静かな世界。

2/2
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ
 僕はしっかりと両耳に耳栓を詰め、人混みの騒音に耐えながら電車に乗り込む。片道三十分ほどで到着したその神社は、平日の朝だというのに随分と賑わっていた。  遠方から来ている人も多いのだろう、キャリーバッグや大荷物を抱えたままの人々も居た。  そして、他の参拝客も確かに相応の覚悟をもって訪れているようで、石段を登るその表情は皆一様に思い詰めた様子だ。何かと縁が切りたくて、藁にも縋る思いなのだろう。 「……どうか、この世界に蔓延るあらゆる騒がしい音と、縁を切ってください」  僕の番が来て、奮発したお賽銭と共に切実に願いを口にすれば、何だか少し楽になった気がした。  帰り道、行きは気になって仕方なかった電車内の騒音も、心なしかいつもより静かに感じる。  心境の変化もあるかもしれないが、咲音が言っていた通り、早速ご利益があったのかも知れない。 「……ん?」  しばらくして最寄り駅に降り立つと、上着のポケットに入れていたスマートフォンが震動しているのに気付く。  この震動パターンは着信だ。車内の揺れで気付くのが遅れてしまったのかもしれない。  慌てて確認すると、ディスプレイには咲音の名前が表示されていた。通話へ指をスライドさせ、スマホを耳に当てる。 「もしもし? どうしたんだ? 電話なんて珍しい」 「……」 「……? 咲音?」 「……、……」 「あっ、ごめん、耳栓してたの忘れてた。ちょっと待ってくれ」  電話してきておきながら何も言わない彼女に違和感を覚えるものの、すぐに原因に気付き、僕は一旦電話を離して耳栓を外した。  駅のホームはやはり騒がしい。けれど出てしまったからには、用件だけでも聞いておこう。普段連絡無精な彼女がわざわざ電話をして来たくらいなのだ、急ぎの用かもしれない。  立ち止まり慌ててスマホを耳に当て直すと、受話器の向こうから彼女の声が聞こえた。 「ごめんね」 「……え?」  突然の謝罪に、面食らう。何かあったのか。聞き出そうにも、やはり騒音が気になった。  次の電車が来るというアナウンスが、すぐ近くのスピーカーから響く。 「咲音、ごめん、うるさくて聞き取れないんだ。一旦静かな場所に行くから、ちょっと待ってくれ」 「え? ごめんなさい、何か言った? あのね、私、謝りたくて。……先週彼氏と別れたいって友達と縁切り神社に行った時、私も、つい『あなたとの縁を切りたい』って、願ってしまったの……友達の愚痴に影響されて、ダメね……。関係が進まなくても、あなたが克服するまで待つのも、私が決めたことだったのに。なのに、ほんの少しだけ、辛くなっちゃったの……」  通話状態のまま受話器を耳から離した時に、彼女も何かを言っていた気がするが聞き取れなかった。 「でも、友達の彼、昨日事故で亡くなったのよ……だから改めて調べたら、願いの仕方によっては、叶え方が雑らしくて……。私も、後で願いを撤回しに行こうと思うの。やっぱり神頼みなんてダメよね。それから、二人の今後について話し合いましょう」  保留設定はあったかと確認しようとして、画面を見ようとする際、外してから手に握ったままだった耳栓の存在を失念していて、予想外の感触に手を滑らせる。 「あ……っ!?」  一緒に滑り落ち転がるスマホと耳栓を追いかけようとして、前のめりになった瞬間、誰かとぶつかりバランスを崩した。  一瞬時が止まったような錯覚と、ふわりとした浮遊感。  それからすぐに響いた、かつての騒音なんて非ではないほどの、劈くようなブレーキ音。鈍い音と、何かの千切れるような音。遅れてやってくる、数々の悲鳴。 「あら……もしもし? 変な音したけど、聞こえてる? ……駅、随分と騒がしいのね……。ええと、神社、あなたも今日行くって言ってたでしょう? だから、願い方には気を付けて……って、それだけ先に伝えたくて」  やがて喧しくて仕方なかった僕の世界は、あんなにも焦がれた静寂に包まれる。 「それじゃあ、切るわ。……あなたの望む静かな世界、叶うといいわね」  最期の瞬間、ホームに残されたスマートフォンから、彼女の声だけが鮮明に聞こえた気がした。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!