影像の向こうに

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 さて、生徒諸君。君らも一般的な常識として知っているだろうが、これから映画学の始祖について軽くおさらいしていこう。  1869年、フランスの哲学者であるカクーノ・エラ=イヒートは、弟子たちにこう言った。映画というものは本来、画面越しの人間観察であると。  ああ、有名だよな。この言葉は。言えないやついるか?成人にして、これ暗唱できないやつはいないよな。大丈夫だよな。  彼の説によれば、監督という『愚かな者』による擬似的撮影を通し、我々凡人はみな他人の人生を鑑賞し、閲覧することに喜びを見出している。そういうわけだ。  そして、彼の後継者であるワーケノ・ワッカ・ラ=ンヤツーは脳科学者でもあった。  ゆえに映画という人間的行動に対して、我々の脳が如何なる影響を受けているのかを研究した。  ンヤツーは師匠でもあったイヒートの論理を完全に解明し、さらには後世へ語り継ごうとするも、結果的に志半ばで病に倒れたという。  その彼が最後に記した唯一の書物、『観察論』によれば、例えば映画において主人公が追い詰められるシーンが多いのは、人間の深層心理にある動物の本能が深く関係していて──  ん、なんだって。この話はいらない?本当におさらいだけでいいって?  はいはい。仕方ないなぁ。  まあそんなわけで、最近僕は、イヒートが残した研究論文とンヤツーの書いた『観察論』の相違点から読み取れる、二人の真の関係性について学んでいるんだ。  小難しいだって?別に良いだろ。僕からしてみれば、君が手にしているその数字とアルファベットの羅列の方がおぞましいね。  解読学や数学なんて、映画学の七百倍くらい難しいよ。
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