言えば参加を強要はされないだろうが、叔母の厚意を無にしたくなくて、それを実行できたことはなかった。  重い気持ちで、せめて草花でも見て心を和ませようと、大きく開け放たれた戸の外を見て凍りついた。 「(○∞¥△#$×&□%ー!?)」  声をあげなかった自分を褒めてやりたい。  視線の先、木々の向こうにいるのは、少し年は離れているが幼馴染みといえなくもない間柄の、黒崎(くろさき)芳秀(よしひで)だった。  やや長い前髪を後ろに流し、善良さの欠片もない目つきとにやけた口元。  距離は少々あるが、視力のいい鷹乃にはその姿がはっきりと見えてしまっている。 「(なん……何でここに……!?)」  呼んだ覚えどころか、今日の予定を話した記憶もない。  芳秀は古今東西、世界中のありとあらゆる負の意識の集合体のような外道で、何をやらせても一流の人間と同じくらいのレベルでこなせてしまうチートともいえるその高いスキルを、他人への嫌がらせのためだけに用いるようなクズオブクズである。  曰く「人類の負の感情が俺のごちそう」だとか。悪魔だ。  同級生からは名前を口にするのを躊躇うくらいには忌避されていたようで、芳秀が外を歩くと、モーセのように人波が割れ、通りに面した全ての家が窓を閉めるという噂もある。  それも大袈裟ではないだろう、鷹乃自身も芳秀の家に行けば、麦茶を飲んだらめんつゆなんてことはしょっちゅうだし、教科書をエロ本にすり替えられたり、風呂に入ろうとしたらふやけた大量のキ○消しが浮かんでいたり…。昭和の小学生か。  ただまあ、そんな相手なので、一切気など使う必要がないという意味では一緒にいるのが楽ではある。  叔母の家に居づらい鷹乃は、なんなら入り浸られて迷惑すればいいくらいの気持ちで、一人暮らしの芳秀のマンションを勝手に避難先にしていた。  とにかく、気安い間柄というだけで、この男は外出先で偶然会ったりしたくはない邪悪の化身なのだ。  さりげなく堂内の様子を窺うが、親戚たちは境内の不審人物には気付いていないようだ。  いっそ見間違いであって欲しいと思いながらもう外へ視線を戻すと。 「(ぶっ)」  どこから持ってきたのか、芳秀がひょっとこのお面をかぶっていて、危うく吹き出しかけた。  寺の境内にひょっとこ。  どこからどう見ても不審人物である。通報されてもいい案件だ。 「…っ、」  警察に連行されるところを想像したら、うっかり笑いそうになってこらえた。  落ち着け私。  これは笑うところじゃなくて、出先にまで嫌がらせに来るとかどういうつもりなのかと怒るところだから。  しかし、今は粛とした法要中で、笑ってはいけないと思うと殊更に笑えてくる。 「(ばっ……、ちょっ…やめ、読経に合わせて踊るとかやめ…!なんなの?ひょっとこ踊りとか極めてなくていいから!やめてお経はラップとかじゃないし!お経に合わせてラップバトル風なパントマイム本気でやめて!)」  ブルブルしながら笑いをこらえていると、不意にお面を外した芳秀が、頬を膨らませ笑いを堪える鷹乃の顔の真似をして「ウケる~ww」と腹を抱えるジェスチャーをするので、怒りが臨界を迎え、立ち上がった。 「よ~し~ひ~で~…!」  地の底から這うような声を出してから、はっとする。  突き刺さる参列者全員の視線。  高齢の住職は、聞こえなかったのか、聞こえても気にしないのか、そのまま読経を続けていた。  鷹乃は、内心滝のような汗をかきながら、外を指差して小声で訴える。 「あ、違…あそこに、あの…」  だが、ひょっとこは既に姿を消していた。  仕方がないので謝って、もう一度座り直す。  空間に静寂が戻ってくると、腹の底から憤怒が沸き上がってきた。  鷹乃から、周囲の親戚が怯むくらいの怒りのオーラが迸る。  あの男、こんなくだらない嫌がらせをしにわざわざこんなところまで……。 「(芳秀……帰ったら……シメる)」  ろくでもない男への怒りに燃える鷹乃。  ……それまでの憂鬱な気持ちは、どこかに行ってしまっていた。  終
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