影像の向こうに

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 それに比べて、ンヤツーの論理は非常に単純明快だ。    ンヤツーは、師匠の意志を全て受け継ぎ、師の言葉をあらゆる人々に伝えた。  映画は人間による同類の観察であり、鑑賞行為なのだと。  彼は伯父のイッミノー・ワッカ・ラ=ンヤツーとよく対立していたけれども、それでも決して自分の意見を曲げることはなかった。  ワーケノ・ンヤツーはよく、イッミノー・ンヤツーと法廷で争っていたものだと、隣人のタ・ダノー=モッブが証言していることからもわかるだろう。  二人の間には、明確な意見の総意があったんだ。  ワーケノは前述のとおり、イヒートと同じく、映画を画面越しの人間観察と捉えていた。だから、映画の研究におけるもっとも大事なことは、脳科学だと主張していた。  けれど、イッミノーはそうではなかった。彼にとって映画とは、「娯楽の一種」に過ぎなかったんだ。  おいおい。笑ってやるなよ、イッミノーのことを。  映画が娯楽だなんてバカらしい?ははは、僕も最初に彼の著書を読んだときは、声を出して笑ったものさ。  だが、しかたないだろう。当時は今と違う。人々の目はそれほど、正しいものを見ていない。  今や事実無根であると証明されている天動説が、ガリレオの時代には正しかったのと同じようにね。  イッミノーは、映画が娯楽だということを本当に信じていた。  主人公がいかにして降りかかる困難を躱し、意中の相手と結ばれ、最終的な目的を果たすか。  それを見て鑑賞者が楽しむ、テレビと同じような遊びだと、考えていたんだよ。  ほら、笑うな笑うな。もうすぐ終わるから。
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