第十七話

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第十七話

『即身仏』 「そくしんぶつ……」 『即身仏』とは即身成仏自らが生きたまま仏の姿となって衆生を苦痛から救う真言密教の究極的な修行のことをいう。  一千日にも及ぶ徒歩巡礼を五穀立ち、十穀絶ち……つまり、ほぼ水だけを飲んで歩みを止めず厳しい山野を巡り最後は地中の石室の中に座して息絶えるまで読経を続けることで大願成就を御仏に願い乞う。  そうして自らの生命を捧げた僧侶の遺体はミイラ化して生前の気高い姿を後世に残し信者の目に見える『成仏』の在りかたを示すのだ。  ……こう話すと朽ちさせることなく遺体を残すことで魂の再来と復活を期すエジプトなど諸外国のミイラや自己犠牲の尊さを示す殉教死のありようと似ているが、日本の即身仏は「魂の還る器ではなく現世に永劫留まって衆生を見守る活き仏……と表現するのが相応しいだろう。俗に『ミイラ仏』などとも呼ばれるが、それはあくまで俗称で普通は即身成仏の業を果たした高僧に与えられる『上人(しょうにん)』の戒名で呼ばれ祀られる。  つまり即身仏は遺体ではなく上位に進化した上人自身の姿なのである。  主に出羽三山(高野山・月山・湯殿山)麓(ろく)に在り、江戸時代に恐ろしい猛威をふるった死の疫病『ころり病(コレラ)』鎮撫と犠牲者の供養を願って即身仏となった高僧が多く 戒名に『海』の一字が入っているのは真言宗の開祖・弘法大師『空海(くうかい)』上人の名にあやかったものであると伝えられる。  即身仏の思想は広く深いので、簡単に解説はできないが、その尊い姿は多くの信仰を集め明治時代初期の日本新政府によって正式に廃止されるまで即身仏を志願する僧侶は少なくなかった。  ちなみに『ミイラ』は古代ギリシャ語の遺体を意味する『ミルラ』が訛った日本語で漢字にすると『木乃伊』……と書き、これは、あくまで遺体の状態を示す言葉であって有り難い生き仏たる即身仏とは厳粛に区別される。 また、余談ではあるが江戸時代の後期に『木乃伊』は万能薬になる……という医学的根拠の無い迷信が巷に流布し盛んに用いられた時期があり清国や朝鮮の大陸間通商で、中東はエジプトや南米などミイラ埋葬をする諸外国の遺跡から盗掘されたミイラが大量に輸入され、江戸赤坂の大店薬問屋によって販売され、これは『赤坂みいら』の通称で全国に広がった。無論、医学的な効果は無かったが、希少高価で魔法的なムードをかもす『くすり』を服用することで主にメンタルの免疫力を高めて生きる希望を得るという点では小春の亡霊が唄っていた『黄ぶな』の伝説に似ているとも言える。 迷信とは即ち『ミイラ化した信仰心』……なのかもしれない。  そういってカムイは苦笑した。  イワシの頭も信心から……そんな、節分の魔除け飾りを皮肉った言葉もあるが、考えてみればイワシの頭も乾物であり、ミイラの一種と言えなくもない。 「赤坂ミイラにすらなれんな」 「ミイラ薬なんて飲みたくないね」 「カスミさん、カムイさん。リンエンさん来ましたよ」 青のワンピースにカーディガンという細身のリンエンにはよく映える服装だった。 「リンエン、今日は美人に見えるな?」 「普通よ。貴女たちはもう少し服装に気を付けたらどう?」 着古した男物の着物を着続けているカムイ。 いつも同じ服を着ているようにしか見えない白のワイシャツに黒いズボンのノリ子。 Tシャツにジーパンのカスミ。 「布にかけるくらいなら本につぎ込みたい」 「移動が多い研究者にオシャレな服を着ている余裕はない」 「ファッションて苦手で……」  三人の言い分を聞いてリンエンは頭を抱えた。 「まあ、私も女性らしくしろとか前時代的なことを言いに来たわけでもないし」 「リンエン、相変わらずに細いねー」  カスミはカーディガン越しにリンエンの二の腕を掴んだ。 「触るな!」 「ちゃんと食べているのか? 肉を食え肉を」  カムイはバーベキュー味のスナック菓子を開けリンエンに向けた。 「悪いけど私はベジタリアンなの」 「リンエンてお肉食べると酔っぱらうんだよね」  むしろ酔っぱらって見えるカスミがリンエンに絡んでいく。 「そんなことあるんですか?」 「あるわけないでしょう!」  驚いているノリ子に対してリンエンは薄く青筋を浮かべながら突っ込んだ。 「自分じゃわかんないんだよなーリンエンは酔うとキス魔になるんだよー」 「えぇ!?」 「か、カスミ! 勝手なことを言わないで! 幼馴染でも言っていいこと悪いことがある!」 「間違えてお肉食べちゃったっときアタシに襲い掛かったじゃん。それ以来、お肉が出る席じゃ、アタシが呼ばれるようになったんだよね。いわゆる、リンエンのキス請負係として……」 「ぐッ……! 通りで食事が賄われる日に限ってカスミがいると思っていた」 「あれ、別にたかりじゃないから。ちゃんとお給金ももらっているから」 「カスミ、そのバイト今度はボクにも紹介してくれよ」 「えーアタシのお給金減りそうだなー」 「貴女たち!」  リンエンは刀があったら切り刻むと言わんばかりの勢いでカスミの胸倉を掴んだ。 「まあ、冗談はさておき」  カムイは扇子で顔を扇ぎながら言った。 「ノリ子に千里眼能力が目覚めた」  全員の視線がノリ子に集まった。 「ははは。そんな注目しなくても」 「ノリ子さんに千里眼があったら、私とカムイの存在意義が危ぶまれる」 「そんなこと言ったら一般人のアタシは消滅するじゃない」 「で、どういう経緯で千里眼が開眼したのか説明してくれるかな?」 「はい。カムイさんとカスミさんとでネットを見て、話をしていたら、急に頭が痛みだして、そしたら小春の声が聴こえたんです」  リンエンは腕を組み、静かにじっくりと聞いていた。  カムイとカスミはすでに聞いているので、お茶を飲んだり、菓子を食べたりとして話が終わるのを待っていた。 「そしたら舞台の映像が見えて……」 「なるほど……」 「小春の居場所は舞台がある場所だ」 「舞台って少しざっくりし過ぎてない?」 「いや、そうでもないよ」  カスミはボロボロになるまで調べたことをまとめあげたノートを取り出し、リンエンに解説した。 「最初のヒントになったのは黄ぶなの歌。これは栃木、主に宇都宮の伝説なんだけどね」 「黄ぶなや 黄ぶな 祟り鎮めよ 長患いの 良い子はおんもで遊びたい 悪い病は黄ぶなで治せ 良い神様がおっしゃるに 黄ぶなを食べれば 楽になる 泣かずに天寿を待てば良い 笑って浄土へ行けば良い」  ノリ子は黄ぶなの歌を歌って見せた。 「黄ぶなの歌が結構鍵になってたみたいなんだよね」 「すごいな。カスミ、探偵みたいだな」 カムイの茶化しが入るもカスミはあしらった。 「天才の一般人にできるのは話のまとめ上げくらいだからね。まとめると言えば、今回のポイントである……って全部ポイントになるんだけど……」 「気にしなで。続けて」  カムイと違ってリンエンは茶化さなかった。 「『菊理媛神(ククリヒメのカミ)』。この神話でひとつ騙されたことがある」 「小春が巫女になったかもしれないって思い込んだんですよね」 「実際になった……いや、仕立て上げられたのは神様だったんだけど……」 「このときはタカエの存在をノリ子以外は知らなかった。これが、最初のつまずきだった」 「これはカムイと私のミス……」 沈痛な面持ちでリンエンは額を押さえた。 「私が言っていなかったのが悪いんです! リンエンさんとカムイさんは悪くありません!」 「ノリ子が言っているんだ。落ち込むなリンエン」 「カムイはもう少し反省したら?」 「大丈夫ですよ……ね。カムイさん?」  カムイに向けて、ノリ子は意味深な笑顔を向けた。 「は、ははは。そうなのだよ。ボクは大丈夫なのだよ」 「て、話が逸れていっているじゃない……。でも、菊理媛神(ククリヒメのカミ)説はかなり良い線は行っていた。『キクハナ小春は神である』と書きこまれていた。だから、菊理媛神(ククリヒメのカミ)説は間違いじゃなかったはずなんだけど」 「『菊花』という名字に見事騙されたというわけね」  リンエンは頷き。 「そもそも菊花は『キクカ』と読むのが一般的で『キクハナ』と読むのはあまりない」  カムイは扇子を開いたり閉じたりしながら言った。 「小春を知っている人間でないと間違える。だから、書きこんだ人間は知っている人間ていうのが最初の推理でそれは今も変わらないんですよね」 「そうだね。でも、アタシ、気になったことがあるんだけど」 「ほう。カスミにしては珍しいな」  時代劇の殿様がするように扇子でカスミを指してカムイはニヤリとしながら言った。 「珍しくもないでしょうが……。小春ちゃんが最初は巫女に仕立て上げられていたのは本当だと思う」 「巫女から神になったということか」 「あ、カムイさん言ってたじゃないですか。元は巫女で神様になった人はいっぱいいるって」 「……祟り神にするつもりで巫女に仕立て上げていたとなるとボクはとてもじゃないけど許すことができないな」 カムイの持っている扇子からパキッと音がした。  怒りで思わず手に力がこもっている証拠だ。 「落ち着きなさい。貴女が祟り神になる」  リンエンがカムイの肩を抑え、冷静さを取り戻させた。 「巫女から神、そして祟り神にしていく……まだ、今の段階なら祟り神にはなっていないはずだよ」  カスミも冷静に推理を続けた。 「ネットで起きている書きこむと書きこまれた名前の人が亡くなるは小春ちゃんの仕業ではないよ」 「え、でも、書きこんだ人が成功したって!」 「書きこんだら死んだってやつだけが、そういう書きこみをしているんだ」 「成功しなかったやつは所詮、都市伝説とか言ってわざわざ書きこみをしないわね」  ノリ子以外は驚くことはなく冷静だった。 「書きこみの中には外れたという書きこみもある」 「でも、そんなに書きこまれた人がたくさん死ぬことってあります?」 「人間、常に誰かに怨まれている。さすがにボクたちの中で、書きこみをするやつはいないが、大学に通っている三分の一くらいは書きこみをやっているんじゃないのか?」 「でも……」 「ノリ子さん? 全国で一日に三千人以上は亡くなっているのよ」 「書きこんでから数日で死んだら、ラッキー。死ななかったら所詮、都市伝説と片付け、どっちにしろ心が痛む人間は少ないだろう」 「良心の呵責などが強い人とかは苦しむだろうが、実際自分が手を下したわけではないから何も罪にはならない。これは誰も罪にならないんだよ。あくまで、小春という神を祀っているネット内だけで存在する神社にそう願って書きこんだだけだからね」 「これだけ、話題になったら、さすがにそろそろ閉鎖するかもね」 「最初の書きこみはまるで小春を見たから亡くなったように書きこまれているが、小春は亡くなる直前に現れている。小春は亡くなった人を弔いに来たのだろう」 「じゃあ、小春は誰も殺していない……」 「そうだ」  「良かった……」  カムイたちの説明を受け、ノリ子はしゃくり上げながら泣き出した。 「だが、タカエは違う」  タカエという名前を出され、ノリ子は泣きながら顔を上げた。 「タカエも殺人に加担しているといったことはしていないが、小春を誘拐したことに変わりはない。ノリ子、そのことを肝に銘じていてくれ」  カムイの口調は優しくはあったが、それは厳しい警告であった。  ノリ子は涙を流しながら頷いた。  自分にとって大事なのは小春なのかタカエなのか。  そこに正解などなかった。  小春を助け、タカエに全ての真実を聞き出すのが事件の解決だ。  それはノリ子が生きてきた人世がひっくり返るものだ。  カムイたちはノリ子のために自分が持つ力を発揮をしてきた。  ノリ子はそれに答えるために己がかつて持っていた千里眼をわずかだが、開眼させることになる結果になった。   そのとき、ノリ子の脳内に泣いている少女の姿が見えた。  声は聴こえないが口の動きで言葉がわかった。 『助けて』 「……『いつまで』は小春が助けを求めている声だったんだ」 「ノリ子、見えたのか?」  カムイは驚くことなくノリ子に聞いた。 「はい。見えました」  カムイたちはノリ子の千里眼を信じ、その日は解散になった。  ノリ子は自室で精神集中を始めた。  雑念を払うため目隠しをし、部屋を極力暗くした。 (小春はどこにいるの?) 「ふぅー……」   ノリ子の呼吸だけが、部屋の中での唯一の音だった。  頭の中に幻影が浮かび上がってきた。  建物の前で誰かが舞っている。  建物の全体が見えてきた。  神社だ。  神社の前で舞っている人間は巫女の格好で浄瑠璃人形を操りながら舞っていた。  人間の姿が徐々にハッキリと浮かび上がってきた。  タカエだ。  人形はどことなく小春を思わせるような赤い着物を着ている少女のように見える。 (この神社は見覚えがある……)    自然に囲まれた神社の前に人が集まっていき、タカエの舞を見物しているようだ。 (これはお祭り?)   人々の顔はモザイクがかけられているように確認は出来なかったが、二人だけ認識できる顔があった。 (小春と……私? そうか、ここは……)  ノリ子は目隠しを外し、部屋の電気をつけた。 「そうか……そういうことだったんだ」  真実まではすぐそこだとノリ子は確信した。
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