第一話

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第一話

平成十二年 6月12日  灯りの中で赤い着物を着た、ひとりの少女を見た。  その日は、梅雨特有のジメっとした空気で、肌がイヤな汗をかいていた。  いつもは自転車を使っているが天気予報が雨であることを告げていたので傘を持ち歩いてきたが予報は見事に外れた。  民家の灯りと申しわけ程度の街灯だけが道しるべであった。  そんなわずかばかりの灯りの中でも、ハッキリとわかる赤い着物は少女の白い肌を引き立たせるかのように鮮やかであった。  少女の年齢は小学校に行くか行かないかの年齢であっただろうか。  子どもが1人で出歩くにはあまりにも午後十一時は遅い時間であった。  私はその少女を知っていた。  そして、自然と口が勝手に動き、少女の名を口にした。 「……『菊花小春(きくはなこはる)』……?」  その少女は私を見上げ、ジッと私の瞳を捉えると口を動かした。 「なぁに? ノリ子ちゃん?」  少女の無邪気な声が私に返ってきた。  真っ白な顔に対して、口元は紅を塗っているのか赤く染まっていた。  少女が口にした言葉、それは私の名前であった。  遠くから電車の走る音が聴こえてくる。  少女との別れを告げるかのように電車が通過していく。  そして、電車が通過し終わると同時に彼女はその場からいなくなっていた。  代わりに、少女が立っていた場所には赤い着物を着た人形が街灯に照らされながら立っていた。  人形は自分の方を見て笑った気がした。  それは笑えない少女の代わりに笑っているように見えた。  私は、踏み切りが開くと同時に駆けだした。  怖いという気持ちもあったが、本能が逃げろと叫んだのだ。 『いつまでも……いつまでも……』  暗闇の中を鳥が奇妙な鳴き声で空を飛んでいった。 平成十二年 6月13日 『戸部ノリ子』はY大学に通う一年生だ。  髪は軽く染めたブラウン、白いワイシャツに黒のスラックスとラフな格好をしている。  アルバイトに行くのに楽という都合があるが、ノリ子はファッションというものがわからなかった。  女子高に通っていたノリ子は友人から「普段から身なりを考えた方がいい」と促され彼女らがいらなくなったであろうファッション雑誌を山ほど渡されたことがある。  そして、いまでも渡される。  ノリ子はファッション雑誌の読み方が解らない。 というより解ろうとしていないのでパラパラといつもめくり、読むふりだけをしていた。  ルーズソックスを履いて、色黒な女子高生たちの気持ちがわからなかった。  ノリ子は同級生のいま風なファッションを見て、自分とは関わる事のない世界だと遠目で眺めていた。  そう思いながら、何冊か目を通していると雑誌のとある記事にノリ子は目を止めた。  それは、流行りのホラー映画の記事だった。  2000年も半年を過ぎたというのに、ホラー、オカルト番組も映画もなくならない。  妖怪や怪談、心霊は定期的に人々の心を惹きつける。  しかし、自分がいざ、その渦中の人物になると迷惑以外の何モノでもないだろう。  ノリ子はオカルトといった類のモノが苦手であった。  怖いからという感情ではなく、自分から見に行きたくないというレベルだ。  遺伝子に植え付けられたかのように幽霊、怪談、妖怪が苦手だ。  だが、メディアはお構いなしに電波に乗せて、オカルトといった類を発信していく。  近年ではインターネットの普及により、さらにオカルトは活気づいているように思える。  苦手でありながら、雑誌などで見つけると、つい、目を止めてしまうのは、意識をしているからこそ目に入ってしまう現象である『カラーバス効果』のようなモノが働いているからだろう。  オカルトが苦手でありながら、ノリ子は人よりわずかばかり、その手の話題には詳しかった。そして、ノリ子は大学へ入ると「オカルトが苦手です」とは言えなくなった。  アルバイトからの帰りに見た少女が気掛かりで次の日はコンビニのバイトを休み、ある人物の元にノリ子は会いに行った。  丘陵の中腹。麓から伸びる細い坂道に面して頂上が城址公園。  左右が空き地の静かな賃貸アパートへ帰宅すると真っ直ぐその人物の部屋へ向かい、ドアを叩きながら言った。 「『カムイ』さん、いますか?」 「いないよー」  ドア越しから気だるそうだが、芯のあるよく通る声がノリ子の耳に入ってきた。 「わかりました」  言葉を無視して、ドアを開けた。 「いないっていったのに、どうして入るのかなー。不法侵入にするぞ」  胡坐(あぐら)をかきながら本の山に埋もれて文芸雑誌を読んでいる『女』がいた。  同じアパートに住み、ノリ子と同じY大学へ通う一年先輩の『神代(かみしろ)カムイ』。  肩まである髪をひとつにまとめ、部屋は大正モダンをイメージしているらしく畳の上に本を積み重ね、低いテーブル机に座布団という部屋の(あるじ)である。  好きな小説に影響を受けて男物の着物を常に着ている。  あくまで大正をイメージしているので現代に必要最低限の冷蔵庫、パソコン、電話、クーラーなどの家電は部屋に揃っている。  神代カムイは先祖代々、巫女の家系らしいがノリ子は半信半疑だった。  半信というのは、ノリ子とカムイが遠出したときに「ここは危ないから止そう」……と、 カムイが言った場所が過去に殺人事件があった現場であることを調べずに当てたことがあるからだ。  本人が事前に知っていた可能性もある。だが、初めて行った場所を調べることは不可能なはずだ。    半疑は普段の言動のせいである。 「いない人は返事をしません……と言いたいですが……実は昨日、不可思議なことに遭遇したのです!」 「ほう、不可思議とな? それなら、すぐに(ウチ)に来れば良かったのに」 「本当はすぐにでも行きたかったんですが、疲れの方が上回って自分の家で寝てしまいました」 「珍しいね。『ボク』の家がキミの家でもあるというのに」 『ボク』という一人称で男性に間違えられるカムイだが数年後にはそれも珍しくなくなるとカムイは予言している。 「部屋に来る頻度が高いというだけでカムイさんの部屋に住んでいるとは一度だって思ったことはありませんよ」 「それより、ボクに話したいことがあるんだよね」 カムイは芯のある声で訊いてきた。 「そうなんです……実はバイト終わりの昨夜、奇妙な赤い着物を着た少女がひとりでいるのを目撃しまして」 「バイト帰りというと二十三時すぎか。夜中にひとりでいる時点で奇妙だね。その少女」 「それもなんですが、私はその少女のことを知っているんですよ。名前は菊花小春(きくはなこはる)……」 「それはまたなぜに? 従兄妹(いとこ)とか(めい)っ子とか?」  ノリ子は自分の記憶から菊花小春(きくはなこはる)という扉を開き、わずかながら思い出そうとした。 「いえ、私の……『友達』……です。幼い頃に住んでいた『村』で、数少ない子どもだったから覚えてはいるんです。本当なら私と同じ年齢のはずですが……」 『友達』とは言ったが、微かな記憶の断片を繋ぎ合わせているので、自信はなかった。 「記憶力の良いノリ子にしては、歯切れが悪いな……。その様子だと、ただ似ている子って感じでもなさそうだね」 「ええ。私が思わず『菊花小春』と呟いたとき『なぁに? ノリ子ちゃん』と返事をしました……気が付くと彼女は居なくなっていて、そこには、彼女と同じ着物を来た日本人形が置かれていただけでした」 「その人形、今持ってたりする?」 「いえ、怖くて触れるどころか逃げ出してしまいました」 「確かに、普通はそうだね。なるほどね……。じゃあ、今夜、その現場に行ってみますか……」 「え、夜に……ですか?」 「昼間は人通りもあって集中できない」  カムイはそう言うと寝転がり、本を読み始めた。  本を読み始めるのは「これ以上話すことは無い」というカムイの意思表示だった。  この状態のときのカムイにいくら話しかけても相槌も頷きもしようとしないのだ。  知らない人が見たら、とても失礼な行為だ。  ノリ子は慣れているので気にすることなく、立ち上がり、返事が返ってこないことをわかりつつも毎回一言だけ言葉をかけていく。 「じゃあ、私、部屋に戻りますよ」 「今のうちに寝とけよー」  一瞬、耳を疑った。  カムイが返事をしたのだ。  傍から見たら「だから、どうした」という感じだが、これは宝くじを当てたか、新種の生物を発見したかのような高揚でノリ子の動悸が速くなっていた。  気持ちを昂らせながらノリ子はカムイの部屋を出ると自分の部屋へと帰っていった。 「ただいま」  誰かが待っているわけではないが、静かな部屋に音を入れこまないと落ち着かないので、必ず帰宅時は声を発する。  ノリ子は電気をつけるよりも先にCDプレイヤーの電源を入れ、クラシックを流した。  無音が苦手なノリ子は、部屋では常に音楽を流していた。  部屋へ帰るとカムイの部屋と自分の部屋の違いの大きさに毎回考えさせられる。 「カムイさんの部屋から帰ってくるとまるでタイムスリップしてきた気分だ」  ノリ子の部屋も女子大生にしては物があまりにもない。  家電製品、ベッド、机、教材を仕舞う棚、食事をするためのテーブル、そしてCDデッキ。  ノリ子はベッドに横になると、クラシックが流れる中、すぐに眠りに入ろうとしていた。 (私、こんなに眠かったのかな……。瞼がすごく重く感じる……) 『いつまでも……いつまでも……』 (何だろ……声が聴こえる……音楽は歌の無いやつかけてるんだけどな……) 『いつまでも……いつまでも……』 (いつまでも? 何が『いつまで』なんだろ……?)  声は掠れているがハッキリと言葉が聴き取れる。  その声は仰向けに寝ているノリ子の『上』から聴こえていた。 『上』……それは頭上でも天井でとも取れないが、上としか表現できないのだ。  瞼を閉じたノリ子は気付いていなかった。  黒く巨大な影がノリ子の身体を覆っている。  ノリ子は肌から違和感を覚えた。  瞼が開かないため、確認はできないが気配を察知した。  その気配は人間のモノではないと感じた。  得体の知れないものが部屋にいる。  それも自分のとても近いところに。  恐怖のせいか、瞼を開けることはもちろん、声を上げることもできなかった。 (これって、金縛り!?) 「……ッ!」 流れていたはずのクラシックが突如止まり、別の音が流れてきた。 『ノ……ちゃん、だい……じょ……。こ……は……』 途切れ途切れの人の声だ。 (怖い……怖い……!)  呪文を唱えるかのように何度も心の中で叫んだ。  閉じた瞼から涙が流れ出てきた。  涙がスイッチになったかのように、ノリ子の強張った身体が少しずつ楽になっていった。  金縛りがとけたのを確認するため、右手を閉じたり開いたりした。  動くことを確認すると上半身を勢いよく起こし、息を整えた。  緊張して、無自覚に呼吸を止めていたのだ。 「はぁ……はぁ……」  ゆっくりと瞼を開けていくと直接太陽を見たかのように部屋の電気が眩しく感じた。  どれだけの時間が流れたのだろうか。  時計を見るとカムイとの約束の時間まで30分の猶予があった。  ノリ子は息をつくと、呼吸を整えるため、息を吸った。  そのとき、何かがノリ子の中に入り込んだ。 「がは……ッ!」  何が入ってきたのかはわからないが、ノリ子は入り込んできたものを排除しようとトイレに駆け込み吐いた。  胃液しか出なかったが、ノリ子はなんとか落ち着くことができた。 「はぁ……はぁ……」  壁にもたれかかり、先程起きたことが夢だったのか現実だったのか記憶が曖昧になっていくのを感じた。 「……支度しなきゃ……」  自分が酷く汗をかいているのに気が付くと着替えを用意し、シャワーを浴びた。  ノリ子はシャワーを浴び終え、着替えるとカムイの部屋へと向かった。 暗く、誰もいなくなったはずのノリ子の部屋にわずかな明かりがボォっと光っていた。  電源の入っていないはずのCDプレイヤーが動いているのだ。 『また……会いに……来る……ね……』 「おう、ノリ子。来たか」 「はい……なんとか、来ました。ちょっと遅かったですか?」  時間は午前1時前だった。 「ちょうどいいだろう。どうした? 顔色が悪いんじゃないか?」 「え、ええ……ちょっと……」 「……何が起きたか言ってくれないか?」 「いえ、大したことないですよ……」 「じゃあ、ノリ子の肩に乗っかている黒い影はなんだ?」 「え!?」  カムイは着物の袂から模様なのか文字が描かれた(ふだ)を取り出し、ノリ子の右肩に押さえつけた。 「あ、あの……?」 「今、追い払った」 「え? 今ので?」  とくに呪文を唱えるとか手を合わせるなどのポーズをしていなかったので、除霊をしたように見えなかったのだ。 「今の黒い影は悪霊ではなかった」 「悪霊じゃない? 人を金縛りにしておいて!?」 「やっぱり何かあったんじゃないか」 「……はい」  ノリ子は先程起きたことを話した。 「『いつまでも』とCDプレイヤーから聴こえてきた人の声ね……」 「と、とにかく怖かったです……」  思い出して、ノリ子の顔は再び青ざめ、全身から鳥肌が立った。 「仕方ないから、今日はボクの家に泊まりなさい。そんな状態でひとり部屋に居させてやれない」 「うぅ……ありがとうございます」  安心したのか、ノリ子はへたり込んでしまった。 「今日は検証をやめにしよう……」  カムイはこのとき、このあと起きる事件に気が付いていた。  しかし、それを防ごうとするにはあまりにも大きすぎた。 「ん……狭い……身体、痛い……」  寝ぼけ(まなこ)で起き上がろうとすると、普段と布団の感触が違うことに気が付いた。  ペシャンコで畳と一体化しているのではないかと思わせる煎餅布団。  枕元の本、部屋の隅という隅に置かれた本。 「あ、そうだ……ここはカムイさんの部屋だった……」  ノリ子は立ち上がり、洗面台に行こうとすると足元の丸い毛玉のようなものにつまずいた。 「うわぁ!」  転んだ表紙に本のなだれが起きた。 「い、痛い……」  起き上がると、さっきまで丸かった毛玉が正体を現した。 「おい……お前は何をやっているんだ……」  毛玉の正体は畳の上で寝ていたカムイだった。 「あ、いや、その顔を洗いに行こうとして……」  目に見えてカムイは怒りのオーラを放っていた。  布団を占領したこと。つまずいたこと。  だが、それよりも……。 「この本たちがいくらすると思っているんだ……?」 「え、ええと……1500円くらい?」  ノリ子は手元にあった本を手に取り、とりあえず値段を言った。  しかし、カムイの怒りに油を注いだだけだった。 「5000円だ! 神保町でやっと出会えた貴重品なんだよ!」 「え、えっと読むだけなら図書館じゃダメなんですか……」  そう口にした瞬間、カムイの怒りは頂点に達した。 「ノリ子。説教するぞ。反論は許さない。わかったか?」 「は、はい……」  カムイの怒りは一時間に及び、ノリ子の目は漫画で例えるならぐるぐると回っていた。  とにかく、カムイの本に対する愛だけを理解するのが精一杯で、本の誕生や歴史は全く、 頭に入って来なかった。 「あの……カムイさん……」 「なんだ?」  まだ、怒りの名残りがあるのか、少し語気が強かった。 「大学行っていいですか?」 「ん? ああ、もうそんな時間か。どうした、早く行かないと遅刻になるぞ」 「あ、はい……」  自分が原因とはいえ、カムイの説教時間は下手したらもっと長くなっていたかもしれないと思うとゾっとした。 「うぅ……金縛りになったときよりある意味怖いよ……」  よく、お化けより、人の方が怖いというネタがあるが、こういう目に合うとそうかもしれないと思うものだ。  ノリ子は一応、オカルトが苦手な人間なのだ。  それが、今は当事者になってしまっている。  カムイに除霊のようなモノを行ってはもらったが、それでも不安は消えなかった。 (カムイさんを信用してないわけじゃないけど……)  今朝のカムイの怒りっぷりを思い出すと、検証をしてもらえるかわからない。 ノリ子はカムイとは別に、信頼のある人物に検証を依頼することにした。
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